私の世界・知らない世界―『倒幕・明治維新における、「維新の十傑」と「賞典禄」・・!?』
NHKの「西郷どん」を見ていて、ふと、「明治維新の財政はどうなっていたのやろ・・?」ということで、ネットでいろいろ調べたことについて、自分なりの私的な話です。
倒幕と明治維新に活躍した人、「維新の十傑」というものがあり、以下の人たちです。
「維新の十傑」(写真はウィキより)
1884年3月刊、山脇之人『維新元勲十傑論』(NDLJP:777423)において、倒幕・明治維新に尽力した、志士のうち幕臣以外の10人:「西郷隆盛(薩摩藩)・大久保利通(薩摩藩)・小松帯刀(薩摩藩)・大村益次郎(長州藩)・木戸孝允(長州藩)・前原一誠(長州藩)・広沢真臣(長州藩)・江藤新平(肥前藩)・横井小楠(肥後藩)・岩倉具視(公家)」を指す。
その功績評価について、現実的に明治政府から明治2年に支給された「賞典禄」(=年俸・年金的なもの)で見ると、西郷隆盛(薩摩藩)は2000石を貰っており、藩士の中では一番高く、十傑では岩倉具視1人が公卿の為か、その上の5000石となっています。
西郷に次いで大久保利通(鹿児島藩士)、木戸孝允(山口藩士)、広沢真臣(山口藩士)が1800石、大村益次郎(山口藩士)が1500石、小松帯刀(鹿児島藩士)が1000石、前原一誠(山口藩士)が800石となり、江藤新平(佐賀藩士)は100石です。(これでみると、江藤新平は後に佐賀の乱を起しましたが、無理ない感じがします? なお、横井小楠(肥後藩)は暗殺され貰えていません)
「1石あたり現米2斗5升が支給」とあるので、現在の米価(1kg:400円)
では1斗=15kgなので1石は2.5×15×400=15000円となるのです。
注)本来は1石=10斗です
西郷さんは3000万円の年俸(年金)となりますが、最も少ない別府晋介(鹿児島藩士)は8石ですから年俸12万円となってしまいます。
多分ですが、1石は10万円~20万円の値打ち、15万円で最低年俸(年金)120万円が正解かも知れません。ただ、それだと西郷さんは3億円、岩倉具視は7.5億円になってしまいます。(西郷さんは別に、岩倉具視の残したものを考えると妥当かも?)
財政的な圧迫から逃れるため、明治政府は1876年に「金禄公債の支給と引き換えで廃された」ということで、7年間貰えただけです。
維新の十傑の運命ですが、「明治11年の紀尾井坂の変までに4人が暗殺され、2人が病死、2人が刑死、1人が戦死している。そして明治16年には残った岩倉具視が咽頭癌により死去・・」ということです。
・西郷隆盛(薩摩藩):文政10年12月7日〈1828年1月23日〉~明治10年9月24日〈1877年9月24日)、享年51(満49歳没):戦死
・大久保利通(薩摩藩):文政13年8月10日(1830年9月26日)~明治11年(1878年)5月14日)、享年49〈満47歳没)、暗殺(紀尾井坂の変)
・小松帯刀(薩摩藩):天保6年10月14日(1835年12月3日)~明治3年7月20日(1870年8月16日))享年36、病死
・大村益次郎(長州藩):文政7年5月3日(1824年5月30日)~明治2年11月5日(1869年12月7日)、享年46、暗殺
・木戸孝允(長州藩)):天保4年6月26日(1833年8月11日)~明治10年(1877年)5月26日)、享年45(満43歳没)、病死
