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2019年6月 8日 (土)

私の世界・面白い話のネタ―「人間の身体的耐久力の絶対的な限界は胃腸の強さに依存する・・!?」

 ネットのAFPの記事から、「人間の身体的耐久力の絶対的な限界値を推定・・」という話ですが、過酷な運動を続けた場合に人間の身体的耐久力の絶対的な限界値は毎日の燃焼カロリーに対し摂取カロリーが追い付けるかどうか、言い換えると人の長期的なスタミナは食物によりカロリーをどの程度取れるかで決まる、「胃腸が丈夫で栄養を多く摂取出来るほど耐久力がある」ということです。

 研究では基礎代謝率(BMR)で2.5BMR1日当たりのカロリーに換算して4000カロリーが限界点だったそうです。

 そういえば昔、滝沢という競輪選手がいましたが、彼の強さの秘密は胃腸が丈夫だということでした。

 夏の炎天下で過酷な練習をすると普通の選手は食欲がなくなり演習後に食事が喉を通りません。余り食事を食べないで水分ばかり取っていると体力が落ち練習を休まなくては続ける事が出来なくなるのです。

 滝沢選手は猛練習が終わっても食欲が落ちず、休みなく過酷な練習が出来ました。彼の先行逃げ切りのスタミナはその為だったのです。

 もう1人、ボクシングのファイティング原田選手も絶食に近い状態で減量、トレーニングをしますが、計量が終わると直ぐ普通の食事、ステーキなどをモリモリ食べることが出来たので、試合に出ると相手が驚くほど太く(=重く)なっていたという話です。

 普通、減量(=絶食や食事制限)していると、計量の後にまともな食事は出来ず、例えばステーキを食べると胃が受け付けず、直ぐ吐いてしまうものです。

 原田さんの強さはもの凄く丈夫な胃が味方していたのです。

話は別に:聞いたところによると、最近のボクシング界では「トレーニングと食事制限で減量をする」は流行っておらず、試合直前に一気に体重を落とす⇒体内の水分を一時的に抜く、いわゆる「水抜き」という方法が主流だそうです。

何か?、「そんなん、死ぬんちゃうの・・?」と言いたくなる感じです。

『人間の耐久力、絶対的な限界は「胃」で決まる? 究極のアスリート研究

201967 13:24 発信地:ワシントンD.C./米国)

67 AFP】米国を5か月かけて走って横断する究極のランナーなど、多種多様なアスリートのパフォーマンスを米国の科学者らが研究し、人間の身体的耐久力の絶対的な限界値を推定した。

 その結論はかなり専門的なものだが、米科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)に5日に発表された論文は、霊長類の中で人類を特に際立たせているある一つの特性を浮き彫りにしている。人間の耐久力は真に並外れているという点だ。

 これはおそらく人類が200万年にわたる狩猟採集生活の中で受け継いできた特性だろうと、研究者らは述べている。簡潔に言えば身体的限界に迫られたとき、人間はサルをはるかに上回る。

 人間の耐久力の限界は、基礎代謝の倍数で計算される。基礎代謝とは、生きていくために必要な単位時間当たりの最小のエネルギー量をカロリーで表したものだ。米デューク大学(Duke University)の進化人類学者、ハーマン・ポンツァー氏が率いる研究チームによると、この基礎代謝の約2.5倍が人間の耐久力の限界ポイントだという。

 トライアスロンやマラソンから、自転車ロードレースのツール・ド・フランス(Tour de France)まで、数時間から数週間の短期的なレースと定義される競技では、選手たちの代謝率は安静時の5倍から10倍に上がる。だが、それがある時点になると、安静時の3倍程度に下がると研究チームは指摘した。人間にとって高レベルの代謝を数週間以上にわたって維持することは単に不可能だという。

 この限界値を知るために研究チームは超人的なランナーと考えられる男性5人、女性1人を観察した。彼らは2015年の1月から6月にかけて、ロサンゼルスから米首都ワシントンまで全長4957キロを走る「レース・アクロス・USARace Across the USA)」と呼ばれる耐久レースに参加した。いわば、マラソンを1週間に6日間、20週間にわたって続けるに等しいレースだ。

 ポンツァー氏は「全員の体重が減少した。エネルギー燃焼のペースに摂取が追い付かなかったからだ」と述べる。毎日の燃焼カロリーに対し摂取カロリーが追い付ける限界を探ると、基礎代謝率(BMR)で2.5BMR1日当たりのカロリーに換算して4000カロリーのポイントだったという。

滝澤 正光(1960321日~)

日本の元競輪選手である。千葉県八千代市出身。師匠は長岡弘臣。1980年代から1990年代にかけ、中野浩一、井上茂徳らとともに競輪黄金時代の一翼を担った。現在は日本競輪選手養成所(日本競輪学校より改称)第23代所長(名誉教諭兼務)。・・・

<競走スタイル>

デビュー時から果敢に先頭で走る徹底先行に徹し、最後の直線では力を入れるためか首を上げる独特のフォームでペダルを踏み込んでいる。最初の頃には後ろの選手に捲られたり追い込まれたりすることが多かったが、いつの間にか相手がどれだけ強かろうとも逃げ切ってしまうだけの脚力を身に付けていた。また他の選手との並走や追走についてもほとんど苦にせず、全てにおいてパワフルな走りと滝澤自身が大柄であった事から連想されたのか、いつしか他の選手やファンからは「怪物」と呼ばれるようになり、後に出た漫画のタイトルの由来にもなっている。・・・

ファイティング原田(194345日~)

日本の元プロボクサー。本名は原田 政彦(はらだ まさひこ)。ファイティング原田ジム会長。第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問。なお、現在は「ファイティング」はJBCで欠名扱いで現役選手が名乗る事は不可能である。・・・

19歳で王座奪取>

19621010日、19歳で世界フライ級王座に初挑戦。当時の世界フライ級王者の「シャムの貴公子」ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が内定していた、同級1位の矢尾板貞雄が突然引退し、10位にランクされたばかりの原田に挑戦のチャンスが回ってきた。

蔵前国技館で行われた試合は、原田が左ジャブとフットワークでポーンをコントロールした。11R、相手コーナーに追い詰め、80数発もの左右連打を浴びせ、ポーンはコーナーロープに腰を落としてカウントアウトされた。新王者誕生に無数の祝福の座布団が舞った。しかし、3か月後の1963112日、バンコクで行われた再戦で、今度はポーンが試合巧者ぶりを発揮し、際どい判定ながら王座陥落。原田は減量苦から、この後、バンタム級に転向する。・・・

<減量苦との闘い>

体重が増えやすい体質の原田には、デビュー当時から常に減量苦が付きまとった。フライ級のリミット50.8kgに対し、原田の体重は普段65kgを超えていた。試合が近づくとジムの水道は、シャワーの栓も含め、全て針金で固定され封印された。ついうっかり水を口にしないように、との配慮であるが、原田はこの時の減量地獄を「水洗トイレの水さえ飲みたくなった」と形容している。このため、フライ級でデビューした原田は、バンタム級、フェザー級と階級を上げていくことになった。・・・(=ウィキペディア)

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