私の世界・知らない世界―“ガリポリの戦い”と日本!?
「ガリポリの戦い(Battle of Gallipoli)」とは、「第一次世界大戦中、連合軍(イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国に日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に参戦)が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブル占領を目指し、ダーダネルス海峡のガリポリ半島に対して行った上陸作戦・・」です。
ロシアやドイツなどが別に入るので図式は少し違うのですが、十字軍を持ち出さなくとも「西欧諸国連合国とイスラムの国(オスマン帝国:トルコ)の戦い」と言えなくもないのです。
「連合軍は、当時国家として末期症状であったオスマン帝国軍を軽んじて短期決戦を想定して挑んだものの、オスマン側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わった・・」というものです。
ダーダネルス海峡とガリポリ
歴史に銘記されるのは、この戦いが西欧連合軍の敗退と陸・海・空3軍の総力を結集した大規模上陸作戦としては世界初であったことです。
ウィキによる、この戦の各国軍の戦死・戦傷は、
・オスマン帝国軍 : 戦死86,692人、戦傷164,617人
・イギリス軍 : 戦死21,255人、戦傷52,230人
・フランス共和国軍 : 戦死約10,000人、戦傷約17,000人
・オーストラリア軍 : 戦死8,709人、戦傷19,441人
・ニュージーランド軍 : 戦死2,701人、戦傷4,852人
・イギリス領インド帝国軍 : 戦死1,358人、戦傷3,421人
・カナダ軍 : 戦死49人、戦傷93人
となり、これ以外に長い塹壕戦のため約140,000人の連合軍兵士が腸チフスや赤痢で病死したと推定され、どちらが勝ったというものではありません。
なお、日本との関係では、「この作戦でオーストラリア軍の海上護衛を連合国の主要国の1つである日本海軍が引き受けていた。また、オーストラリア軍の装備には、ジャパニーズ迫撃砲のような日本製兵器も多く含まれていた。この当時のオーストラリアには兵器を製造できるだけの工業力がなく、多くを輸入に頼っていた(=ウィキペディア)」ということです。何か最近の動きは、“何時か来た道”感があると思いませんか?
ガリポリの戦い(Battle of Gallipoli)
第一次世界大戦中、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブル占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島(現トルコ領ゲリボル半島)に対して行った上陸作戦。ガリポリ半島とは英語名であり、現在トルコ語でゲリボル半島と呼ばれている。また、ガリポリ(ゲリボル)の町は半島の付け根にあり主戦場から外れている。イギリスではこの戦いをダーダネルス戦役と、トルコではチャナッカレの戦いと呼ぶ。連合軍は、当時国家として末期症状であったオスマン帝国軍を軽んじて短期決戦を想定して挑んだものの、オスマン側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わった。この戦いは陸・海・空3軍の総力を結集した大規模上陸作戦としては世界初と言える。また連合国軍に参加したオーストラリアとニュージーランドにとっては初の本格的な海外遠征となった。・・・
第一次世界大戦(World War I)
大正三年(1914年)から大正7年(1918年)にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。
ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。・・・
当時のヨーロッパ列強は複雑な同盟・対立関係の中にあった。列強の参謀本部は敵国の侵略に備え、総動員を含む戦争計画を立案していた。1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に、各国の軍部は総動員を発令した。各国政府および君主は開戦を避けるため力を尽くしたが、戦争計画の連鎖的発動を止めることができず、瞬く間に世界大戦へと発展したとされる。
各国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。多くの人々は戦争が早期に(「クリスマスまでには」)終結すると楽観していた。しかし、機関銃の組織的運用等により防御側優位の状況が生じ、弾幕を避けるために塹壕を掘りながら戦いを進める「塹壕戦」が主流となったため戦線は膠着し、戦争は長期化した。この結果、大戦参加国は国民経済を総動員する国家総力戦を強いられることとなり、それまでの常識をはるかに超える物的・人的被害がもたらされた。
長期戦により一般市民への統制は強化され、海上封鎖の影響により植民地との連絡が断たれた同盟諸国は経済が疲弊した。1918年に入るとトルコ、オーストリアで革命が発生して帝国が瓦解。ドイツでも、11月にキール軍港での水兵の反乱をきっかけに、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ大戦は終結した。足かけ5年にわたった戦争で900万人以上の兵士が戦死し、戦争終結時には史上2番目に犠牲者の多い戦争として記録された。
また、この戦争はボリシェヴィキがロシア革命を起こす契機となり、20世紀に社会主義が世界を席巻する契機ともなった。・・・(=ウィキペディア)
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