私の世界・桂の歴史―桂大橋の歴史!?
「京都市歴史資料館」の“桂川西岸の村社会”特別展の配布資料にある桂大橋の話ですが、ウィキにも“桂大橋”があり、
1905年:近代的な桂大橋が架設される
1928年:現在の桂大橋が開通
1982年:拡幅工事が完成
とされています。
1905年というのは日露戦争(1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年)9月5日))の最中、明治の後半に架設されたものです。
今の桂大橋は1928年の昭和3年に開通、その年は2月20日に大正デモクラシーの成果の最初の普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)が行われたのです。一方で6月4日に張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)が起こり、7月に特高(特別高等警察)が設置され、戦争の臭いが色濃く漂い始めた頃です。
現在の桂大橋
なお、1982年に拡幅工事が完成しています。
“桂川西岸の村社会”特別展の配布資料の中の「山陰街道の往来と桂川」の下りに、
元文4年(1739年)には、下流の牛ヶ瀬村にある土橋により、渡船の利用者が減少したとして、下桂村の業者が訴訟を起こしている。渡船業者はさらに下流の淀にも船荷の運搬について申しれを行っている。
とあります。
つまり、江戸時代中頃は、当然橋がなく渡し舟だったのですが、牛が瀬には土橋が出来ていたのです。
なお、元文4年は初の黒船(ただし、ロシア)の年です。
そして“渡リ舟”を生業としている下桂の村人たちの権利意識? というか、「はっきり文句を言って、可能なら別な提案・・」は感心するものです。
今なら、下流に橋が出来て渡船の生業が出来ないは「かなり、いちゃもん的・・」に感じるのです。例えば、小売商店街の近所に“大規模スーパーの進出”に訴訟はない話、今の方が「なく子と地頭に勝てない」、や「長いものにまかれろ」なのでは? と思ってしまいます。
「1905年:近代的な桂大橋が架設される」までずっと“渡し舟”とは思えないので、牛ヶ瀬のような土橋がいつ頃出来たか? は課題として残るものです。
元文の黒船
日本の江戸時代中頃の元文4年(1739年)夏、牡鹿半島、房総半島、および伊豆下田などに、ロシア帝国の探検船が来航した事件である。アメリカ合衆国の黒船(米国東インド艦隊ペリー提督)による、嘉永期の黒船来航に114年先立つ、いわゆる「鎖国」期における、江戸幕府とロシア帝国との初めての接触であった。
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