私の世界・知らない世界―世界の11の暗殺現場!?(その5:ジョン・レノン暗殺の現場、ダコタハウス)
ネットのCNNのニュースの「世界の11の暗殺現場」からですが、「歴史的な災害や虐殺現場の跡地を巡る「ダークツーリズム」が昨今人気になり、その中でも暗殺現場となった場所は死と権力、名声が入り交じった事件を想起させ、訪れた者が犠牲者の遺志に思いをはせる場所になっている」ということだそうです。
今回は、そのジョン・レノン暗殺現場のダコタハウスで、ニューヨーク市のマンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにある高級集合住宅(コーポラティブハウス)です。1884年に建てられたものです。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんは部屋をライアンから借り、ライアンの死後、その部屋を購入したと言われているのです。
「こんなところに、夢でもいいから住んでみたい・・!」と思うのですが、「ダコタハウス役員会の入居審査基準は、ニューヨークで最も厳しいとされ、単に資産や収入が多いだけでは入居できない」のだそうで、今までにビリー・ジョエル、シェール、メラニー・グリフィス、マドンナ・・などが入居を拒否されている」のです。
誰とは言いませんが、その理由かも? というものを少し挙げると、
・家がユダヤ系
・嗜好でも常に話題性に富み、臀部にはバタフライの刺青を入れるなど全身にあらゆるタトゥーを入れている
・離婚後、コカインと飲酒の問題を抱え、リハビリ施設に入所していたことがある
・「無礼で悪趣味、かつ挑発的」、「神への冒涜に近い」とカトリック聖職者らは非難。更には、「国に帰ったほうがいい」とイスラム教やユダヤ教の指導者からも非難の声が出ている。
というものです。これなら、自分もOK! で、審査を通る可能性があります。ただし、資産や社会的地位は除けてです。
以下は、ウィキの「ダコタハウス」にある外部リンクの“Dakota Building in Google Maps”から加工・編修したものです。
話は別に:子供の頃から、西部劇のジョン・ウェインが余り好きではありませんでした。インデアンの方に味方したいのです。大人になっても彼がタカ派のゴリゴリであることを知り余計に、自分の子供の頃の見識? を見直したのです。その意味で、ロバート・ライアンさんを後で少し紹介しておきました。
5.米ニューヨーク・ダコタハウス(ジョン・レノン暗殺、1980年12月8日)
1980年12月8日の深夜、レコーディング・スタジオから帰宅したジョン・レノンは、自宅アパートのダコタハウスの私道で4発の銃弾を受けて死亡した。
レノンの妻オノ・ヨーコは現在もこのアパートに住んでいる。
殺害現場となったダコタハウスに事件を示す碑はないが、セントラルパーク内にはレノンを追悼するためにオノが出資して作られたストロベリーフィールズと呼ばれる場所があり、そこにレノンの有名な楽曲である「イマジン」の文字が真ん中に書かれたモザイクの記念碑がある。
ダコタハウス (The Dakota、Dakota Apartments)
アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにある高級集合住宅(コーポラティブハウス)である。1880年着工、1884年竣工。
ここに住んでいたジョン・レノン(ビートルズ)が1980年12月8日、マーク・チャップマンに射殺された場所 (建物玄関前) としても知られている。
歴史
シンガーミシンの社長だったエドワード・クラークが、ヘンリー・J・ハーデンバーフに設計を依頼して、建てられた(後に2人はマンハッタンの「プラザホテル」の建設でもコンビを組んだ)。
当時、マンハッタンのアパートメント形式の住宅としては、2番目に着工された。
1972年に、アメリカ合衆国国家歴史登録財(NRHP)に選ばれ、1976年には、アメリカ合衆国国定歴史建造物(NHL)に指定された。
なお、ダコタハウスの役員会による入居審査基準は、ニューヨークで最も厳しいとされ、単に資産や収入が多いだけでは入居できない。今までにビリー・ジョエル、シェール、メラニー・グリフィス、マドンナ、カーリー・サイモン、アレックス・ロドリゲス、ジャド・アパトー、ティア・レオーニなどが入居を拒否されている。また、20年近くすでに入居者であった黒人の投資家がもう一戸を買い足そうとししたところ、役員会に拒否されたため、人種差別的であるとして訴訟を起こした。・・・
ジョンとヨーコ
1973年にダコタ・ハウスに転居。7階に2戸と別の階に3戸の計5戸を少なくとも所有しており、自宅のほかに、倉庫、ヨーコのスタジオ、ゲストハウスとして使用(倉庫にしていた1戸は2008年に売却)。ただし、1973年半ばから二人は別居状態にあり、ジョンは秘書で恋人のメイ・パンと暮らしていたため、1974年末までジョンは住んでいない。1975年にはここでショーンが生まれ、ジョンは音楽活動を一時休止して子育てに励んだ。1980年のジョンの死後もヨーコは住み続けており、毎年中庭で開かれる住民のポトラック・パーティ(食べものを各自が持ち寄るバーティ)では、ジョンの生前からの習慣を引き次いで毎回寿司を差し入れている。・・・
ロバート・ライアン(Robert Ryan, 1909年11月11日‐1973年7月11日)
アメリカの俳優。本名はRobert Bushnell Ryan。
イリノイ州シカゴに生まれ、父親は建築会社の重役だった。アカデミー・ダートマス・カレッジではスポーツ選手として活躍、特にボクシングでは4年間カレッジ・ヘビー級チャンピオンだった。卒業後はカウボーイ、水夫、モデル、セールスマン、借金の取り立て屋など職を転々とし、その後はハリウッド・マックス・ラインハルト・シアトリカル・ワークショップで演技を学び、1939年に舞台デビュー。翌年、端役として映画デビュー、ブロードウェイで経験を重ね、1942年にRKOと契約した。1949年にロバート・ワイズ監督の『罠』で主人公のボクサーを演じる。
私生活では赤狩りに真っ向から反対するなどリベラリストであった。1962年に超大作『史上最大の作戦』にて政治的にタカ派であったジョン・ウェインと共演した際、スタッフは政治の話を持ち出さないように、かなり気を遣ったというが、本人たちはさほど気まずい関係では無かったという。
後年はUCLAのシアター・グループに基金を設けるだけでは飽き足らず、自らカリフォルニア州に無宗派の私学校を設立するなど、後進の指導にも熱心に取り組んだ。
晩年は愛妻とほぼ同時にガンを宣告される不幸に見舞われ、1972年に妻が亡くなった後を追うように、翌年に死去した。(=ウィキペディア)
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