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2019年11月27日 (水)

私の世界・桂の歴史―「千代原の「朝原」と言う呼び名」の続き①

 以前、ブログを始めた頃に『私の世界・桂の歴史―「千代原の「朝原」と言う呼び名」』を載せましたが、その後江戸時代に朝原が千代原村に変わった以上は何も情報がありませんでしたが、最近、朝原道永と言う人を知り少し、進展した話です。(「千代原の「朝原」と言う呼び名」のURL)

http://masaki-knz.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-348a.html

 朝原道永は桓武天皇とゆかりのある元秦氏で776年に「一族の秦箕造らと共に秦忌寸から朝原忌寸に改姓・・」しています。

 その一族の中に朝原内親王の乳母もいて、後に朝原忌寸をもらっており、まさに「千代原」と「朝原」は秦氏と関係する地名だったのです。

 ウィキでは朝原を「北嵯峨朝原山の地名に因むか?」としていますが、何かモット重大な意味がありそうに思うのです。

 徳島の「剣山」がユダヤに因む秘密があるというのと同じに、朝原山(=千代原山)も何かの秘密がありそうな? 感じです。

広沢の池から見た遍照寺山(=朝原山・千代原山)

Photo_20191127192401

<朝原 道永>

奈良時代の貴族。氏姓は秦忌寸のち朝原忌寸。主計頭・秦朝元の孫で、備前介・秦真成の子とする系図がある。官位は従五位下・大学頭。

朝原氏(朝原忌寸)は秦氏の一族にあたる渡来系氏族。氏の呼称は山城国葛野郡朝原山(現在の京都市右京区北嵯峨朝原山)の地名に因むか。

宝亀7年(776年)一族の秦箕造らと共に秦忌寸から朝原忌寸に改姓する。

桓武朝初頭の天応元年(781年)外従五位下に叙せられ、天応2年(782年)大外記に任ぜられる。同年8月に治部卿・壱志濃王や左中弁・紀古佐美らと共に陰陽を理解する者を率いて、光仁天皇陵を改葬するために大和国へ赴き山陵地の選定を行っている。のち、大学助・越後介の兼務を経て、延暦4年(785年)内位の従五位下・東宮学士に叙任され、皇太子・安殿親王の学士となる。まもなく文章博士を、さらに延暦6年(787年)には大学頭も兼ねている。

・遍照寺山:広沢池の北岸に位置する山。標高231メートル。古くは千代原山とも。989年(永祚1)寛朝僧正が山麓に創建した遍照寺にちなみ遍照寺山と呼ばれる。朝原山、寛朝山とも。山腹に寛朝僧正の座禅石・登天松・墓がある。(京都観光NAVIより)

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