旅行・地域

2018年9月26日 (水)

私の世界・面白い話のネタ―「漁獲用の筏で、49日間太平洋を漂流の19歳の男性が救助・・!?」

 ネットのCNNとのAFPニュースから、「漁獲用の筏(いかだ)で、49日間にわたって太平洋上を漂流していた19歳の男性が救助された・・」という話です。

アディランさんは漁獲用の筏(いかだ)で照明管理の仕事をしていた/Indonesian Consulate in Osaka(CNNより)

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インドネシア・スラウェシ島の北ミナハサで、上陸許可の書類を見せるアルディ・ノフェル・アディラン(2018916日撮影)。(c)AFP

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 「食料と水と燃料を週に1回届けてもらっていた」というのと、小屋のあるの筏(いかだ)だったので49日間もガンバレタのでしょうが、AFPによると、「数日分の食料しか持っていなかったアディランさんは魚を取って生き延びた。料理用の燃料ガスがなくなるとロンポンの木製の柵を燃やして魚を料理した。」ということで、水は海水でぬれた服を吸って飲んだ? そうです。

 ・・で、インドネシアの北スラウェシ州マナドとグアムの位置関係をマップでみたものです。

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話は別に:マナドをウィキで調べて分かったことですが、マナドから東へ約50Kmの東海岸に位置する港町のビトゥンは日本と関係が深く、「大岩勇(愛知、豊浜出身)が興した東インド水産が、造船、漁業により就労の場を作り町を形成した・・」とあり、現在は「日本からのODAによるコンテナ埠頭」があります。

マナドとビトゥンの位置とビトゥン港のコンテナ埠頭

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コンテナ埠頭をストリートビューで・・

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マナド(Kota Manado

インドネシアのスラウェシ島のミナハサ半島最北端に位置する、北スラウェシ州の州都である。メナド(Menado)とも表記される。マカッサルに次ぐスラウェシ島第二の都市である。

・・・

ビトゥン市はマナドから東へ約50Kmの東海岸に位置する港町。昭和初期には数件の土着民が点在する小さな部落様であったが、日本人の大岩勇(愛知、豊浜出身)が興した東インド水産が、造船、漁業により就労の場を作り町を形成した。沖縄、伊平屋伊是名島からの漁民が多く戦前から定住して、家庭を持っていたが終戦で帰国、残された日系人が存在する。古くから日本人による漁法、鰹節の製法の教与により、現在も多くは焼津、枕崎へ輸出されている。なお、現在でも民間人日本兵士の遺児がいるが、日本政府による調査は行われていない。 現在は日本からのODAによるコンテナ埠頭の完成により北スラウェシ州への貨物、人の往来の玄関口となっている。(=ウィキペディア)

ミナハサ半島北東部に位置するビトゥンは、サム・ラトゥランギ国際空港から32km、マナド中心部から47kmにある港湾都市。東部インドネシア海上交通の要であるビトゥン港、マニアックなダイバーが集うレンベ海峡、スラウェシ島の固有種が棲むタンココ自然保護区を擁し、現在は田舎町ながら、今後の発展が期待される地域です。

昭和初期には100人を超す日本人がカツオ釣り漁業(カツオ節加工)に従事していたビトゥン。現在もカツオ・マグロ漁業が盛んで、日本向け生鮮マグロの輸出量ではインドネシア第一位!! 沿岸部には冷凍加工工場、鰹節工場、缶詰工場など水産会社が並び、真珠養殖も盛んです。郊外には旧日本海軍の慰霊碑があり、戦後の復員船もビトゥンの港から出港しました。(=インドネシア、スラウェシ島マナド(メナド)の情報ページ 「ニウル・ムランバイ」より)

『太平洋を49日間漂流 インドネシアの19歳男性、日本を経て無事帰国

2018.09.25 Tue posted at 10:14 JST

インドネシア・ジャカルタ(CNN) インドネシア外務省は25日までに、49日間にわたって太平洋上を漂流していた19歳の男性が救助され、日本で手当てを受けて無事帰国したと発表した。

救助されたのはアルディ・ノフェル・アディランさん(19)。北スラウェシ州マナドの沖合125キロの海上に浮かべた「ロンポン」と呼ばれる漁獲用の筏(いかだ)で、照明管理の仕事をしていた。

ロンポンは浮き具の上に小さな小屋を乗せたような装置で、海底のコンクリートブロックにロープで結ばれている。魚を集めるために、夜になると発電機を使って照明を灯(とも)すのがアディランさんの仕事だった。

