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2018年9月26日 (水)

私の世界・面白い話のネタ―「漁獲用の筏で、49日間太平洋を漂流の19歳の男性が救助・・!?」

 ネットのCNNとのAFPニュースから、「漁獲用の筏(いかだ)で、49日間にわたって太平洋上を漂流していた19歳の男性が救助された・・」という話です。

アディランさんは漁獲用の筏(いかだ)で照明管理の仕事をしていた/Indonesian Consulate in Osaka(CNNより)

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インドネシア・スラウェシ島の北ミナハサで、上陸許可の書類を見せるアルディ・ノフェル・アディラン(2018916日撮影)。(c)AFP

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 「食料と水と燃料を週に1回届けてもらっていた」というのと、小屋のあるの筏(いかだ)だったので49日間もガンバレタのでしょうが、AFPによると、「数日分の食料しか持っていなかったアディランさんは魚を取って生き延びた。料理用の燃料ガスがなくなるとロンポンの木製の柵を燃やして魚を料理した。」ということで、水は海水でぬれた服を吸って飲んだ? そうです。

 ・・で、インドネシアの北スラウェシ州マナドとグアムの位置関係をマップでみたものです。

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話は別に:マナドをウィキで調べて分かったことですが、マナドから東へ約50Kmの東海岸に位置する港町のビトゥンは日本と関係が深く、「大岩勇(愛知、豊浜出身)が興した東インド水産が、造船、漁業により就労の場を作り町を形成した・・」とあり、現在は「日本からのODAによるコンテナ埠頭」があります。

マナドとビトゥンの位置とビトゥン港のコンテナ埠頭

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コンテナ埠頭をストリートビューで・・

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マナド(Kota Manado

インドネシアのスラウェシ島のミナハサ半島最北端に位置する、北スラウェシ州の州都である。メナド(Menado)とも表記される。マカッサルに次ぐスラウェシ島第二の都市である。

・・・

ビトゥン市はマナドから東へ約50Kmの東海岸に位置する港町。昭和初期には数件の土着民が点在する小さな部落様であったが、日本人の大岩勇(愛知、豊浜出身)が興した東インド水産が、造船、漁業により就労の場を作り町を形成した。沖縄、伊平屋伊是名島からの漁民が多く戦前から定住して、家庭を持っていたが終戦で帰国、残された日系人が存在する。古くから日本人による漁法、鰹節の製法の教与により、現在も多くは焼津、枕崎へ輸出されている。なお、現在でも民間人日本兵士の遺児がいるが、日本政府による調査は行われていない。 現在は日本からのODAによるコンテナ埠頭の完成により北スラウェシ州への貨物、人の往来の玄関口となっている。(=ウィキペディア)

ミナハサ半島北東部に位置するビトゥンは、サム・ラトゥランギ国際空港から32km、マナド中心部から47kmにある港湾都市。東部インドネシア海上交通の要であるビトゥン港、マニアックなダイバーが集うレンベ海峡、スラウェシ島の固有種が棲むタンココ自然保護区を擁し、現在は田舎町ながら、今後の発展が期待される地域です。

昭和初期には100人を超す日本人がカツオ釣り漁業(カツオ節加工)に従事していたビトゥン。現在もカツオ・マグロ漁業が盛んで、日本向け生鮮マグロの輸出量ではインドネシア第一位!! 沿岸部には冷凍加工工場、鰹節工場、缶詰工場など水産会社が並び、真珠養殖も盛んです。郊外には旧日本海軍の慰霊碑があり、戦後の復員船もビトゥンの港から出港しました。(=インドネシア、スラウェシ島マナド(メナド)の情報ページ 「ニウル・ムランバイ」より)

『太平洋を49日間漂流 インドネシアの19歳男性、日本を経て無事帰国

2018.09.25 Tue posted at 10:14 JST

インドネシア・ジャカルタ(CNN) インドネシア外務省は25日までに、49日間にわたって太平洋上を漂流していた19歳の男性が救助され、日本で手当てを受けて無事帰国したと発表した。