前原一誠(長州藩):天保5年(1834年)3月20日~明治9年(1876年)12月3日、享年43(満42歳没)、斬首刑
・広沢真臣(長州藩):天保4年12月29日(1834年2月7日)~明治4年1月9日(1871年2月27日))、享年38、暗殺
・江藤新平(肥前藩):天保5年2月9日(1834年3月18日)~明治7年(1874年)4月13日)享年41、処刑
・横井小楠(肥後藩):文化6年8月13日(1809年9月22日)~明治2年1月5日(1869年2月15日)、享年61、暗殺
・岩倉具視(公家):文政8年9月15日(1825年10月26日)~明治16年(1883年)7月20日)、享年59、病死
注)年齢の享年は少しいい加減です
「賞典禄」
明治維新に功労のあった公卿、大名および士族に対して、政府から家禄の他に賞与として与えられた禄である。支給期間によって永世禄、終身禄および年限禄の3種に分類される。
<主な授禄者>
・10万石…島津久光・忠義(鹿児島藩主)、毛利敬親・元徳(山口藩主)
・4万石…山内豊信・豊範(高知藩主)
・3万石…大村純煕(大村藩主)、真田幸民(松代藩主)、戸田氏共(大垣藩主)、島津忠寛(佐土原藩主)、池田慶徳(鳥取藩主)
・2万5000石…毛利元徳(山口藩主)
・2万3000石…藤堂高猷(津藩主)
・2万石…鍋島直大(佐賀藩主)、池田章政(岡山藩主)、井伊直憲(彦根藩主)、毛利元敏(長府藩主)、佐竹義堯(久保田藩主)、松前修広(松前藩主)
・1万5000石…大関増勤(黒羽藩主)、徳川慶勝・徳成(名古屋藩主)、前田慶寧(金沢藩主)、浅野長勲(広島藩主)、戸沢正実(新庄藩主)
・1万石…戸田忠恕・忠友(宇都宮藩主)、秋元礼朝(館林藩主)、松平慶永・茂昭(福井藩主)、黒田長知(福岡藩主)、津軽承昭(弘前藩主)、榊原政敬(高田藩主)、六郷政鑑(本荘藩主)、有馬頼咸(久留米藩主)
・8000石…毛利元蕃(徳山藩主)
・6000石…阿部正桓(福山藩主)
・5000石…三条実美(公卿)、岩倉具視(公卿)、山内豊信(高知藩)、小笠原忠忱(小倉藩主)、前田利同(富山藩主)、堀直明(須坂藩主)、立花鑑寛(柳河藩主)
・3500石…徳川昭武(水戸藩主)
・3000石…土井利恒(大野藩主)、松平忠礼(上田藩主)、松平光則(松本藩主)
・2000石…西郷隆盛(鹿児島藩士)
・1800石…大久保利通(鹿児島藩士)、木戸孝允(山口藩士)、広沢真臣(山口藩士)
・1500石…仁和寺宮嘉彰親王、中山忠能(公卿)、伊達宗城(宇和島藩主)、中御門経之(公卿)、大村益次郎(山口藩士)
・1200石…有栖川宮熾仁親王
・1000石…板垣退助(高知藩士)、小松帯刀(鹿児島藩士)、吉井友実(鹿児島藩士)、伊地知正治(鹿児島藩士)、岩下方平(鹿児島藩士)、後藤象二郎(高知藩士)、嵯峨実愛(公卿)、大原重徳(公卿)、東久世通禧(公卿)、生駒親敬(矢島藩主)
・800石…九条道孝(公卿)、澤宣嘉(公卿)、大山綱良(鹿児島藩士)、由利公正(福井藩士)
・700石…黒田清隆(鹿児島藩士)
・600石…山県有朋(山口藩士)、前原一誠(山口藩士)、山田顕義(山口藩士)、醍醐忠敬(公卿)
・500石…成瀬正肥(犬山藩主)
・450石…木梨精一郎(山口藩士)、寺島秋介(山口藩士)、河田佐久馬(鳥取藩士)、渡辺清(大村藩士)、前山精一郎(佐賀藩士)
・400石…福岡孝弟(高知藩士)
・300石…西園寺公望(公卿)、四条隆謌(公卿)、柳原前光(公卿)、西郷従道(鹿児島藩士)、岩倉具定(公卿)、北郷久信(薩摩藩士)
