« 私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「Russian Blueが最高の11の理由・・のネコ!?」 | トップページ | 私の世界・知らない世界―「ルイボスティー(茶)って・・!?」 »

2017年6月17日 (土)

私の世界・知らない世界―「バルト三国って・・・!?」

今日の朝、テレビを見ているとラトビアの旅が出ていて「ラトビアって、バルト三国やん・・!?」と思わず叫び、「ラトビア、リトアニア・・」で詰まり、もう一つが出てきません。仕方なくウィキを見て、エストニアを忘れていることが分かりました。

バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国、エストニア、ラトビア、リトアニアはバルト三国と呼ばれますが、国が成立(旧ソ連領)してからまだ30年経たない国、当然ながら団塊の世代は習っていません。

確か、世界史ではこの辺りはドイツ騎士団の領地? くらいの知識、テレビなどの影響か、何と無くバルト海に沿って妖精が住みそうな名前の国があるのは分かっていたのです。

エストニア、ラトビア、リトアニアそれぞれの首都がタリン(都市人口:396,193人)、リガ(725,578人)、ヴィリニュス(540,318人)までは知りませんでした。

バルト三国の場所

Photo

騎士団国家の地図(1260年)(ウィキより)

Doitu

ドイツ騎士団国(Deutschordensland):13世紀、バルト湾沿いで北方十字軍の期間、ドイツ騎士団により建国された十字軍国家である。

 ウィキよりエストニアの首都タリンの写真ですが、ストリートビューを見ると、旧市街では観光客の中でセグウェイを利用している人が居るのには驚きです。

エストニアの首都タリンの写真

00

Aa

セグウェイ (Segway® Personal Transporter, PT)

アメリカの発明家ディーン・ケーメンを中心に開発され、Segway Inc.から発売されている電動立ち乗り二輪車。初期モデル (HT) 開発時のコードネームはジンジャー (Ginger)

ラトビアの首都リガの写真と街の中央にある大規模な中央市場? のような施設です。

ラトビアの首都リガの写真

01

Bb01

Bb

リトアニアの首都ヴィリニュスの写真とヴィリニュスにある「スギハラ通り」と命名された通りは杉原千畝さんの功績を讚えるものです。

リトアニアの首都ヴィリニュスの写真

02

Sugi

杉原 千畝(190011日~1986731日)

日本の官僚、外交官である。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。19407月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがある。

【バルト三国】

バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国を指し、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアである。3か国ともに、北大西洋条約機構(NATO)および欧州連合(EU)の加盟国、通貨もユーロでシェンゲン協定(シェンゲン圏)加盟国である。

歴史的に、エストニアやラトビアは北欧諸国やドイツと、リトアニアはポーランドとのつながりが深く、また3か国はロシアとも深く関わってきた.

<民族>

エストニア人は、フィン人と近縁の民族で、エストニア語はフィンランド語と同じウラル語族である。一方、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族(印欧語族バルト語派の話者)である。リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトビアはリヴォニアを基礎としていたため、民族の覚醒は19世紀に起こる。これら別個の文化を共通化、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた少数民族のバルト・ドイツ人であった。

<近代までのエストニアの歴史>

近代まではドイツ語のエストラントという地名が主流であった。フィンランドと同じくフィン・ウゴル系民族である。ヴァイキングに侵攻を受けた後は、ロシア人やデーン人の侵略を受ける。ドイツ騎士団に支配された事もあるが、13世紀にデンマークが領有する。16世紀にリヴォニア戦争が起こると、その支配はスウェーデンに帰する(エストニア公国)。この時代は、スウェーデン・バルト帝国と呼ばれた。18世紀に起きた大北方戦争の結果、ロシア帝国の支配下に入る。

<近代までのラトビアの歴史>

古くは先住民族としてフィン・ウゴル系民族のリーヴ人が居住していたため、リヴォニアと呼ばれた(ドイツ風にリヴラントとも言われる)。13世紀にドイツ騎士団の一組織リヴォニア帯剣騎士団によって征服される。この騎士団は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発のバルト人に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、リトアニア、ポーランド王国によって支配を受ける。16世紀、リヴォニア戦争の後にこの地は分断され、南部はクールラント公国となった。17世紀に北部リヴォニアは、スウェーデン領となり、バルト帝国の一州となった。この地も大北方戦争やポーランド分割の後、18世紀に南北ともロシア帝国に帰することとなった。

<近代までのリトアニアの歴史>

中世にリトアニア大公国として栄える。元々は非キリスト教国家だったため、北方十字軍であるドイツ騎士団との抗争が繰り返された。しかしリトアニアはコサックの地であるウクライナ(ポドリア)の領有に成功する。1386年、ドイツ騎士団の侵略に耐えかねたリトアニアはキリスト教を受け入れ、ポーランド王国と同盟を組む。これがいわゆるポーランド・リトアニア連合である。リトアニア人は1430年まで自立していたが、以降ポーランドとの同君連合となり、リトアニアのすべての貴族階級はポーランド文化に同化した。そして1569年のルブリン合同によって、ポーランド・リトアニア共和国という政治的統一体が誕生すると、リトアニアはその構成国の一つとなった。以降のリトアニアはポーランドと運命を共にする。1795年、第3次ポーランド分割によってポーランド・リトアニア連合が消滅した際、現在のリトアニアの大半の地域はロシア帝国に編入された。

<近代以降のバルト三国>

三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命ののち、1918年に三国とも独立を達成した。しかし第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書を発端としてソ連とドイツによる占領が続いた。1940年にソビエト連邦に併合され、ソビエト連邦構成共和国であるエストニア・ラトビア・リトアニアの各「ソビエト社会主義共和国」として連邦政府の強い統制下に置かれた。1941年に始まった独ソ戦によりこの地域はナチス・ドイツの支配を受けたが、1944年から1945年にかけて再びソ連に占領された。戦後、ソ連は自らが得た戦前の旧ポーランド領の一部をリトアニアに編入し、現在に至るバルト三国の国境線が確定した。

1980年代後半、ソ連国内でペレストロイカが進展すると独立回復運動が高まり、1990311日に独立を宣言したリトアニア共和国では19911月にソ連軍との衝突で死者が発生した(血の日曜日事件)。その後、ソ連8月クーデター後の820日にそろって再独立を実現させ、同年12月のソ連崩壊へ大きな影響を与えた。

1991年には北欧理事会の情報事務所がバルト三国に開設されたほか、エストニア、リトアニア、ラトビアのバルト三国は北欧理事会への加盟希望を表明している。

1992年にバルト海諸国理事会が設立されると、三国ともに加盟。理事会は北ヨーロッパとバルト海周辺に位置する諸国による国際的な地域組織として設立・運営され、欧州連合も加盟した。

独立後は概ね三国が共同歩調を取って親米・親西欧の経済・外交政策を展開し、2004329日に三国そろって北大西洋条約機構(NATO)へ加盟した。同年51日には、やはり三国そろって欧州連合(EU)へ加盟した。同日に揃ってシェンゲン協定に調印した。・・・(=ウィキペディア)

|
|

« 私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「Russian Blueが最高の11の理由・・のネコ!?」 | トップページ | 私の世界・知らない世界―「ルイボスティー(茶)って・・!?」 »

旅行・地域」カテゴリの記事

知らない世界」カテゴリの記事

面白話・話のネタ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/568829/65424237

この記事へのトラックバック一覧です: 私の世界・知らない世界―「バルト三国って・・・!?」:

« 私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「Russian Blueが最高の11の理由・・のネコ!?」 | トップページ | 私の世界・知らない世界―「ルイボスティー(茶)って・・!?」 »