私の世界・面白い話のネタ―「ロンドン、最古とみられる劇場の跡を発見・・!?」
ネットのCNNのニュースから、「英国の考古学者のチームがこのほど、ロンドン東部ホワイトチャペル地区の建設現場の地下から、同市で最古とみられる劇場の跡を発見・・」という話です。
16世紀の劇場「レッド・ライオン」の跡とみられる構造物がロンドン東部で見つかった/Archaeology South-East/UCL
劇場の舞台の外観を再現した3D図/Archaeology South-East/UCL
17世紀のジョッキも出土した。英国王チャールズ2世を支持する王党派の円形模様が彫られている/Archaeology South-East/UCL
日本はそれより古いのでは?と調べてみると、現存する最古の芝居小屋は旧金毘羅大芝居で「1835年(天保6年)に棟上げを行い、翌年完成」だそうです。
旧金毘羅大芝居
現存する能・狂言の舞台はもっと古く西本願寺の北能舞台が1581年(天正9年)だそうでロンドンの16世紀の劇場「レッド・ライオン」と同じ頃からのものになります。
北能舞台
ただ、能狂言の元となる猿楽は「永和元年(1375年)、室町幕府の三代将軍足利義満は、京都の今熊野において、観阿弥とその息子の世阿弥による申楽を鑑賞・・」とあるように、少なくとも14世紀にはその舞台が存在したはずです。
・・で、その劇場「レッド・ライオン」の場所ですが、いろいろ試みましたが発掘の建設現場分かりませんでした。
代わりに!というのは変ですが、パブの「レッドライオン」の場所です。
パブの「レッドライオン」
話は別に;劇場「レッド・ライオン」では「シェークスピアの作品が複数上演・・」ということですが、シェークスピアは1564年4月26日(洗礼日)から1616年4月23日の人、日本の女性が凄いと思うのは、紫式部はシェークスピアより約6百年も前に「源氏物語」【初出は1008年(寛弘五年)】を作品にしているのです。
『ロンドンで16世紀の劇場跡を発見、市内最古か
(2020.06.13 Sat posted at 18:00 JST)
(CNN) 英国の考古学者のチームがこのほど、ロンドン東部ホワイトチャペル地区の建設現場の地下から、同市で最古とみられる劇場の跡を発見した。
エリザベス朝様式のこの劇場は「レッド・ライオン」の名で知られ、1567年ごろに建てられたとみられる。ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の考古学研究所に属するチームが明らかにした。
劇場の存在は当時の史料に記録されているものの、物質的な証拠はこれまで見つかっておらず、実際の所在地も確認できていなかった。それでも現時点での証拠を総合して考えると、今回の発見がレッド・ライオンの建物跡であることは「97%間違いない」と、発掘責任者のスティーブン・ホワイト氏は語る。
発掘現場からは劇場に使用されたとみられる木材が腐食の進んだ状態で見つかった。ホワイト氏は、あと10年発掘が遅れていたらこれらの木材は完全に朽ちていただろうと指摘。「発見できたのは奇跡以外の何物でもない」と強調した。
1567年の法律文書には、レッド・ライオンと呼ばれる建物に木製の舞台が設置されていたとの記述がある。また2年後に書かれた別の文書によれば舞台の寸法は南北に約12メートル、東西に約9メートル、地面からの高さは約1.5メートルだった。
もともと農場付きの建物でビールなどを提供していたレッド・ライオンは、16世紀後半に舞台と座席を建設して劇場を運営。その後は宿屋として少なくとも18世紀まで事業を継続した。
レッド・ライオンに劇場を作った事業家のジョン・ブレインは、この経験をもとに1576年、同じロンドンのショーディッチ地区の劇場建設に携わる。この劇場では1590年代、若手の劇作家だったシェークスピアの作品が複数上演された。』
<旧金毘羅大芝居>
香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮・門前町にある、現存する中では日本最古の芝居小屋。別名、金丸座(かなまるざ)とも呼ばれ、国の重要文化財の指定を受けている。
古くから信仰を集める金刀比羅宮は、江戸時代には金毘羅講など多く参拝者を集め、門前町は琴平が朱印地・天領であることで取締も寛大で、様々な芝居、相撲、操り人形などの興行が行われた。芝居の興行に仮り小屋がその都度建てられていた(年3回程度)が、当時の大坂道頓堀三座のひとつでもある大西芝居(一説には大阪にあった筑後座とも云われる)を参考にして、1835年(天保6年)に棟上げを行い、翌年完成する。この金毘羅大芝居には江戸、大坂などの千両役者が舞台を踏み、全国にも知られた芝居小屋であり、また富くじの開札場としても使用された。・・・(ウィキペディア)
<北能舞台>
西本願寺にある桃山時代建築の国宝建造物。日本に現存する最古の能舞台で、天正9年(1581)の墨書銘がある。書院の北側に位置するところから北能舞台と呼ばれる。(=京都Nabiより)
<猿楽>
室町時代に成立した日本の伝統芸能。能は江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治以降のことである。・・・
永和元年(1375年)、室町幕府の三代将軍足利義満は、京都の今熊野において、観阿弥とその息子の世阿弥による申楽を鑑賞した。彼らの芸に感銘を受けた義満は、観阿弥・世阿弥親子の結崎座を庇護した。これがのちの観世座の前身である。この結果、彼らは足利義満という庇護者、そして武家社会という観客を手に入れることとなった。また二条良基をはじめとする京都の公家社会との接点も生まれ、これら上流階級の文化を取り入れることで、彼らは申楽をさらに洗練していった。その後、六代将軍足利義教も世阿弥の甥音阿弥を高く評価し、その庇護者となった。こうして歴代の観世大夫たちは、時の権力と結びつきながら、申楽を発展させ現在の能の原型として完成させた。
なお、室町時代に成立した大和申楽の外山座(とびざ)・結崎座(ゆうさきざ)・坂戸座(さかどざ)・円満井座(えんまいざ)を大和四座(やまとしざ)と呼ぶ。それぞれ、後の宝生座・観世座・金剛座・金春座につながるとする説が有力である。・・・(ウィキペディア