ジャカルタ・ポスト紙によると、アディランさんはロンポンに半年間滞在するという条件で採用され、別の担当者が食料と水と燃料を週に1回届けて魚を回収していた。

ところが今年7月、悪天候のために係留用のロープが切れ、ロンポンが沖合へ流された。そのまま太平洋を漂流してはるばるグアム島近くまで流され、パナマ船籍の船によって8月31日に発見されたという。

同船は9月6日に山口県の徳山港に到着。ジャカルタ・ポストによると、大阪のインドネシア領事館はアディランさんの様子について、「漂流中は怖くて泣いたこともあった」「大きな船を見るたびに希望を持ったが、10隻以上の船が、止まることもアルディ(アディランさん)を見ることもなく通過して行った」と話している。

アディランさんは海上保安庁の診察を受け、2日後にインドネシア領事館が手配した便で帰国の途に就いた。領事館によると、無事帰国してマナドの家族と再会し、健康状態も良好だという。

『インドネシアの青年、漁労用のいかだで49日漂流 2500キロ グアム沖で救出

2018925 8:59 発信地:ジャカルタ/インドネシア)

925 AFP】インドネシアの18歳の青年が小屋のついた小さな漁労用のいかだに乗ったまま7週間漂流し、2500キロ離れた西太平洋のグアム(Guam)島沖で救出されていたことが分かった。青年の家族が24日、明らかにした。

 この青年はアルディ・ノフェル・アディラン(Aldi Novel Adilang)さん。恐怖の体験は、インドネシアのスラウェシ(Sulawesi)島の約125キロ沖にいかりを下ろしていた小さな漁労用のいかだに一人で乗り込んで作業をしていた7月半ばに始まった。

 漁労用のいかだは「ロンポン」と呼ばれるもので、インドネシアの伝統的な漁業で使われる。人を乗せずにブイやロープで固定されることが多い。

 アディランさんの仕事は魚をおびき寄せるためロンポンの明かりをともし続けることだった。ロンポンの所有者は週に一度、食料、飲料水、燃料やその他必需品を届けにくることになっていたという。

 地元メディアによるとアディランさんが乗っていたロンポンにはエンジンはついておらず、長いロープで海底に固定されていたが、強風で係留装置が外れて漂流し始めた。

 栄養不良に陥ったアディランさんのロンポンの脇を10隻ほどの船が通り過ぎて行った。831日にアディランさんはパナマ船籍の船にグアム沖で救出され、同船の目的地であった日本に到着した。

 在大阪インドネシア共和国総領事館のミルザ・ヌールヒダヤット(Mirza Nurhidayat)総領事が英字紙ジャカルタ・ポスト(Jakarta Post)に語ったところによると、数日分の食料しか持っていなかったアディランさんは魚を取って生き延びた。料理用の燃料ガスがなくなるとロンポンの木製の柵を燃やして魚を料理した。水は海水でぬれた服を吸って飲んだ。

 アディランさんは98日、家に戻った。試練にもかかわらず健康状態は良好だという。アディランさんは4人きょうだいの末っ子。遭難の知らせを聞いてショックを受け、真剣に神に祈ったという母親は「息子は930日に19歳になります。みんなでお祝いするつもりです」と語った。(c)AFP

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2018年9月19日 (水)

私の世界・知らない世界―「2000年前のスフィンクス像、新たに発見のコムオンボ神殿・・!?」

 ネットのCNNのニュースから、「エジプト南部アスワン近郊のコムオンボ神殿で、新しいスフィンクス像が発見・・」という話ですが、今回、コムオンボ神殿で見つかったスフィンクスはギザの大スフィンクスのように全長73メートル、高さは20メートル以上というドデカイ(もの凄く巨大な)ものではなく、高さ38センチというものです。

2000年前のスフィンクス像が新たに発見された/Egypt Ministry of Antiquities/Facebook

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 ・・で、アスワン近郊のコムオンボ神殿の場所です。

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 コムオンボ神殿はナイル河の直ぐ側でクルーズで行け、歩ける距離なので興味があります。

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 マップの添付写真やストリートビューで見たコムオンボ神殿。

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 スフィンクスが「ライオンの身体と人間の顔を持った怪物」というのは何となく知っていたつもりですが、女性というのは初めてしりました。

 そういわれて見ると、今回出土のスフィンクスも怪物ではなく優しい顔立ちです。

ギリシア神話のスピンクス(ジノ・スフィンクス)(ウィキより)

