私の世界・知らない世界―世界の11の暗殺現場!?(その9:マルコムX、トマス・ベケット、レオン・トロツキー暗殺の場所)
ネットのCNNのニュースの「世界の11の暗殺現場」からですが、「歴史的な災害や虐殺現場の跡地を巡る「ダークツーリズム」が昨今人気になり、その中でも暗殺現場となった場所は死と権力、名声が入り交じった事件を想起させ、訪れた者が犠牲者の遺志に思いをはせる場所になっている」ということだそうです。
今回は、「その9:マルコムX暗殺の“ニューヨーク・オーデュボン舞踊場”」と「その10:トマス・ベケット暗殺の“イングランド・カンタベリー大聖堂”」、「その11:レオン・トロツキー暗殺の“メキシコ市コヨアカン・トロツキー邸”」です。
“ニューヨーク・オーデュボン舞踊場”の場所は“ニューヨーク ワシントンハイツ地区 ブロードウェイ”でマップ検索してポイントを拡大すると現場の説明が出てきます。
“イングランド カンタベリー大聖堂”はそのままマップ検索でOKです。
“メキシコ市コヨアカン・トロツキー邸”はそのままマップ検索は無理です。“コヨアカン”を検索すると、ウィキの説明に「トロツキーの住んでいた家はレフ・トロツキー博物館(Museo Casa de Leon Trotsky)」とあるので、“Museo Casa de Leon Trotsky”でマップ検索するとOKです。
9.米ニューヨーク・オーデュボン舞踊場(マルコムX暗殺、1965年2月21日)
オーデュボン舞踊場は、アッパー・マンハッタンにある施設で、劇場、舞踊場、音楽堂として使用された。マルコムXが創立したアフリカ系アメリカ人統一機構(OAAU)は1964年から65年まで、毎週、同地で会合を開いていた。
マルコムXはその会合の最中に、黒人の民族的優越を説くイスラム運動組織ネーション・オブ・イスラム(NOI)のメンバーに射殺された。マルコムは10年以上もの間、NOIの最も著名なメンバーの1人だったが、暗殺される前年にNOIを脱退していた。
暗殺現場となったオーデュボン舞踊場は、1992年にバイオテクノロジーの研究センターに改装されたが、建物の正面は当時のまま保存されている。また2階はマルコムX・ベティ・シャバズ記念教育センターという教育施設になっており、壁にはマルコムXの生涯を描いた壁画が飾られている。
10.イングランド・カンタベリー大聖堂(トマス・ベケット暗殺、1170年12月29日)
イングランド王ヘンリー2世の治世時代のカンタベリー大司教トマス・ベケットは、イングランドで最も力のある司教のうち3人を破門し、ヘンリー2世を激怒させた。
ヘンリー2世は、かつて親友だったベケットを排除したいとつぶやいたという。王の意をくんだ4人の騎士がベケット殺害のため、カンタベリー大聖堂に向かった。ベケットは騎士たちが向かっていることを知らされたが、「誰であれ、教会への立ち入りを禁ずるべきではない」と述べ、大聖堂の扉を閉ざすことを拒んだ。
ベケットが殺害されたされる北西翼廊内の区画は「マータダム」(殉教の意味)と呼ばれ、ベケット殺害時に剣先が折れた逸話に絡んで「剣先の祭壇」が設置されている。
11.メキシコ市コヨアカン・トロツキー邸(レオン・トロツキー暗殺、1940年8月21日)
スターリンとの権力闘争に敗れメキシコに亡命したトロツキーは、同地でアイスピックで後頭部を刺され殺害された。
殺害現場である要塞化されたトロツキーの自宅は、1990年にトロツキーの死後50年を機に博物館として公開された。敷地の中央にあるトロツキーが妻と過ごした建物は、当時のまま保存されており、トロツキーの日記は殺害された日のページが開かれた状態で置かれている。
庭園には旧ソ連の国旗にも描かれたハンマーと鎌のマークが彫られたトロツキーの墓石がある。他の建物にはトロツキーの写真が展示されている。
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