私の世界・面白い話のネタ―探検家シャクルトン、『求む男子 至難の旅』(その2)
以下の文は、アーネスト・シャクルトンが帝国南極横断探検隊のために出した? といわれている募集広告の文だそうです。
MEN WANTED for Hazardous Journey.
Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful.
Honor and recognition in case of success.Ernest Shackleton
『求む男子。至難の旅。
僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。 アーネスト・シャクルトン』
彼は帝国南極横断探検隊としてエンデュアランス(Endurance)号という帆船で南極に向け出航しました。エンデュアランスという名は誰が考えたのか「①耐久性、持久力 ②忍耐(力)、がまん ③苦難、試練」で、「もう少し、名を良いものに考えれば!?・・」というものです。探検隊の行く末はその名に相応しく、正に当たっていたのです。
苦難の探検を、“ウィキからの写真コピーで簡単に紹介”は気が引けるのですが、「少しでも、その苦難をものともしない勇気、忍耐力が分かれば!?・・」と思い、私なりの選択・編集です。
最初の南極大陸との出会いは高さ30mもある巨大な氷壁で、コーツランドの一部をなし“ケアード・コースト”と命名されます。
コーツランドと1915年1月、シャクルトンの帝国南極横断探検隊が撮影したコーツランドの一部の海岸、ケアード・コースト
ただし、地図の位置は陸地のコーツランドからどの程度離れているかは分かりません。以下(その3)に続きます。
帝国南極横断探検隊(1914年8月9日~1917年)
イギリスが20世紀中に派遣した南極探検隊のうち、4番目の探検隊である。南極大陸の初横断を目指し、失敗した。この探険は、文明圏から何千マイルも離れた地で探検隊の船が難破したあと、隊長であるアーネスト・シャクルトンとその隊員達が英雄的な努力によって南極から生還したことで有名である。数々の書籍が出版され、映画・ドキュメンタリー映像作品も製作された。摂氏マイナス37度の寒さと乏しい食料の中、南極圏で28人が実に22ヶ月もの間を耐え忍んだ。最終的に、シャクルトン以下6名の乗組員が僅か7メートルの救命艇に乗って、南極海を1,500キロメートル航海した。その数ヶ月後、シャクルトンは残された全ての乗組員を救出しに戻り、一人の命も落とすこと無く全員が生還した。・・・以下略(=ウィキペディア)
コーツランド(Coats Land)
南極大陸にある地域の名称。西経20度から西経36度にかけての地域で、ウェッデル海の東岸、ドローニング・モード・ランドの西側に位置する。
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