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2014年6月 5日 (木)

私の世界・面白い話のネタ―「世界一周飛行」(その②)

1932年に世界一周飛行したドルニエDo Jですが、何がそんなに気を引くのかというと、第二次世界大戦前の日本陸軍の八七式重爆撃機がドルニエ社製のドルニエDo.Nなのです。

八七式重爆撃機(ドルニエDo.N

Doj02_2   

「川崎はドルニエ社、BMW社と技術提携」ということで、後の日本の優秀な飛行艇作りは、それが始まりと考えられます。

八七式重爆撃機は「鈍(Do.N)亀」と呼ばれて、評判はあまりよくないようですが、満州事変ではそれなりの戦果を挙げ、28機も作られているのです。

以下は、ウィキに写真のあるドルニエ社の作った、ドルニエDo.Nの兄弟の飛行艇たちです。

Doj0 

最後はドルニエ Do 212という鬼っ子のような不出来な末っ子? で、写真は“1000aircraftphotos.com”にありました。

プロペラを角度をつけた“延長シャフトで回す”というアイデアで、斬新なデザインです。しかし、「離水試験で離水出来ず、Do 24によって牽引され離水したが、不安定な飛行特性のためにパイロットはすぐに着水させた」という結果で、“終わった”ものです。

D04 

ドルニエDo J

ドイツの高翼単葉の全金属製双発飛行艇。クラウディウス・ドルニエの手により設計・開発が行われた。初飛行は1924年。ヴァール(Wal; ドイツ語で「鯨」。「ワール」とも表記)という愛称でもよく知られている

ワールは縦列に並べた2機のエンジンと主翼を支柱で胴体よりも高い位置に配し、海上での安定を図るためスポンソンと呼ばれる小翼が胴体側面についている。機体は全金属製で胴体上部や翼は波板になっている。

第一次世界大戦の敗戦によりヴェルサイユ条約でドイツでは航空機の製造が禁止されていたため、ドルニエと技術提携していたイタリアのCMASA社で製造された。その後、スイスやスペイン・オランダ・日本の川崎造船所でもライセンス生産された。ドイツで製造されるようになったのは1933年以降で、ライセンス生産も含めた総生産数は約300機になった。1925年のロアール・アムンセンの北極飛行や、1932年のウォルフガング・フォングロナウの世界一周飛行など、冒険飛行や記録飛行に使用された。

スペック:全長 17.25m、全幅 22.50m、全高 5.25m、主翼面積 96.00m²、自重 3,630kg、全備重量 5.700kg エンジン ロールスロイスイーグル9水冷式V12気筒エンジン 360馬力 2

最大速度 185km/h 巡航速度 150km/h 航続距離 2,200km 乗員 3名 乗客 8-10

ドルニエDo.N(八七式重爆撃機)

第二次世界大戦前の日本陸軍の爆撃機である。設計・試作機製造はドルニエ、量産は川崎で行われた。大正13年(1924年)に日本陸軍は、丁式2型爆撃機(ファルマン F.60爆撃機)の代替機の開発を川崎に指示した。川崎はドルニエ社、BMW社と技術提携を行うこととし、設計をドルニエ社に依頼した。また、技師を2名ドルニエ社に派遣し、全金属製機の製造技術を取得させることとした。これ以降川崎とドルニエ社の関係は緊密なものとなった。ドルニエ社は、設計の完了後リヒャルト・フォークト技師等7名を川崎に派遣し、彼等の指導の下に細部を陸軍の規格に合うよう手直ししながら、2機の試作機の製作にとりかかった。試作第1号機は、1926年(大正15年)1月に完成した。本機は飛行艇のような底面を持つ胴体に大型のパラソル型の主翼を持った全金属性の機体で、エンジンは主翼中央部の上に前後並べる形で配備されていた。これは、当時好評だったDo.Jと同じ形態で、Do.Jの陸上機版とも言える機体だった。エンジンはBMW VIを国産化したものを搭載する予定だったが、試作1号機においては国産化が間に合わず、イギリスから輸入したネイピア・ライオン エンジンを搭載した。

陸軍による審査の結果、性能的には不満が残るもののエンジンの強化等により性能向上が見込めるとされ、昭和3年(1928年)春に八七式重爆撃機として制式採用された。

爆弾1t以上搭載できる新鋭機として期待されたが、エンジンが馬力不足で低速だった上に安定性に欠け機体強度にも不安があったため、実戦部隊における本機の評判はあまり芳しくなかった。部隊では、本機を型番ともじり「鈍(Do.N)亀」と呼んでいた様である。また、1929年(昭和4年)8月に墜落事故を起こしたことから生産機数の制限を受け、1932年(昭和7年)までに川崎で28機(試作機2機、生産型26機)を生産しただけで生産打ち切りとなった(川崎の他に陸軍砲兵工廠で数機生産されたという資料もある)。

しかしながら、本機の爆弾搭載量は前線ではかなり有効であり、満州事変においては約80tの爆弾を投下しそれなりの戦果をあげた。そして、陸軍の主力重爆撃機として1935年(昭和10年)頃まで使用された。

性能諸元 全長: 18.50 m 全幅: 26.80 m 全高: 5.25 m 主翼面積: 121.00 m2 自重: 5,100 kg 全備重量: 7,700 kg 発動機: 川崎 ベ式四五〇馬力発動機(BMW-6) 水冷V12気筒 450 hp×2

最大速度: 180 km/h 航続距離: 6 時間 実用上昇限度: 5,000 m 乗員: 6 名 武装:7.7 mm機銃×35 爆弾 最大1,000 kg

ドルニエ Do 212

4座席の水陸両用の実験機である。ドルニエのスイス工場で製作された。1938年にドイツのドルニエとスイスの工場で設計が始められ、試作機はスイス工場が製作した。全金属機で翼端にフロートを取り付け、460 bpの空冷12気筒エンジンは胴体内に収納され、水面から離れて取り付けられた推進式の4枚羽のプロペラを12度傾いたシャフトで駆動するという設計がなされた。初期の滑走試験の結果、翼端フロートが大きくされた。194283日、離水試験が行われたが、離水できなかった。Do 24によって牽引され離水したが、不安定な飛行特性のためにパイロットはすぐに着水させた。試験飛行はそれで終わった。延長シャフトに伴う問題やエンジンの冷却の問題が明白となり、開発は中止され試作機は1943年に廃棄された(=ウィキペディア)

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