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2017年7月17日 (月)

私の世界・面白い話のネタ―『本当の「カリブの海賊」、その実像・・!?』

ネットのCNNの記事、「人々を魅了し続ける「カリブの海賊」、その実像に迫る<上>・<下>」と『写真特集:史料に見る「カリブの海賊」』から、本当の「カリブの海賊」、その実像についての話です。

海賊「黒髭」と英王立海軍将校との1718年の戦いを描いた絵画

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「海賊の黄金時代」の先駆け的存在だったヘンリー・エイブリー

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1708年にさかのぼる北中米の地図

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海賊にまつわる事件の説明も書きこまれたカリブ海の地図

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剣と斧を手にした女海賊のメアリー・リードとアン・ボニー

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黄金期の海賊たちの中で最も悪名をとどろかせた「黒髭」ことエドワード・ティーチ

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黒髭は身に着けた弾薬や火薬から炎や煙を発生させ、相手を威圧したという

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 ウィキによると海賊が世界の海を“跋扈”する「海賊の黄金時代」というのは、その成り立ち・性質(攻撃目標やライバル)から「1.バッカニーア時代(1650 - 1680年頃)」と「2.海賊周航時代(Pirate Round, 1690年代)」、「3.スペイン継承戦争以降の時代(1716 - 1726年)に分けられ、ヘンリー・エイブリーは「2.海賊周航時代(Pirate Round, 1690年代)」、「黒髭(ひげ)」ことエドワード・ティーチが活躍したのは「3.スペイン継承戦争以降の時代(1716 - 1726年)」です。

注)跋扈:「跋」は越える意、「扈」は竹やな》魚がかごを越えて跳ねること。転じて、欲しいままに振る舞うこと。また、のさばり、蔓延ること。

 「1.バッカニーア時代(1650 - 1680年頃) - イギリス人やフランス人の船りがジャマイカ島やトルトゥーガ島を拠点に、カリブ海や東太平洋を周航しスペイン植民地を攻撃した時代。

 2.海賊周航時代(Pirate Round, 1690年代) - バミューダ諸島や南北アメリカ大陸から長距離航路に乗り出し、インド洋と紅海のムスリム商船や東インド会社の船を襲った時代。

 3.スペイン継承戦争以降の時代(1716 - 1726年)- スペイン継承戦争が終結して職を失ったイギリス人、アメリカ人の水夫や私掠船員が海賊に転じ、カリブ海、アメリカ大陸東岸部、アフリカ西岸を襲撃した時代。」

 なお、若干ですが自分の性格からすると昔なら海賊にでも? という感じもあって憧れもなくはなく、“倭寇”は日本発祥の海賊と言われると、悪い気はしないのです。

 ウィキによると「カリブの海賊」よりも古く、「13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動・・」ということです。

 ただ、日本人はその一部で全部ではないと言われていますが、基本的に海賊行為は殺戮(殺して)と略奪(根こそぎ奪う)で東南アジアの人々に相当な迷惑をかけています。

倭寇の活動地域

 

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『人々を魅了し続ける「カリブの海賊」、その実像に迫る<上>

2017.07.15 Sat posted at 11:30 JST

(CNN) 財宝や名声、栄光を求めて荒海を突き進む海賊たち。歴史上に初めて登場して以来、その存在は大衆文化の一部となってきた。海賊の略奪行為についての物語は17~18世紀の人々を大いに魅了した。

300年後の現在でも、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」に登場する海賊ジャック・スパロウらの話は相変わらず人気がある。

だが、こうした海賊の描写は現実に基づくものなのだろうか。頭蓋骨(ずがいこつ)と交差した骨をあしらい、風にはためく黒旗などは実在したのだろうか。

答えは「イエス」だ。ただ、史実は大スクリーンで見るどんな物語よりも驚くべきものだ。

いわゆる「海賊の黄金時代」なるもののきっかけを作った人物を1人挙げるとすれば、それはヘンリー・エイブリーになる。

商船の乗員だったエイブリーは他の多くの水夫と同様、体制のあり方への幻滅を深めていた。

海賊についての著書があるコリン・ウッダード氏によると、こうした商船の多くでは、水夫たちが船長や船主から不当な扱いを受けていた。公正な賃金の支払いが行われず、傷んだ食事を与えられたり、補給物資が不足した状態での航海を余儀なくされたりしたという。

