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2011年11月 1日 (火)

私の世界・子供のころ27―我が家の定番①「ビールのサイダー割り」

子供のころ、親父はお酒を余り飲まないというか晩酌をしないのですが夏になるとビールをサイダーで割ったものを会社から帰ってくると着替えた後、一番に飲んでいました。喉の渇きを潤すのが目的ですから一気飲みするのを弟と僕は並んでそのお余りを貰うのを待つのです。小さい子の弟はサイダーの残りで僕はビールの方、サイダー割りのジョッキの飲み残しを貰うのが楽しみでした。2杯目の残ったものを貰うのですが子供ながらアルコールのほろ酔い気分に少しなります。

困るのは母も期待して「少し頂戴?・・」と言うときがあって、僕の分が殆どなくなるのです。親父は少しのアルコールでも顔が赤くなるたちで僕もそれに似たのですが母はお酒に強いようで顔に出ません、本当はいける口なのです。

ビールとサイダーは専用グラスのジョッキで2杯と少しになるのです。ビールの銘柄を忘れたのですが多分「苦い」と言ってキリンではなかったようですが、サイダーは三ツ矢でした。

親父は冬にはサイダーに少しぶどう酒を入れて飲むときがありましたが元来酒飲みではありませんからそれだけで「ご飯!」になります。ぶどう酒は赤玉ポートワインや少し贅沢なときはチンザノで決して高級ワインではありませんでした。

お酒を飲むと言うのではなく「喉を潤す!」のが目的なので、それが我が家の定番なのです。

当時、子供がサイダーやラムネを飲むのは贅沢だったようです。、足に「魚の目」が出来て近所の医者に切ってもらうおうと言うとき「ぐずる」と、

「後でサイダーかラムネを1本飲ましてやる!・・」

が父の取引、ご褒美の言葉でした。

話しは別に:近所のヤブで有名(父の言葉)な外科医は麻酔もしないで魚の目を削ろうとしたのです。少し削ったところであまりに泣き喚くので父は「麻酔は?・・」と聞いたら外科医は「あっ!・・」だったのです。

僕にサイダーを飲ませながら「麻酔を忘れて子供のイボを削るなんて酷いことしよる!」と怒っていました。涙でしょっぱいサイダーが忘れられません。

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