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2011年7月 6日 (水)

私の世界・人との邂逅―半分庵とサインの人々①

「半分庵」は古い昔から友人で、今は木屋町の三条と四条の中間当り、市営駐車場を下ったところで「創作料理の飲み屋」=半分庵(「はんぶんこ」と読む)をやっています。

注)「創作料理」と書いたのは彼の注文です。日本料理、中華、イタリアンをごったまぜで適当にその日の食材(安いもの)で思いつくものをつくっている。したがって、あるときおいしい料理が出たので、次に行った時頼むと、「ダメ、作れない」ときがあります。

木屋町に来る前は、私たちの会社のサインの事務所のあった、西大路四条の富士ビルの二階にありました。富士ビルは、今もあるようなのですが、昔は下に麻雀屋と玉突き、半分庵の飲み屋があり、その上が事務所という娯楽と仕事が混然一体となったところでした。事務所はサインの他には、サラ金や何かの代理店、電話代行、建築事務所などがありました。

株式会社サインは地域計画や地域分析・調査をやっていた仲間で作った会社で、当時、地域計画や地域分析・調査と言っても一般の人には意味不明の団体で、三派全学連の学生運動の活動のなごりがまだ人々の記憶にある時代で、よく「何かの赤軍派?」と間違われたものです。

その頃は、仲間の川口さんが中心に交通調査やアンケート調査などの実査もやっていたので若い学生の人の出入りも多かったのです。創設すぐの「卒塔婆小町」の劇団員の学生もアルバイトに来ていました。調査の要員が大勢必要なとき、集団で頼める「そとば」は好都合なのです。

そして、半分庵は昼も夜もみんなのたまり場になっていました。

富士ビルにはサラ金も入っていて、ベニヤ板一枚の仕切りの安普請の事務室ですから声が筒抜けです。督促や脅しの怒鳴り声がそのまま聞えて来るのです。サインに来ているアルバイトの女の子、実は私や川口さんも「ヤクザや・・」とビビッていたのです。

あるとき、半分庵にサラ金の兄さんが相談に来たそうです。

「隣の、サインという会社何者か知ってるか?なんか若い奴が夜中までうろちょろして。わし怖くて事務所を移ろか思てんねん!」

川口さんは良く見ると、小さい頃の結核から脊髄カリエスになり手術をしていて姿勢が少し斜にかまえて猫背なのです。頭を面倒だからと5分刈りで坊主頭にしていて、見るからに年季の入った香具師そのもので、実は全学連も経験していました。ビックリついでに!そんなことがあってすぐサラ金に泥棒が入って金庫の金を盗まれたのです。それも、調査が無事に終わったお祝いにドンチャン騒ぎで飲んで騒いでいて、隣に金庫やぶりが来ているのに全く気が付かなかった?のです。

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