私の世界・知らない世界―「バングラデシュ政府、ロヒンギャ難民数千人を孤島に移送へ・・!?」
ネットのCNNのニュースから、「バングラデシュ政府の当局者は31日、CNNに対し、同国の難民キャンプに滞在するロヒンギャの難民数千人を無人島に移送する計画があることを明らかにした・・」と言う話です。
バングラデシュの難民キャンプで暮らすロヒンギャの人々(CNNより)
コックスバザール地区にあるロヒンギャ難民キャンプ(“Kutupalong
Refugee Camp”)の場所は“Ukhiya”という村? の近くにあり、その様子はストリートビューの写真で見ることが出来ます。
ロヒンギャ難民キャンプ(“Kutupalong Refugee Camp”)の場所
ロヒンギャ難民キャンプの写真(ストリートビューより)
ニューヨークタイムスにも「離島へ移されるバングラデシュのロヒンギャ難民」:“Rohingya Refugees in Bangladesh to Be Relocated to Remote Island”という記事からの居住地と移住先の写真です。
居住地と移住先
移住先の離島の場所は“Coconuts yangon”というサイトの写真の説明に “Nijhum Dwip,
an island near Thengar Char in the Bay of Bengal”とあり、“Nijhum
Dwip”はベンガル語でサイレント島(静かな島)です。
移住先のサイレント島
日本人にはロヒンギャ難民問題が何の関係もないことのようですが、
「・・・第二次世界大戦中、日本軍が英軍を放逐しビルマを占領すると、日本軍はラカイン人仏教徒の一部に対する武装化を行い、仏教徒の一部がラカイン奪還を目指す英軍との戦いに参加することになった。これに対して英軍もベンガルに避難したムスリムの一部を武装化するとラカインに侵入させ、日本軍との戦闘に利用しようとした。・・・」
とウィキにあるように、人事では済まないこと・・英軍ムスリム(ロヒンギャの兵)と日本軍仏教徒(ビルマ兵)を戦わせた・・を過去に犯しているのです。
『バングラデシュ政府、ロヒンギャ難民数千人を孤島に移送へ
(2017.02.01 Wed posted at
11:44 JST)
(CNN) バングラデシュ政府の当局者は31日、CNNに対し、同国の難民キャンプに滞在するロヒンギャの難民数千人を無人島に移送する計画があることを明らかにした。この島は雨季になるとしばしば土壌が水浸しになることから同当局者は計画について「恐ろしい、正気の沙汰ではない」と批判の声を上げた。
政府は新しい政令に基づき、難民キャンプに滞在しているロヒンギャの難民を19時間以上かけてテンガルチャール島に移送し、いずれミャンマーに送還する計画。
地元森林局によると、テンガルチャール島の面積は約3万ヘクタール。本土から約60キロ離れた無人島で、モンスーンの季節には豪雨によって大部分が水浸しとなる。
匿名で取材に応じた政府当局者によると、同島は年間を通じてほとんど近付くことができない環境にあり、地元の海賊が集まる場にもなっている。この当局者は「恐ろしいアイデアだ。移送ではなく、数千人を追放するに等しい」と計画を批判した。
国連によると、ロヒンギャの難民は6万9000人以上がミャンマーのラカイン州で2016年10月に起きた衝突を逃れ、バングラデシュに避難した。
ロヒンギャはミャンマーの国民として認められておらず、世界の中でも特に強い迫害に遭っている。治安部隊による弾圧を逃れてラカイン州から避難した人は合計で9万2000人に上ると伝えられている。』
ロヒンギャ(Rohingya people)
ミャンマーのラカイン州(旧アラカン州)に住む人々である。
ロヒンギャの居住地域は、ミャンマー連邦共和国西部にあるヤカイン州(旧アラカン州、古い発音ではラカイン州と発音)のブティーダウン (Buthidaung) とマウンドーの両市と、バングラデシュ人民共和国東部にあるチッタゴン管区コックスバザール周辺のマユ国境一帯にある。ロヒンギャ族の人々は、アラブ系部族の末裔で、ラカイン州に何世代にもわたって暮らしてきたと話す。かつてミャンマー西部に存在したアラカン王国に従者や傭兵として雇われ、また商人としてビルマ(現在のミャンマー)の間を頻繁に往来したため、その後バングラデシュ=ミャンマー国境に定住したムスリム(イスラーム教徒)がロヒンギャの始祖とされる。バングラデシュへ難民化したり、ミャンマーへ再帰還したりしたため、現在では居住地域が両国に跨っている。
・・・第二次世界大戦中、日本軍が英軍を放逐しビルマを占領すると、日本軍はラカイン人仏教徒の一部に対する武装化を行い、仏教徒の一部がラカイン奪還を目指す英軍との戦いに参加することになった。これに対して英軍もベンガルに避難したムスリムの一部を武装化するとラカインに侵入させ、日本軍との戦闘に利用しようとした。しかし、現実の戦闘はムスリムと仏教徒が血で血を洗う宗教戦争の状態となり、ラカインにおける両教徒の対立は取り返しのつかない地点にまで至る。・・・(=ウィキペディア)
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コメント
引用されている記事にも書いてありますが、島の名前はNijhum DwipではなくThengar Charです。
Googleマップでは"Char Piya"という名前で表示されます、全く違う島です。Nijhum Dwipには店も住民もいますがThengar Charには道路もありません。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thengar_Char
https://goo.gl/maps/6WLEfzQPPES2
投稿: 通りすがり | 2017年9月13日 (水) 17時29分