私の世界・知らない世界―ソロヴェツキー諸島への旅!?
ネットの“englishrussia.com”の「ソロヴェツキー諸島への旅」:“Trip To Solovetsky Islands”から適当に翻訳、選択・編修です。
ソロヴェツキー(Solovetsky)諸島にはイワン雷帝の支配下で、大きく頑強な砦が造られた場所です。そして何世紀もの間、修道院として利用されました。
現在も、大きな修道院があり、島にはおよそ800人が住んでいます。島はホワイト海の最中にあり、飛行機または船で行くことができ、ロシア正教の信者のための大切な巡礼の場所で、ルートは一年中混んでいます。
頑強な要塞や何トンという石でできている古代の迷宮(紀元前?)、非常に美しい北ロシアの自然やロシア正教の地ですが、一時期は強制収容所(ロシア十月革命後ソビエト連邦で最初に作られ、スターリンの時代に拡大)のあったところです。
以下、マップで見たソロヴェツキー諸島の場所や“修道院辺り”と空港です。
ソロヴェツキー諸島の場所
修道院と空港
ソロヴェツキー諸島
白海オネガ湾に浮かぶ6つの島で構成される諸島である。ソロフキという略称で呼ばれる。行政上はロシアのアルハンゲリスク州に属すソロヴェツキー区である。ソロフキ空港が所在する。面積347km2、人口968人(2002年の調査)。
ソロヴェツキー修道院
クリミア戦争中のイギリス海軍によるソロヴェツキー修道院への砲撃。1868年のルボーク画。歴史的に諸島は有名なロシア正教のソロヴェツキー修道院で知られている。キリロ=ベロゼルスキー修道院(英語版)からやってきた2人の修道士により、15世紀後半に設立された。16世紀後半までに修道院はもっとも裕福な地主となり、またロシアにおけるもっとも影響力のある聖地となった。 現在の拠点とその主要な教会はイヴァン4世統治期初期に、モスクワ府主教フィリップ2世の依頼で石で建造された。ニーコンの改革とそれに続く古儀式派への迫害はこの修道院にも及んだ。修道士たちは断固として従来の信仰を守り、皇帝の代理人を追放したため、皇帝アレクセイの軍隊による8年に及ぶソロヴェツキー修道院包囲攻撃(英語版)を招き、最終的に多数の修道士が殺害された。
ロシアの帝政期を通じて、修道院は強固な要塞として知られ、リヴォニア戦争(16世紀)、大動乱期(17世紀)、クリミア戦争(19世紀)、ロシア内戦(20世紀)と外敵を退け続けた。
強制収容所
ロシア十月革命後、諸島はソビエト連邦最初の強制収容所となり、他のソビエトのグラグ(強制労働収容所・矯正収容所)のモデルとなった。レーニンがまだソビエトを統治していた1921年、収容所として開設された。収容所の規模はヨシフ・スターリンの時代に一気に拡大され、1923年の頃には4000人収容していたのが、1927年頃には2万人、1930年代はじめには65万人(大陸にある複数の支所収容所含む)もの人々がここへ連れてこられ、奴隷労働を強いられるようになった。飢餓と伝染病と看守の暴行などにより何万という囚人がここで死亡した。特に1929年にはチフスの伝染で一気に2万人が死亡している。(=ウィキペディア)
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