我慢は限界に達した。エイブリーは1694年、自由や富、栄光といった大義のもとに他の水夫を結集させ、船長が自室で寝ている間に闇夜に紛れて船を奪取した。

エイブリーらはインド洋に向かい、マダガスカル島を活動拠点として使用。すぐにインド皇帝に帰属する船に遭遇し、これを強奪した。今日の金額で2億ドル(約220億円)以上に相当する宝物を奪ったとされる。

世界中の海軍が摘発に動くなか、エイブリーはカリブ海バハマへと帆を進める。中心地ナッソーの知事を買収し、自船を捨て欧州行きの小舟に乗ることを認めさせた。

アイルランドに上陸すると、エイブリーは船員らに別れを告げた。そして略奪品とともに姿を消し、以降は2度と消息が伝えられていない。一部では財産をだまし取られ物乞いとして死んだと報じられたほか、海賊王としてマダガスカル島に帰還したとも伝えられた。

海賊史のポッドキャストを手掛けるマット・アルバース氏は「エイブリーに何が起こったのか、確かなことは誰にも分からない。だが、彼が当局に捕まらなかったのは事実だ」と述べる。

ただ当局の手から逃げ切ることができたのは17世紀の話だ。エイブリーに触発された18世紀初頭の男たちにとって、幸せな結末はほぼ皆無だった。

アルバース氏は「こうした有名な海賊について指摘できるのは、全員が捕まったということだ」と話す。

『人々を魅了し続ける「カリブの海賊」、その実像に迫る<下>

2017.07.16 Sun posted at 09:07 JST

(CNN) 17~18世紀、世界の海をまたにかけての略奪で悪名をとどろかせた海賊たちは、現在もなお小説や映画の題材になるなど人々の間で高い人気を誇っている。

自由な身分や一獲千金を夢見たこれらの海賊たちだが、当局の取り締まりで捕まれば死罪は免れない。航海中に遭難するリスクもついて回り、常に命を危険にさらして生きていたのが実態だった。記録に残っているほとんどの海賊は、悲惨な末路を迎えたことで知られている。

歴史上の海賊行為を専門に研究するデイビッド・ウィルソン氏は、当局が海賊の転落話を抑止力として広めようとしたと指摘。「将来の海賊を思いとどまらせるため、こうした男たちが海賊行為を通じて破滅したとのメッセージを発していた」と述べる。

その例は枚挙に暇がない。例えば、海賊の世界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ブラック・サム」ことベラミー。26歳だった1715年には、「ウィダー号」の船長として南北米大陸で最も恐れられる男になっていた。

ウィダー号は1717年、北米東部のコッド岬に向かう途中に嵐に見舞われ座礁、財宝を乗せたまま沈没した。160人あまりが死亡し、ベラミーの遺体はついに回収されなかった。

このほかに有名なのはジャック・ラカムの物語だ。ラカムは1720年に拘束され、絞首刑に処された。

ラカムの掲げた旗には頭蓋骨と交差した骨という、今日海賊旗と聞いて誰もが連想する図案が使われていた。このデザインは英作家スティーブンソンの小説「宝島」で有名になった。ウィルソン氏によれば、他船に恐怖を与えるため、海賊の旗には何らかの形で死の象徴が描かれていたという。

ラカムは逮捕の際にメアリー・リードとアン・ボニーという女性の海賊を伴っていたことでも有名だ。当時の女性海賊として知られているのはこの2人だけだ。

2人は絞首刑になる見込みだったが、出産を控えた母親は助かると知り、勾留中に見張りを誘惑して妊娠。極刑を免れ、当時ロンドンのメディアで大きなニュースとなった。

だが、最も大きく報道されたのは「黒髭(ひげ)」ことエドワード・ティーチだ。

海賊に関する著書のあるコリン・ウッダード氏によれば、金銭的な意味で最も成功を収めた海賊を挙げた場合、黒髭はトップ10にも入らないとみられる。黒髭が実在した海賊として群を抜いて有名なのは、恐怖のイメージを作り上げたためだという。