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スフィンクス(Sphinx)(写真はギザのスフィンクス:ウィキより)

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エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古代エジプト語シェセプ・アンク(szp 3nh, シェセプ=姿・形 アンク=再生・復活の神 「アンク神の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。ただしこの語は神あるいは王の像に対してのみ使われており、合成獣に使われた証拠はない。スピンクスは女性名詞であり、中国語では「獅身人面像」または「獅身女面像」と訳される。夏目漱石は『虞美人草』の中で「獅身女」という漢字に「スフーヒンクス」という熟字訓を当てた。永井荷風は『あめりか物語』の中では「怪像」に、『ふらんす物語』の中では「怪神」に熟字訓をあてている。一方、ヘロドトスはエジプトの合成獣を描写する際にこの名詞を「Androsphinges」と男性化したが、これが男性スピンクスの唯一の例である。また村井知至『社会主義』には「スヰンクス」という表現があり、明治・大正期には様々な表現が散見される。本来はエジプト神話の生物であるが、非常に古くからギリシア神話にも取り入れられていた。エジプトのスフィンクスは王家のシンボルで、ギザのピラミッドにある、いわゆるギザの大スフィンクスは王の偉大さを現す神聖な存在である。対してメソポタミアやギリシャのスフィンクスは怪物として扱われていた。・・・

コム・オンボ神殿(Temple of Kom Ombo

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プトレマイオス朝の時代(紀元前332-32年)にエジプトのコム・オンボの町に建設された、珍しい二重神殿である。神殿はのちのローマ(支配)時代(紀元前30-紀元後395年)にいくらか増築されている。

建物の「二重」構造は、2神のために重複した中庭、広間、祭壇や部屋があったことを意味する類のないものである。神殿の正面より向かって右側半分は、ハトホルやコンスとともに豊穣と世界の創造の神であるワニの神セベクに捧げられた。一方、神殿の左側の部分は、大ホルス (Horus the Elder) の別名で知られるハヤブサの神ハロエリスに捧げられている。神殿は変則的で、すべてが主軸を中心に完全な左右対称である。・・・(ウィキペディア)

『2000年前のスフィンクス像、新たに発見 エジプト

2018.09.19 Wed posted at 10:45 JST

(CNN) エジプト南部アスワン近郊の古代神殿で、排水工事の作業中に新しいスフィンクス像が発見された。エジプト考古省がフェイスブックで発表した。

今回見つかったスフィンクス像は2000年以上前のものと思われ、アスワン近郊にあるコムオンボ神殿の南東側で地下水の排水工事中に見つかった。

エジプト考古省が掲載した写真のスフィンクスは、ライオンの胴体と人間の顔をもち、ヘビの王冠と髪飾りを付けている。ほぼ無傷のまま残っている様子だった。

エジプト考古最高評議会の専門家は、紀元前300年から紀元前30年にかけてのプトレマイオス王朝時代に建造されたと推定する。この付近では2カ月前に、プトレマイオス5世のレリーフ像2体が発掘されていた。

今後は神殿周辺の発掘作業を進め、スフィンクスについてさらに詳しく調査する計画。

スフィンクスは古代エジプトやペルシャ、ギリシャの神話に登場する生き物で、墓や宗教建築物の近くで像が発見されている。

最も有名なギザの大スフィンクスは全長73メートル、高さは20メートル以上。それに比べると、今回見つかったコムオンボのスフィンクスは高さ38センチとはるかに小さい。

コムオンボ神殿は、ワニの神ソベクとハヤブサの神ホルスの2つの神をまつった珍しい神殿で、神殿の近くから発見されたワニのミイラ300体は、併設の博物館で展示されている。

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2018年9月12日 (水)

私の世界・面白い話のネタ―「地下からローマ帝国後期の金貨数百枚、クレッシーニ劇場(Teatro Cressoni)跡の工事現場・・!?」

 ネットのCNNのニュースから、「イタリア北部でこのほど、かつての劇場の地下からローマ帝国後期の金貨数百枚が・・」という話ですが、何しろ数百万ドル(数億円)と聞くと「場所がどこなのか?」、探してみないと気がすみません。

