私の世界ー人との出会い・「堀部君は強くて格好良かった!」(リメイク)
・以前に作った自分なりに良い?と思うものをまとめてみることにします。
<その①>
堀部君を最初に見た衝撃は今でも忘れられません。柔道の1年の新人戦のとき個人戦に出るために先輩について行って団体戦を見たときのことです。
「えっ、まさかあの子とやるの?・・」
彼は3年生に混じってレギュラーで団体戦を戦っていたのです。
それも使う業が華麗と言うか、上級生を相手に中学1年にはとても出来そうにない、「膝車」や「大外落とし」で1本を取っていました。その技は強い3年生でも簡単に投げられそうな凄いものです。
西先生は試合の少し前から「堀部という強い子が相手だから、寝技でやっつけろ、決してひるんで負けてはいけない!」、「寝技なら、お前が絶対勝つ!」と言っていたのです。
中学に入って柔道部員になると、肥満児の僕に先生は目をつけたのか、朝練も午後の練習も最初に私を呼んで15分~30分寝技をする毎日でした。始めの内は初老にしては重くてものすごく力のある先生に、身動き一つ出来なくて気絶しそうになるのに「動け」、「頑張って起きろ!」と言うのです。
不思議なことに2ヶ月ほど寝技ばかりしていると、少しづつ動けるようになりました。3ヶ月近くになると先生がどんなに押さえ込んでも逃げるようになります。そして、僕の方が先生を寝技で攻めるようになると呼ばれなくなりました。いわゆる寝技を「卒業」したのです。
先生はその頃になると先輩たちと試合をさせるのです。寝技しか知らないのですが練習は立ち技もして、体の使い方が寝技と同じなのか、「力が強くなっていて」上級生にも簡単に投げられなくなっていました。
そして、西先生に「堀部に負けるな」と聞かされたのです。
僕が困ったのは、物語に出てくる柔術の悪役が絞め技や関節技などの寝技を使い、正義の味方はかっこいい投げ技を使います。堀部君が正義の味方で僕が「悪役のデブッちょ」で、勝てるわけが無いのです。
<その②>
堀部君はお父さんの道場で歩き始めた頃から柔道をしていたそうです。体は僕が大人のような体格なので、それより小さかったのですが筋肉質の均整の取れた格好良い柔道少年でした。
新人戦は決勝で当たりましたが、組む間もなく「大外落とし?」で秒殺されました。大体試合になっていなかったのは、僕が上がってしまって組むとき顔も良く見れない状態だったのです。
負けてしまってあれほど「絶対負けるな、寝技でやっつけろ!」と言っていた西先生の前へ行くと「まあ、よくやった・・」と笑っていました。それまで、負けると絶対怒られると覚悟していたので拍子抜けしました。
先生も僕が堀部君に勝つとは思っていなかったようです。
決勝に行くまで、立ち技でこかされては寝技で逆転という試合だったのですがそれが先生の気に入ったのかも知れません。
後でライバルになる藤田君には準決勝で当たったのですが「体落し」で技ありを取って「袈裟固め」をしてきました。西先生は「袈裟固め」をすると怒る禁じ手の寝技で「崩れ袈裟」にしなければなりません。簡単にひっくり返せて逆に押さえ込めるのです。先生や3年のレギュラーの先輩が押さえても「袈裟固め」なら逆転出来ました。当然、藤田君の「袈裟固め」は返して逆転することが出来て「崩れ袈裟」で1本でした。
当時の中学柔道はまだ戦争の遺産と言うかアメリカ進駐軍が格闘技の全国大会を許していませんでした。そんな状況で桂中学の柔道部は近畿大会の常連だったのです。
桂中の柔道部は休みが正月だけで授業の前の朝練と授業後の午後練をしていました。先生も若い頃は竹刀を持って「半端な練習をすると叩いた」という噂がありました。竹刀は本当に道場の隅に置いてあり、先生は時々威嚇行動のように練習前の準備運動に振っていました。
別に練習が嫌いではなかったのですが台風のシーズンが来ると、台風を心待ちにして学校が休みで「練習休み?」を期待している自分がいました。
<その③>
次の府下大会は宮津市でありました。彼とは決勝戦で当たったのですが今度は僕も上がることは無くて、投げられないようにがんばりました。
寝技で勝つためには相手をこかすか1本を取られないように投げられ寝技に持ち込む必要があります。堀部君はお父さんがそうなのか「体捌きで相手を投げる」柔道で決して「背負い投げ」のような相手にもぐりこんで背中をくっつけて投げるようなことをしないのです。
つまり、投げようとするのをがまんして抱きついて寝技に持ち込むことが出来ないし、少しだけこかされて寝技は無理なのです。
悲しいことに僕には彼をこかす業がありません。前の日に一晩中考えて、最後の必殺技「帯をもって大内掛け」を編み出したのですが試合で掛けようとした瞬間、
「あっ、あかん!・・」
と思いました。彼はビクともしなかったのです。
僕も投げられないように頑張ったので試合の決着が付きませんでした。ラッキーなことに当時は僅差の判定が無く、「技あり以上」なのです。
延長を何回かして、時間が経ってどちらもへとへとになって、よけいに技が決まらず、審判も困ってしまいました。競技委員の先生方は随分長く相談していたのですが、結局両者1位の「引き分け」となったのです。驚くことに後から立派な「1位の盾」がお家に送られてきました。堀部君も同じものを貰っているはずです。
当時は悠長と言うか郡部の柔道連盟なので「お金」があったのかも知れません。市の大会ではメダルがせいぜいで大抵表彰状1枚なのです。
堀部君には謝っておきたいことがあるのです。
2年の試合が桂中学の講堂であったとき個人戦で当たったのです。
実力伯仲して、また決着が付きかねたときの場外近くで、
「分かれるか?・・」
となったときです。言葉には出さなかったのですが互いに目と目でそんな会話をしたのです。
堀部君が手の力を緩めて道着をはなそうとした瞬間、僕は卑怯にも、
「今だ!・・」
と言う悪魔のささやきに負けてしまい、「抱え投げ(浮き腰)」を掛けてしまったのです。
試合が終わって、謝ろうと思って堀部君のところに行くとお父さんに叱られているのです。
『だって、金澤君が分かれよ?・・って言ったモン!』
『審判が「分かれ」と言ってないのに力を抜く奴があるか、お前が悪いのや!』
それを聞いてしまって、謝ることが出来ませんでした。
高校生になって、彼が自殺したことを聞きました。
大阪の柔道の強い有名校に進学して、ガンバッテいると思ったのに胸に大きな穴が空いたままなのです。
堀部君ゴメンね・・
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