・250石…清水谷公考(公卿)、桂太郎(山口藩士)
・200石…桐野利秋(鹿児島藩士)、岩村高俊(高知藩士)、船越衛(広島藩士)、四条隆平(公卿)、澤為量(公卿)、橋本実梁(公卿)、久我通久(公卿)、西四辻公業(公卿)、壬生基修(公卿)、鷲尾隆聚(公卿)、岩倉具経(公卿)
・150石…中牟田倉之助(佐賀藩士)、曾我祐準(柳河藩士)、山地元治(高知藩士)
・100石…土方久元(高知藩士)、江藤新平(佐賀藩士)、島義勇(佐賀藩士)、大原重実(公卿)、万里小路通房(公卿)、穂波経度(公卿)
・80石…谷干城(高知藩士)、前田正之(十津川郷士)
・50石…烏丸光徳(公卿)、平松時厚(公卿)、五条為栄(公卿)
・35石…青山朗(名古屋藩士)
・20石…津崎矩子(公卿家来)
・10石…村口村吉(佐賀藩士)
・8石…別府晋介(鹿児島藩士)、池上四郎(鹿児島藩士)、篠原国幹(鹿児島藩士)、高城七之丞(鹿児島藩士)
<賞典禄>
戊辰戦争から箱館戦争の間における旧幕府軍及び佐幕派諸藩との戦いは、新政府の構成員であった公武の人々のみならず、当初は日和見的な態度を取っていた諸藩の助力を得たものであった。このため、戦後も彼らを如何にして新政府につなぎとめるかが課題となり、参戦諸藩や個々の部隊・個人の功労者に対する恩賞が検討された。新政府内部には、財源の問題から反対論も出されたものの、参戦諸藩の軍事支出に伴う財政悪化が新政府への反感につながることを恐れた結果、恩賞が支給されることとなった。
賞典禄には、家禄と同様に無期限に給付され、子孫への世襲が許された永世禄、本人1代のみの終身禄、期限が定められていた年限禄の3種類が存在した。
1869年7月10日(旧暦明治2年6月2日)、戊辰戦争の軍功者419人と諸隊、諸藩、戦艦に対して禄を授けられた(戊辰戦争軍功賞典表)。総額米74万5750石、現金20万3376両。最高は鹿児島藩主島津忠義・久光父子と山口藩主毛利元徳・敬親父子の10万石、高知藩主山内豊範・豊信父子の4万石がこれに継ぎ、藩士では西郷隆盛の2000石が最高であった。同年10月18日、箱館戦争の軍功者に総額3万5220石及び9名及び艦船9隻に対する3年間の年限禄8万5500石(年あたり28500石)、同月30日には王政復古の功臣を賞して禄を授けられた(復古功臣賞典表)。総額は米3万5150石(うち終身禄8名分7050石)、現金1500両。最高は三条実美と岩倉具視の5000石で、木戸孝允、大久保利通、広沢真臣の1800石がこれに継ぐ。以上の内、注記のないものは何れも永世禄である。
原則として、一時金として出された賞典金を除き、1石あたり現米2斗5升が支給された。また、諸藩においても、藩主が授かった賞典禄の中から藩士に恩賞として分与が行われる場合もあった。これを分与禄という。財源は戊辰戦争で敗れた諸藩から没収した所領が充てられた。だが、家禄とともに財政悪化の一因となった。
支給総額は、永世録80万9070石、終身録7050石、年限録8万5500石で、計90万1620石と、大藩1つ分の石高に相当する負担となった。
依然として支給を続けていた家禄と共に秩禄処分の対象となり、1876年に金禄公債の支給と引き換えで廃された。永世禄を含め、存続したのはわずか7年間であった。(=ウィキペディア)
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