黒髭は恐怖によって世界の海を支配した。ぼさぼさの長いひげを伸ばし、貴族から盗んだ衣服を着て、ジェントルマンの身なりをした荒くれ者というイメージを打ち出した。弾薬や火薬も身に着け、戦闘の際はそれらから発する炎や煙で敵を威圧したという。

相手に恐怖を与える黒髭の戦術は奏功した。彼が殺害や傷害行為に及んだという記録はない。全員がただ降伏した。1718年、英王立海軍と繰り広げた最後の戦いまでは。

ウッダード氏によれば、黒髭の行方を追う水兵らを率いたのはロバート・メイナード大尉だった。勇敢な若い将校と海賊が船上で戦うという定番の話は、黒髭との決闘がモデルになったという。

黒髭はメイナード大尉の船に乗り込み、短刀とピストルを手に死に至る決闘を挑む。剣と銃弾による応酬の末、メイナード大尉は黒髭を殺害。その首を切り取って船首からつり下げ、米東岸を航行した。こうして、悪名高いエドワード・ティーチが戦闘で死亡したというニュースが衝撃とともに広まっていった。

ただ、黒髭を巡ってはひとつの謎が残されている。日記の行方だ。

日記はメイナード大尉により回収され、拘束された船員の裁判で証拠として使われたものの、裁判後に歴史の舞台から消えた。日記を再び入手することができれば、海賊史の中でも最重要級の発見となるだろう。

海賊の黄金時代(Golden Age of Piracy

通常、近代初期における海賊行為の活発化を指す歴史学上の用語である。

「海賊の黄金時代」は後世になってから使われるようになった言葉で、初出は1894年である。広義には1650年から1730年までをいい、3つの時代に分けられる。

 1.バッカニーア時代(1650 - 1680年頃) - イギリス人やフランス人の船   乗りがジャマイカ島やトルトゥーガ島を拠点に、カリブ海や東太平洋を周航しスペイン植民地を攻撃した時代。

 2.海賊周航時代(Pirate Round, 1690年代) - バミューダ諸島や南北アメリカ大陸から長距離航路に乗り出し、インド洋と紅海のムスリム商船や東インド会社の船を襲った時代。

 3.スペイン継承戦争以降の時代(1716 - 1726年) - スペイン継承戦争が終結して職を失ったイギリス人、アメリカ人の水夫や私掠船員が海賊に転じ、カリブ海、アメリカ大陸東岸部、アフリカ西岸を襲撃した時代。

狭義では3番目の時代のみを指し、1番目と2番目はしばしば除外される。現代人の海賊のイメージの多くは、あまり正確でない場合もあるが、これら海賊の黄金時代に由来するものである。

この時代に海賊行為が発生した要因としては、各海域からヨーロッパへ輸送された高価な貨物の量が増加したこと、ヨーロッパ諸国の海軍が特定の海域で減少したこと、船乗りたちが海軍(特に英国海軍)で訓練を受けて経験を積んだこと、海外植民地の統治体制が非効率だったことなどが挙げられる。この時代、植民地の軍隊は海賊と絶えず交戦しており、いくつもの著名な戦闘や関連する事件に巻き込まれた。・・・(=ウィキペディア)

倭寇(わこう)

一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事である。和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。倭寇の歴史は大きく見た時に前期倭寇と、過渡期を経た後期倭寇の二つに分けられる。

倭寇の構成員は、前期倭寇では主に日本人で一部が高麗人であり、後期倭寇は中国人が多数派で一部に日本人をはじめ諸民族を含んでいたと推測されているが、複数の学説がある。

<倭寇(日本の・・)の活動地域>

倭寇の根拠地は日本の対馬や壱岐・五島列島をはじめ、朝鮮の済州島、中国の沿海諸島部、また台湾島や海南島にも存在していた。

ボルネオ童話において、倭寇と思しきものが活躍する伝承もあり、この周辺まで広く活動していたと思われる。また倭寇であるかは不明であるが、現在のタイにおいてもスペイン軍が「ローニン」の部隊に襲われて全滅したとの記録もある・・・(=ウィキペディア)

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