イタリア北部の旧劇場の地下からローマ帝国時代の金貨数百枚が見つかった/Ministry of Cultural Heritage and Activities

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 ネットでいろいろ検索してみると、コモ(Komo)のクレッシーニ劇場(Teatro Cressoni)というのがそのかつての劇場のようで、ウィキ(英語翻訳)には「テイストロ・クレソーニは歴史的なコモの劇場であり、後に映画館に変わり、ついに1997年に閉店しました」とあり「2018年には建物の内部が破壊され、周囲の壁だけが残っていた」ということです。

2004年のクレッシーニ劇場(Teatro Cressoni

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 場所は、“Teatro Cressoni in via Diaz a Como”(Teatro Cressoniで検索していると分かった)というのを手がかりに大体の場所をコモの中から特定、グーグル、ビューで探してみました。

クレッシーニ劇場(Teatro Cressoni)の看板

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 運よく、クレッシーニ劇場(Teatro Cressoni)の看板はなかったのですが、工事現場の説明が見つかり、場所が分かりました。

クレッシーニ劇場(Teatro Cressoni)跡の工事現場

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コモ(omo

イタリア共和国ロンバルディア州北西部にある都市で、その周辺地域を含む人口約84000人の基礎自治体(コムーネ)。コモ県の県都である。コモ湖南端のほとり、スイスとの国境に位置する都市で、絹の産地として有名である。古代ローマ時代にはコムムと呼ばれた古い都市であり、博物学者プリニウスの出身地である。

『ローマ帝国の金貨数百枚、旧劇場の地下から発見 伊北部

2018.09.10 Mon posted at 12:06 JST

(CNN) イタリア北部でこのほど、かつての劇場の地下からローマ帝国後期の金貨数百枚が見つかった。金貨はせっけん石製の円筒形の容器に詰め込まれており、保存状態は良好。

文化省によると金貨は先週、ミラノの北に位置するコモの旧劇場の地下で発見された後、ミラノの研究施設へ送られた。同施設で考古学者や修復の専門家が分析を行う予定だという。

ボニゾーリ文化相は記者会見で「今回の発見が持つ歴史的、文化的重要性について詳細なところは現時点でわからない。ただ当該の地域が我が国の考古学にとってまさしく宝物のような場所であることを証明するものだ」と述べた。

文化省は金貨の価値について明言していないが、地元メディアは数百万ドルに相当する可能性があると報じている。

地下から金貨が見つかったクレッソーニ劇場は1807年に開館。その後映画館に転用され1997年に閉館した。

文化省によれば、現場からそう遠くない地域では同じく歴史的に重要とみられるローマ時代の遺物が見つかっている。

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2018年7月17日 (火)

私の世界・知らない世界―「太平洋のプラスチック塵で作られた、巨大なクジラの作品・・!?」

 ネットのAFPの記事から、『ブリュージュ(Bruges)で14日、現在開催中の「ブリュージュ・トリエンナーレ20182018 Bruges Triennial)」に出品されている、太平洋のプラスチックごみ5トンから作られた高さ約10メートルの巨大なクジラの作品・・』という話です。

 ただ、私のPCの問題なのか、AFPの写真添付の問題か、それともわざと? か、分かりませんが、以下の重なった写真(部分)しか見れません。

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 ブリュージュ・トリエンナーレ:「2018 Bruges Triennial」のウエブサイトにはStudioKCAの作品:スカイスクレイパー(Skyscraper)=ブルージュ・クジラ:”The Bruges Whale”が載っています。

StudioKCA」:ニューヨークのブルックリンに本拠を置くJason KlimoskiLesley Changが率いる革新的な建築とデザインエージェンシー

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 ブルージュ・クジラのある場所はヤン・ヴァン・アイク像の広場の側、運河の中ですが、ストリートビューにもクジラを見ることが出来ます。

ヤン・ファン・エイク(蘭: Jan van Eyck1395年頃 - 144179日)

初期フランドル派のフランドル人画家。主にブルッヘ(ブルージュ)で活動し、15世紀の北ヨーロッパでもっとも重要な画家の一人と見なされている。

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ストリートビューで・・

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 蛇足ですが、近くに世界遺産のブリュージュ・マルクト広場があります。

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マルクト広場 (Markt)

市の中心となる美しい広場で、世界遺産にも登録されている。鐘楼、西フランドル州庁舎など壮麗な建物に囲まれ、ギルドハウス(同業者組合の建物)だった階段状の破風屋根の建物は現在はレストランやカフェになっている。

『プラスチック製の巨大クジラ、素材は海のごみ ベルギー

2018716 9:28 発信地:ブルッヘ/ベルギー)