救助されたのはアルディ・ノフェル・アディランさん(19)。北スラウェシ州マナドの沖合125キロの海上に浮かべた「ロンポン」と呼ばれる漁獲用の筏(いかだ)で、照明管理の仕事をしていた。

ロンポンは浮き具の上に小さな小屋を乗せたような装置で、海底のコンクリートブロックにロープで結ばれている。魚を集めるために、夜になると発電機を使って照明を灯(とも)すのがアディランさんの仕事だった。

ジャカルタ・ポスト紙によると、アディランさんはロンポンに半年間滞在するという条件で採用され、別の担当者が食料と水と燃料を週に1回届けて魚を回収していた。

ところが今年7月、悪天候のために係留用のロープが切れ、ロンポンが沖合へ流された。そのまま太平洋を漂流してはるばるグアム島近くまで流され、パナマ船籍の船によって8月31日に発見されたという。

同船は9月6日に山口県の徳山港に到着。ジャカルタ・ポストによると、大阪のインドネシア領事館はアディランさんの様子について、「漂流中は怖くて泣いたこともあった」「大きな船を見るたびに希望を持ったが、10隻以上の船が、止まることもアルディ(アディランさん)を見ることもなく通過して行った」と話している。

アディランさんは海上保安庁の診察を受け、2日後にインドネシア領事館が手配した便で帰国の途に就いた。領事館によると、無事帰国してマナドの家族と再会し、健康状態も良好だという。

『インドネシアの青年、漁労用のいかだで49日漂流 2500キロ グアム沖で救出

2018925 8:59 発信地:ジャカルタ/インドネシア)

925 AFP】インドネシアの18歳の青年が小屋のついた小さな漁労用のいかだに乗ったまま7週間漂流し、2500キロ離れた西太平洋のグアム(Guam)島沖で救出されていたことが分かった。青年の家族が24日、明らかにした。

 この青年はアルディ・ノフェル・アディラン(Aldi Novel Adilang)さん。恐怖の体験は、インドネシアのスラウェシ(Sulawesi)島の約125キロ沖にいかりを下ろしていた小さな漁労用のいかだに一人で乗り込んで作業をしていた7月半ばに始まった。

 漁労用のいかだは「ロンポン」と呼ばれるもので、インドネシアの伝統的な漁業で使われる。人を乗せずにブイやロープで固定されることが多い。

 アディランさんの仕事は魚をおびき寄せるためロンポンの明かりをともし続けることだった。ロンポンの所有者は週に一度、食料、飲料水、燃料やその他必需品を届けにくることになっていたという。

 地元メディアによるとアディランさんが乗っていたロンポンにはエンジンはついておらず、長いロープで海底に固定されていたが、強風で係留装置が外れて漂流し始めた。

 栄養不良に陥ったアディランさんのロンポンの脇を10隻ほどの船が通り過ぎて行った。831日にアディランさんはパナマ船籍の船にグアム沖で救出され、同船の目的地であった日本に到着した。

 在大阪インドネシア共和国総領事館のミルザ・ヌールヒダヤット(Mirza Nurhidayat)総領事が英字紙ジャカルタ・ポスト(Jakarta Post)に語ったところによると、数日分の食料しか持っていなかったアディランさんは魚を取って生き延びた。料理用の燃料ガスがなくなるとロンポンの木製の柵を燃やして魚を料理した。水は海水でぬれた服を吸って飲んだ。

 アディランさんは98日、家に戻った。試練にもかかわらず健康状態は良好だという。アディランさんは4人きょうだいの末っ子。遭難の知らせを聞いてショックを受け、真剣に神に祈ったという母親は「息子は930日に19歳になります。みんなでお祝いするつもりです」と語った。(c)AFP

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