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2014年3月 7日 (金)

私の世界・知らない世界―「主の消えた宮殿、ルーマニア」、庭園にチャウシェスクの亡霊!?

ネットのナショナルジオグラフィック・ニュースからです。

ニコラエ・チャウシェスクの「世界で最も重い建築物」といわれる宮殿で、建築物の広さ(=延床面積)としては、ペンタゴンの延床面積616,540m²に次ぐ世界で第2位の大きさ、330,000m²です。(ペンタゴンの約半分で、いかにペンタゴンが大きいか!? この方が驚きます。)

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「ルーマニアを統治した冷酷な共産主義支配者」といわれるニコラエ・チャウシェスクですが、本当は“裸の王様”で「もっと悪い奴が側近や党幹部にいた」と言う話もあるようです。

チャウシェスクの宮殿(国民の館)はマップでブカレストを検索すると、建物が大きいので直ぐに見つかります。

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Photo 

ただ、近くに寄ると庭園に“顔”のような模様が見える気がするのです。

「もしかすると、公開処刑(銃殺刑)のチャウシェスクの亡霊では?・・」と思ったり・・・です。

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『主の消えた宮殿、ルーマニア

ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu)は、1965年から1989年までルーマニアを統治した冷酷な共産主義支配者。革命によって政権が崩壊し、国家に対する罪で有罪となり、妻と共に銃殺刑に処された。ブカレストにあるチャウシェスクの宮殿は、世界で最も重い建築物といわれ、あまりに大きいため宇宙から眺めることができる。現在は人気の観光スポットとなっている。

ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu1918126日~19891225日)

ルーマニアの政治家。ルーマニア社会主義共和国国家評議会議長(1967 - 1974年)、初代大統領(1974 - 1989年)、ルーマニア共産党書記長(1965 - 1989年)。1960年代から80年代にかけての24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨した。・・・中略

革命と最期

1989年にポーランドで民主的な政権が成立した際、ルーマニアにもこのような動きが波及することを恐れたチャウシェスクは、チェコ事件の時とは反対にワルシャワ条約機構軍による軍事介入をソ連に要請した。しかしソ連のゴルバチョフはこの要求を一蹴し、チャウシェスクは事実上ソ連に見限られる形となった。チャウシェスクはなおも権力の維持を図ろうとするが、首都ブカレストを含めて全国規模で暴動が勃発。ソ連の介入がないことが確定的となったため、ルーマニア国軍もチャウシェスク政権に反旗を翻した。同年12月に起きたルーマニア革命でチャウシェスクは完全に失脚し政権は崩壊、1225日、逃亡先のトゥルゴヴィシュテにおいて、革命軍の手によって妻エレナとともに公開処刑(銃殺刑)された。

死後

・・・末期のチャウシェスク政権は他の長期政権同様、チャウシェスク本人ではなく高級官僚化した党幹部らが実質的な権力を握っていたとされる。当時の党幹部らは革命の際に国外に脱出しており、真相は明らかにされていない。実際の革命の現場でも、集会の場にルーマニア人のジャーナリストがおらず外国の報道機関しかいなかったこと、国軍・大統領親衛隊の能力を超える武力が行使された形跡があることなど、未だ解明されていない点が多い。

199912月、革命10周年に当たってルーマニア国内で行なわれた世論調査によると、6割を超える国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答え、同国政府を驚かせた。市場経済の停滞と失業者の増加により生活が悪化したことなどから国民の不満が高まり、各地の工場や炭坑ではストライキが頻発した。

現在もチャウシェスクの負の遺産として残されている国民の館は観光地化され、世界中から多くの人々が訪れている。

国民の館

ルーマニアの首都ブカレストにあるルーマニア議会の議事堂および観光施設のことである。1980年代に、当時の大統領だったニコラエ・チャウシェスクが宮殿として造成した。建築物としては、ペンタゴン(延床面積616,540m²)に次ぐ世界で第2位の大きさを誇る。

正式名称は「議事堂宮殿(Palatul Parlamentului)」であり、別名に「議会宮殿」、「人民の館」、「人民宮殿」などがある。正式名称はチャウシェスク政権崩壊後に改めて名付けられたものであるが、ルーマニア人は「国民の館、(Casa Poporului)」という旧呼称を一般的に用いている。1983年に着工。昼夜を問わず建設が進められ、しばしばチャウシェスク大統領が現場を視察し、進行状況のチェックなど指示を下したという。

1989年のルーマニア革命でチャウシェスク政権が倒されたのを機に、建設計画の7割程度の完成をもって建設が一時中断された。その後建設が再開し、エレベーターなどが増築された。現在、完工に近い状態とされている。

豪華な装飾のホールや、廊下など建物の一部は有料で一般公開されており、国内外から多くの観光客を集めている。一部しか公開できないのは、現在部屋数が3,000を超え、あまりに大規模で管理ができないためである。内部の写真撮影は原則禁止されているが、入場料と別に撮影料を払うことで許可を受けることも可能。外周道路が2008年よりブカレスト・リンクとしてブカレストGPの公道コースに用いられている。(=ウィキペディア)

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