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2015年10月11日 (日)

私の世界・面白い話のネタ―「西部開拓時代(よき日?)の無法者(英雄or義賊?)J・ジェームズの新たな写真・・!?」

ネットのCNNのニュースから「テキサス州ヒューストンの警察の犯罪科学専門家は4日までに、米西部開拓時代に銀行襲撃などを繰り返す無法者として知られたジェシー・ジェームズとその一味の一員でジェームズを殺したとされるロバート・フォードが並んで写っているとみられる写真を発見したと発表した」という話ですが、ジェームズ一家の写真一枚に何故かアメリカ人が拘ります。

アメリカ、特に南部の人は無法者のジェシー・ジェームズが好き? というか、義賊と思っているようなのです。

まず、「16歳のジェシーは兄とともに南軍のゲリラ部隊に参加し、殺人や強盗を覚えた」ということで若気の至りで仕方なく強盗団になり、その対象となるのは北部の資産家が経営する銀行やお金持ちが乗る鉄道、半分は戦争に負けた意趣返し的な感じもあるのです。

「こんな、おいらに誰がした・・!?」ということで、ウィキのジェシーの写真で29歳です。

ジェシー・ジェイムズ(1876年、29歳)

Photo 

写真では端正な顔立ちで瞳も澄んでいる若者に見え、一目でファンになってしまう女性が多く居ても不思議ではありません。

そして以下の「ジェシー兄弟の伝説」の1つを読んでしまうと、若い拳銃を持った強盗団を「許してやってもいい・・」という気分になるかも?

「また、ジェシー兄弟は南軍の兵士やその未亡人に親切であったことから、未亡人にまつわる伝説も残されている。兄弟がとある農家で未亡人から食事をご馳走になったおり、女性から「この農場でもてなせるのも今日までで、明日からは1,400ドルの借金のために人手に渡る」と打ち明けられた。するとジェシー兄弟は1,400ドルを贈り物として未亡人に残し、驚く未亡人をおいて農家を後にする。しばらくすると農家に借金取りが訪れ、1,400ドルを取り立てて帰っていくが、帰り道にはジェシー兄弟が待ち伏せており、まんまと1,400ドルを取り返すという内容である。」

『西部開拓時代の無法者J・ジェームズ、新たな写真発見か 米

2015.10.04 Sun posted at 16:47 JST

(CNN) 米テキサス州ヒューストンの警察の犯罪科学専門家は4日までに、米西部開拓時代に銀行襲撃などを繰り返す無法者として知られたジェシー・ジェームズとその一味の一員でジェームズを殺したとされるロバート・フォードが並んで写っているとみられる写真を発見したと発表した。

ワシントン州に住む家族が保持していた鉄板写真で、2人の間にまだ信頼関係があった時期の1枚と推測している。同専門家のロイス・ギブソン氏はフェイスブックで、フォードが当時、犯罪社会で「伝説的人物」だったジェームズと一緒の撮影を望んだ末の写真として見ている。

2人が並んで椅子に座っている写真の撮影日時は不明。ジェームズは右側に写っている。フォード兄弟はジェームズ率いるギャングのメンバーだった。米ミズーリ州の歴史研究団体によると、弟のロバートは1882年、ジェームズ逮捕にかかっていた懸賞金1万ドル欲しさに後頭部を銃撃して殺したとされる。

ロイス・ギブソン氏は警察で犯罪者の顔貌(がんぼう)の想像図作成などの仕事に就いている。今回の写真発掘については、2人のものとして知られていた既存の写真と比較対照し、本人と断定したという。

写真を所有していた家族の女性によると、この1枚は2003年、祖母から売却して土地購入の資金を作るようとの指示を受けて譲られていた。同家族の間には祖先がジェームズやその一味を時々かくまっていたとの逸話も伝えられていたという。

ヒューストンの地元紙の取材に、写真の売却を長年試みていたが、ジェームズとフォードのものとは誰も信じず、話を聞こうともしなかったと明かしている。

米ボストンの競売商「PRオークション」の幹部によると、写真の価値は途方もなく高い可能性があると指摘。仮に本物と判明すれば、驚きの1枚としながら、より多くの分析が必要とも述べた。

