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2014年9月29日 (月)

私の世界・知らない世界―世界の11の暗殺現場!?(その6:キング牧師、ラスプーチン、フェルディナント皇太子暗殺の場所)

ネットのCNNのニュースの「世界の11の暗殺現場」からですが、「歴史的な災害や虐殺現場の跡地を巡る「ダークツーリズム」が昨今人気になり、その中でも暗殺現場となった場所は死と権力、名声が入り交じった事件を想起させ、訪れた者が犠牲者の遺志に思いをはせる場所になっている」ということだそうです。

今回は、「その6:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺の“メンフィス市内のロレインモーテル”」と「その7:グリゴリー・ラスプーチン暗殺の“サンクトペテルブルク・ユスポフ宮殿”」、「その8:フェルディナント皇太子暗殺の“ボスニア・サラエボ・ラテン橋付近”」です。

米テネシー州メンフィス・ロレインモーテルは、国立公民権博物館となっているので“NATIONAL CIVIL RIGHTS MUSEUM”で検索すればマップで見ることが出来ます。

ロシアのサンクトペテルブルクは有名な史跡が多く“ユスポフ宮殿”を探すのは至難の業ですが、“Yusupovskiy dvorets”でマップを検索すれば直ぐです。

“ボスニア・サラエボ・ラテン橋”は、そのままマップ検索すればよく、余りにも有名過ぎるのでしょう。

6.米テネシー州メンフィス・ロレインモーテル(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺、1968年4月4日)

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ノーベル平和賞受賞者であるキング牧師は、メンフィス市内のロレインモーテルのバルコニーでジェームズ・アール・レイに撃たれた。当時キング牧師は、ストライキを行っていた市職員らのデモ行進を支援するために同市を訪れていた。

暗殺現場となったロレインモーテルは、地元住民の資金提供により、国立公民権博物館となった。キング牧師がよく利用した306号室と308号室やモーテルの外装が当時のまま保存されている。

7.ロシア・サンクトペテルブルク・ユスポフ宮殿(グリゴリー・ラスプーチン暗殺、1916年12月)

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ロシアの宮廷貴族らは、あごひげを生やした熊のような大男で、不思議な癒しの力を持つと自ら主張するラスプーチンが、ロシアの王族に対し過度の影響力を及ぼし始めたことに危機感を抱いた。そしてある晩、ユスポフ宮殿でラスプーチン殺害計画が実行された。

しかし、これが一筋縄ではいかなかった。最初に毒入りケーキを食べさせたが殺害できず、2発の銃弾を撃ち込んでも生きていた。その後致命傷となる銃撃を受け、殴る蹴るの暴行を受けた後、念を入れて凍り付いた川の中に投げ込まれた。

現在、ユスポフ宮殿の黄色い優雅な建物は博物館として一般公開されている。ラスプーチン暗殺に関する展示品もあり、英語とロシア語のツアーも行われている。

8.ボスニア・サラエボ・ラテン橋付近(アーキデューク・フランツ・フェルディナント皇太子暗殺、1914年6月28日)

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オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子を暗殺したガブリロ・プリンツィプは、裁判で自分は同国からの独立を目指すユーゴスラビアの民族主義者だと述べた。

プリンツィプは、オーストリアのフェルディナント皇太子の車が止まる直前、サラエボのラテン橋からすぐの脇道にある食料品店の外に立っていた。当時まだ19歳だったプリンツィプは、皇太子の首を撃ち、さらに皇太子の妻ゾフィーの腹部を撃った。皇太子夫妻はボスニア総督官邸に運ばれたが、2人とも死亡した。このサラエボ事件がきっかけとなり、第1次世界大戦が始まった。現在、事件現場となった交差点の角にサラエボ博物館がある。

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