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2016年5月29日 (日)

私の世界・知らない世界―「広島へ投下された核爆弾はどの程度の威力だったのか・・!?」

ネットのCNN(本元の英語版)のニュースから、オバマ大統領が広島を訪問した記事の最初の見出しが知りたかったのですが、「広島ではオバマを、どんなことが待ち受けていたのか」:“Obama at Hiroshima: What to watch for”という見出しでした。(この訳でよいかどうか? 誤訳ならスイマセン)

そしてその最初の項目が「オバマの訪問は日本の人々にとって、どのようなに感じられるのか?」:“What does Obama's visit mean to the Japanese people?”となっていました。

記事の内容は、いろいろ報道されているので略しますが、以下に紹介するのは記事の中にある核爆弾の威力の規模を示す図です。

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「広島へ投下された核爆弾はどの程度の威力だったのか?」:“How powaful was Hirosima?”となっていて、最初の点が広島に投下された原子爆弾のリトルボーイ(約15kt)、その次が長崎のファットマン(約21kt)で、その威力を示しますが、1945年当時、壊滅的な破壊力であったものが、点にしかならないのはその後の核開発で次々と大型化し、ツァーリ・ボンバ(50000kt)に到るまで人間の果てしない破壊欲(もっと凄いやつが欲しい!)、より強大な武器への願望(米ソ冷戦による持たないと負けるという恐怖心?)のなせる業です。

リトルボーイ(Little Boy)とファットマン(Fat Man

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B53

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ツァーリ・ボンバ

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ただし、おどろおどろしい50メガトン級の水爆も恐ろしいとは思いますが、その後の開発は命中精度を競うようになります。つまり、小型化してその使用がより現実的なものになっている恐ろしさがあるのです。

メータ単位の精度であれば広島よりも小さな破壊力(の核爆弾)で、敵の中枢部に致命的な打撃を与えることが出来るのです。

注)中枢部と言葉を濁しましたが、例えばシェルターに隠れている重要人物や先制攻撃で核ミサイル施設の無力化が可能ということです。

リトルボーイ(Little Boy

第二次世界大戦においてアメリカ軍が広島市に投下した原子爆弾(ガンバレル型ウラニウム活性実弾 L11)のニックネームである。いわゆる「広島原爆」「広島型原爆」である。

これは、人類史上初めて実戦で使用された核兵器である。原子力災害(核実験、原発事故など)や自然災害(地震、台風、隕石衝突など)の規模を表記する際に、このリトルボーイを基準に「広島原爆n個分」と換算されることもある。

全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。番号はMk.1。ウラン235を用いており、二分されたパイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を火薬の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、臨界量を超過させて起爆するガンバレル型である。

積載されたウラン50kgのうち、1kgが核分裂反応を起こしたと推定されている。核出力はTNT換算で約15kt5.5 × 1013ジュール)である。

ファットマン(Fat Man、「太った人間」の意味)

第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された原子爆弾である。

イギリスの保守党の政治家であるチャーチル首相にちなんで名づけられたという噂もあるが、マンハッタン計画に参加した物理学者ロバート・サーバー(Robert Serber)によると、彼は映画「マルタの鷹」のキャラクター「Kasper Gutman」から名づけたのであるという。アメリカ軍の分類番号はMk.3であり、大戦後も製造が継続された。最初の一発は194589日に長崎市に投下され、実戦使用された核兵器であり、この長崎に投下された原子爆弾、「インプロージョン方式プルトニウム活性実弾 F31」だけを指すこともある。

アメリカ民主党の政治家ルーズベルト大統領にちなんだ Mark 2ThinMan) というガンバレル型プルトニウム型爆弾が開発中止され、インプロージョン型原爆であるファットマンへと移行した。

アイビー作戦 (Operation Ivy)

アメリカ合衆国が195211月にマーシャル諸島のエニウェトク環礁で行なった核実験である。本実験はタンブラー・スナッパー作戦に続いて実施されたもので、本作戦に引き続いてはアップショット・ノットホール作戦が実施されている。

111日のマイク実験 (Mike) 1116日のキング実験 (King) 2回が行なわれた。

マイク実験は史上初の核融合兵器の実験であり、テラー・ウラム型に基づく多段階式核融合兵器であった。核融合燃料には液体重水素が用いられている。そのため、極低温に冷却する必要があり、機材は非常に大掛かりで、マイク実験装置は73.8トンもの重量があった。マイク実験の際、直径5kmの火球が出現し、キノコ雲は最大で高さ37km、幅161kmにも達した。実験後、爆弾が設置されたエルゲラブ島は跡形もなく消滅し、直径1.9km、深さ50mにも及ぶ巨大なクレーターが残された。

キング実験は大威力核分裂兵器・Mark 18の実験であり、それまでの核分裂兵器としては最大威力の実験となった。これは核融合兵器のバックアップとしての大威力兵器の意味合いがあった。B-36によりルニット島の北方610m地点から投下され、上空450mで炸裂した。

B53

アメリカ合衆国が配備していた核爆弾(水素爆弾)である。メガトン級の核出力を有する戦略目的の核爆弾であり、W53核弾頭も同等の弾頭を使用している。キューバ危機により米ソの対立が深まった時期に生産され、冷戦の象徴とも称された。

発は、1955年にロスアラモス国立研究所で開始された。1962-1965年まで生産が行われ、350発が生産された。搭載航空機は、アメリカ空軍のB-47B-52B-58などの大型爆撃機であり、各機種とも1発のみ搭載できる。投下に際しては、三段階のパラシュート展開により、レイダウン投下が可能となっている。プライマリー部にはプルトニウムを用いず、高濃縮ウランを用いている。核融合燃料は、リチウム6同位体を用いた重水素化リチウムである。

最大威力が9メガトンと大きく、1997年にB61 Mod 11地中貫通爆弾に更新されるまでは、地下施設破壊用に配備されていた。これは、地表面での核爆発による衝撃波で、地下施設を破壊するものである。

W53核弾頭については、タイタン II大陸間弾道ミサイルの弾頭として1987年まで配備されていた。これは、単弾頭ミサイルとして、Mk.6再突入体内に搭載されていた。

20111025日に、最後まで保管されていた1発がテキサス州アマリロの核施設にて解体されたことが国家核安全保障局から発表された。

ツァーリ・ボンバ(Tsar Bomba、「爆弾の皇帝」の意)

ソ連が開発した人類史上最大の水素爆弾の通称である。正式名称はAN602であり、開発時のコードネームはイワン(Иван)であった。「ツァーリ・ボンバ」の名称は西側諸国が、クレムリンに展示されている世界最大の鐘ツァーリ・コロコル、世界最大の大砲ツァーリ・プーシュカになぞらえてつけたものであるが、現在はロシアでも広く用いられている。なお他国の文献で「正式名称」として使用される「RDS-220」「RN202」はキリル文字での正式名称「РДС-202」「РН202」をラテン文字に翻字したもの。

単一兵器としての威力は人類史上最大であり、19611030日にノヴァヤゼムリャで、唯一の大気圏内核実験が行なわれ消費された(以後製造されていない)。TNT換算で99000キロトン(約100メガトン)、実際の出力は後述のように、50メガトンに制限されたが、それでも広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍(リトルボーイは15キロトン)に達する。第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つといわれるこの100メガトン級核爆弾の核爆発は2,000キロメートル離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周した。(=ウィキペディア)

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