ジェシー・ウッドソン・ジェイムズ(Jesse Woodson James184795? 188243日)

アメリカ西部開拓時代のガンマン、無法者。ミズーリ州カーニーにバプテスト派牧師の子として生まれた。4歳年上の兄フランク・ジェイムズがいる。

実家は奴隷を労働力に使うタバコ農園を経営していたが、南北戦争が始まると兄のフランクが南軍に参加した。1864年、16歳のジェシーは兄とともに南軍のゲリラ部隊に参加し、殺人や強盗を覚えた。

終戦後、兄のフランクや元戦友のコール・ヤンガーとその兄弟たち(ジム・ヤンガー、ジョン・ヤンガー、ボブ・ヤンガー)とともに強盗団「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング」を結成して、銀行や列車を襲い殺人を繰り返した。1876年、ミネソタ州ノースフィールドで銀行を襲い、仲間のヤンガー兄弟は逮捕されたが、ジェイムズ兄弟は逃走に成功し、偽名を使って潜伏した。ほとぼりが冷めた頃、ボブ・フォードとチャーリー・フォードの兄弟を加えて再び強盗を繰り返した。1882年、ミズーリ州政府がジェシーを10,000ドルの賞金首とすると、それを狙って裏切ったフォード兄弟に射殺された。一方、兄のフランクはその半年後に州知事の下へ自首し、以降は平穏な生活を送ったため、ジェシーの悲劇的な最後を際立たせることとなった。

1866213日に、アメリカでジェシー・ジェイムズが世界初の銀行強盗に成功したことから、213日は「銀行強盗の日」となっている。・・・

敬虔なキリスト教徒、甘いマスクの美男子、フロンティアの郷愁を漂わせる名前。極悪非道の重罪人にもかかわらず、その悲劇的最後は人々の同情を集め、強者に立ち向かうロビン・フッドのイメージに重ね合わせる者もおり、ジェシーは伝説化した。『ジェシー』ファンの中には、彼は逃走して20世紀まで生き伸びたと信じている者もいる。

ジェシー兄弟の伝説

ジェシー兄弟の人気を高めたエピソードの一つとして知られているのが、18729月のカンザスシティ襲撃でのエピソードである。その日、カンザス・シティでは秋祭りが開かれ、競馬を中心として30,000人の群集が詰め掛けていた。競馬も終了し、会計係が収益を集めて10,000ドルを銀行へ輸送しようとした午後4時頃、3人の騎乗の男たち(ジェシー兄弟、ボブ・ヤンガー)が突如として襲いかかってきた。男たちは収益を奪うと疾風のように去っていき、銃で撃たれたり死亡したものはいなかったが、ただ少女が一人、馬の蹄にひっかけられて怪我をしてしまった。事件からまもなくして、「タイムズ」に一通の投書が届けられる。投書は先日の強盗の犯行を認めることと、同時に少女への治療代を支払う意思が表明されており、「自分たちは何百万ドルを盗んでも咎められない政治家たちよりは道義的に優れていることと、自分たちは自衛のため以外に人を殺さず、金持ちから金を奪って貧乏人に配っている」と釈明がなされていた。投書が本人によるものか未だわかってはいないがその内容は公表され、ジェシー兄弟の伝説化に貢献した。***(上の本文に掲載)

これらのエピソードの真偽は不明であるが、ジェシー・ジェイムスが収奪の対象を実業家らに限定した、ある程度の「義」と呼ばれるものをもっていたのは確かであり、1920年代になるとその義は次第に注目を集めるようになっていく。1925年にロバータス・ラヴが『ジェシー・ジェームスの盛衰』を出版するとジェシーの人物像が知れ渡るようになり、ビリー・ザ・キッド同様にアウトローの象徴として英雄視されるまでになっていった。・・・(=ウィキペディア)

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