716 AFP】ベルギー北西部ブリュージュ(Bruges)で14日、現在開催中の「ブリュージュ・トリエンナーレ20182018 Bruges Triennial)」に出品されている、太平洋のプラスチックごみ5トンから作られた高さ約10メートルの巨大なクジラのインスタレーション作品を鑑賞する市民や観光客の姿が見られた。同トリエンナーレは916日まで。(c)AFP

注)ブリュージュ・トリエンナーレ:ブルージュで3年に一度の現代アートと建築の祭典

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2018年7月15日 (日)

私の世界・知らない世界―「乾燥した塩田から豊かなオアシスへ、オーストラリア・・!?」

 

 ネットのCNNのニュースから、「オーストラリアの砂漠地帯にある広大な塩湖のエア湖。沿岸部の豪雨によって水をたたえた状態になり、乾燥した塩田から豊かなオアシスへと姿を変える珍しい現象・・」という話です。

 

 仇となるもの凄い豪雨も、場所によっては禍ばかりをもたらすものではないということです。

 

豪雨で満水となったことで様々な色彩を見せる豪州のエア湖

 

 

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湖の水は砂漠での降水が約100キロの道のりを経て流入してくる

 

 

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水がたまるのは3~10年に1度のみ。満水になったのは過去160年でわずか3回のみだった

 

 

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湖に水が満ちると塩が水に溶け、藻が繁殖することによってさまざまな色彩が現れる

 

 

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 オーストラリア政府観光局のHPの「干上がって白く輝く広大な塩湖が、砂漠の上に広がる驚くほど青い空とコントラストを描きます」というエア湖国立公園の説明を載せます。

 

注)https://www.australia.com/ja-jp/places/sa/lake-eyre.html

 

 ・・で、マップでその場所ですが、興味があったのはエア湖国立公園の説明の後ろの方にあるオパール採掘の町クーバー・ピディ(Coober Pedy)です。

 

 ストリートビューではいろいろなとこが見れます。

 

エア湖(Lake Eyre)の場所

 

 

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ハリガン・ベイ(Halligan Bay)ストリートビュー

 

 

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ウィリアム・クリーク(William Creek

 

 

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ウードナダッタ(Oodnadatta

 

 

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オパール採掘の町クーバー・ピディ(Coober Pedy

 

 

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教会も・・

 

 

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『砂漠の中の塩湖、希少な豪雨で色鮮やかなオアシスに変貌 豪

 

(2018.07.13 Fri posted at 17:01 JST)

 

(CNN) オーストラリアの砂漠地帯にある広大な塩湖のエア湖。沿岸部の豪雨によって水をたたえた状態になり、乾燥した塩田から豊かなオアシスへと姿を変える珍しい現象が観測されている。

 

ブルーやピンクから輝くような白色まで、エア湖が放つ鮮やかな色彩は、全て自然が作り出した現象だ。

 

エア湖はオーストラリアで最も標高の低い地域にある。水がたまるのは3~10年に1度のみ。満水になったのは過去160年でわずか3回のみだった。

 

湖に水が満ちると塩が水に溶け、藻が繁殖することによってさまざまな色彩が現れる。

 

今年は東部のクインズランド州が豪雨に見舞われた影響で、約100キロ離れたエア湖に水が流入した。

 

この特別な光景を一目見ようと、同地には観光客や写真家が押し寄せている。水をたたえた状態がいつまで続くのかは分からず、場合によっては生涯で1度しか見られない可能性もある。

 

湖に水がたまると野生生物が姿を現し、鮮やかな色をした湖のあちこちに、ペリカンが群がる姿が観察できる。

 

旅行会社各社は、空からエア湖の眺めを堪能できるツアーを提供している。

 

『干上がって白く輝く広大な塩湖が、砂漠の上に広がる驚くほど青い空とコントラストを描きます。

 

アデレード(Adelaide)から北へ約700km、エア湖国立公園(Lake Eyre National Park)の中にあるエア湖は、南オーストラリアの過酷なアウトバックの巨大なオアシスです。 エア湖盆地(Lake Eyre Basin)は、南オーストラリア州、ノーザン・テリトリー(Northern Territory)、クイーンズランド州(Queensland)にまたがり、100万㎢という驚くべき面積を誇ります。

 

エア湖そのもの(実際には水路でつながれた2つの湖)は、長さ144km、幅77kmです。 オーストラリア最大の塩湖ですが、満水になることはめったにありません。 エア湖は、オーストラリアで最も乾燥した最も標高の低い地域でもあります。

