文化・芸術

2013年5月27日 (月)

私の世界・知らない世界―『放棄された豪華客船を「芸術作品」に』って?

ネットのCNNのニュースの写真集からです。

「放棄された豪華客船を巨大キャンバスにして、「芸術作品」として再生する取り組みが行われている」という話ですが、「30年前、ウェールズ北部のディー川河口に引き上げられた元クルーズ船デューク・オブ・ランカスター号」とあります。

元豪華客船デューク号 30年前、ウェールズ北部のディー川河口に引き上げられた元クルーズ船デューク・オブ・ランカスター号。現在は、欧州各地から集まった「落書き芸術家」専用の巨大キャンバスになっている

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いつもの「覗きたがり?・・」の虫が湧いてきて、「そんなんやったら、ネットのマップの航空写真で?・・」と探査を始めました。

ところが、ウェールズが広過ぎで、なおかつ“ディー”なんて検索に不向きです。北部の河口ですから、海に面しているはずで、“ディーリバー”としたら大体の場所は検討がつきました。

後で写真集をよく見ると、最後に地図がありました。アホミタイ。

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それでも、かなり苦労しないと見付けるのは大変です。地図の100mスケールでも見分けるのは難しいのです。下図で気が付きますか? ボクは目が右だけしか見えない(糖尿性網膜症)ので、余計にかも知れませんが。

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ただ、それだからか「廃船に“ペンキ絵?”」の写真を見て、かなりムカツキました。船が可哀想です。彼らのペンキ絵は、どう見てもボクには“ウン○”の方がましです。朽ちてゆく船自体が芸術なのに、ただ、“ウン○”以下のもので汚しているのです。

載せるのを止めようと思ったのですが、芸術家気取りの彼らを「笑いもの」として、載せておきます。(全部ではありません)

海賊画家たち ラトヴィア人アーティストKIWIE氏が船首に描いた海賊の絵

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芸者の落書き アイルランド人アーティストFin Dac氏が船尾に描いた作品

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黒い公爵 アーティストの団体DuDug(「黒い公爵」を意味するウェールズ語の言葉遊び)がこのプロジェクトを立ち上げた

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「着岸」後の日々 スクラップ寸前で4人の起業家に救われ、レジャー施設として再生

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全盛期 野外ギャラリーになる前は豪華客船だったデューク・オブ・ランカスター号

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話しは別に:「芸術作品」で“具体”の嶋本昭三さんを思い出しました。「嶋本さんなら、どうしたんやろ?・・」と。ネットで調べてみると、今年の1月に亡くなっておられました。50過ぎの嶋本さんが仁木先生を仁研究所に訪ねてこられた時、会わせて貰って話を聴いたのです。もの凄くユニークな天才で、かつ、ごく普通の人でした。ご冥福をお祈りします。

具体美術協会

戦前から活躍していた前衛画家・吉原治良を中心に1954年に兵庫県芦屋市で結成した団体。「人の真似をするな」という吉原の指導のもと、従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術作品を生み出していった。初期のメンバーは、吉原の周辺や芦屋市展に集まっていた若手美術家で、嶋本昭三、山崎つる子、正延正俊、上前智祐、吉原通雄、吉田稔郎、白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子、元永定正など。機関紙「具体」の発行、芦屋川河畔での野外展、東京(草月会館)および関西での「具体展」、梅田のサンケイホールなど舞台での発表やデパートの屋上でのアドバルーン展など、型破りで新鮮な活動をめざましく展開していった。やがて具体はフランスの批評家ミシェル・タピエによって「アンフォルメルの日本における一例」として広く海外へ紹介され、高く評価されるようになった。(その一方、抽象絵画の団体として紹介されてしまったことで以後の活動は平面作品が中心となり、初期の立体作品や舞台を使ったパフォーマンスなどは行われなくなる。)・・・

嶋本 昭三(1928122日~2013125日)

日本大阪府生まれの芸術家、現代美術家。関西学院大学文学部卒業。京都教育大学名誉教授、宝塚造形芸術大学教授、日本障害者芸術協会会長。兵庫県西宮市にアトリエがある。長男はジャズトランペッターの嶋本高之(しまもと たかし、1964 - )。1954年、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーとなる。「具体」という名の提案者。以降主な具体全展に出品。具体美術展に出展した、瓶詰した絵具を画面上で炸裂させる大砲絵画パフォーマンスや、ヘリコプターよりペイントを落としての絵画制作パフォーマンスなどが有名。1970年代より「メールアート」と称した年間60か国8000のネットワーク交流によって世界の多くのプロジェクトに参加。国内外で精力的に活動を続け高い評価を得ていた。1998年、アメリカMOCA「戦後の世界展」に世界の四大アーチストの一人に選ばれる。現在も多方面で活躍している、兵庫県の新西宮ヨットハーバーで100年かけてのアートを制作中であった。こちらもクレーンから瓶を投げ落とし作品を制作している。このヨットハーバーでの制作理念は広島・長崎に投下された原爆製造に関わった原子物理学者バーン・ポーターが嶋本を訪れ、「ノーベル平和賞候補」に推薦したときから平和のパワーへの信念を強め、それらの理念から制作を始めた。また若手アーティスト育成にも力を入れており、アート・アンアイデンティファイド(AU)を主催していた。イタリアでの活躍が目立ていた事もあり海外における嶋本の評価はかなり高い。2013125日、急性心不全により死去。85歳没。(=ウィキペディア)

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