 

エア湖の地域の伝統的所有者であるアラバーナ(Arabana)族は、数千年にわたってエア湖盆地に住み続けてきました。 この湖は依然として、アボリジニにとって文化的に重要な場所です。 エア湖は、1840年にヨーロッパ人として初めてこの湖を見た探検家、エドワード・ジョン・エア(Edward John Eyre)にちなんで名付けられました。 1880年代半ばには、多くの入植者がこのエリアで農耕を開始しました。 こうした農場の1つであるアンナ・クリーク(Anna Creek)は、現在オーストラリア最大の牧場となっています。

 

エア湖の水位は、その年のモンスーンと、この湖の集水地域であるクイーンズランド州とノーザン・テリトリーの降水量によって決まります。 モンスーンの程度によって、湖にどれだけ水が貯まるかが決まります。

 

およそ8年に1度、この3つの集水地域から流入する水がこの湖に貯まります。 満水になったのは、過去160年でたった3回です。 水が満ちると、自然の驚くべき光景が繰り広げられます。 このエリアに無数の水鳥が群がり、周囲はその鳴き声で満たされます。 いつもの荒涼とした風景は、色とりどりのワイルドフラワーと一面の緑によって生き返ります。 塩水の水位の変化が、見渡す限りの渦巻き状の模様となって現れます。

 

水が蒸発して干上がり、塩分濃度が高まると、湖はしばしばピンク色に変わります。 完全に干上がると、湖は巨大な塩田になり、白い結晶が日に照らされて輝きます。

 

陸から湖を眺めるなら、ハリガン・ベイ(Halligan Bay)からが一番です。 雨の後は、ボートやカヤックでも湖を楽しめます。 この巨大な湖を堪能する最上のポイントは、なんと言っても上空です。 地元のいくつかの旅行業者が湖の観光フライトを行っています。満水時は特にお勧めです。 このエリアにはこの他にもいくつか塩湖があります。中には、希少な化石が発見され、世界遺産に登録されている湖もあります。

 

エア湖国立公園は、ウードナダッタ・トラック(Oodnadatta Track)沿いのウィリアム・クリーク(William Creek)から東に約60kmの位置にあります。 ウードナダッタ・トラックは、経験豊富なドライバーが4WD車で行くのに適しています。 予備の燃料、食料、水を準備しましょう。 洪水のために道路が閉鎖されることがあります。 ベスト・シーズンは、4月から10月です。

 エア湖国立公園から、有名なアウトバックの小さな町ウードナダッタ(Oodnadatta)、オパール採掘の町クーバー・ピディ(Coober Pedy)、シンプソン砂漠(Simpson Desert)にも行くことができます。』

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2018年6月 7日 (木)

私の世界・面白い話のネタ―「100年の間に3度撮影されたロシアの“ねずみの町”、ミシュキン・・!?」

 ネットのイングリッシュ・ロシア:“englishrussia.com”の「100年の間に3度撮影されたロシアの町」:“One Russian Town Photographed Three Times During the Hundred Years ”という記事から、「あるロシア人が約100年の間に、。3度、異なる時期に同じ視点から撮影した、ロシアの“ねずみの町”、ミシュキン」です。

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『写真が撮影されたのは1910年(帝政ロシア時代:1917117日には十月革命でロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ政権が樹立)と1978年(旧ソ連時代)、2011年(ロシア連邦の現在:19911225日、ソビエト連邦崩壊)です。ロシアのミシュキンは、小さい町(2002年国勢調査で6,076人)ですが、その中央には大きな大聖堂があり、ソビエトの時代(=1978年)にも十字架やそのドームが毀損されなかったのです・・』

 ・・で、そのムィシュキン(Myshkin, 「ねずみの町」)の場所です。

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 ストリートビューのポイントが大聖堂の前の船着場付近にもあります。

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 ウィキによると、「この周辺でのヴォルガ川の幅は300mから600mになる。気候は大陸性気候で冬は寒く夏は短く、ヴォルガ川も11月末から4月末までは凍結している・・」ということなので、観光は今頃からが良いみたいです。

 ヴォルガ川の船旅って、一度は行ってみたかったんですが・・・!?

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 調べると、「船で巡るモスクワからサンクトペテルブルグ、運河とボルガ川の旅」というのがあって、1500kmを約一週間くらいの船旅です。

モスクワからサンクトペテルブルグのルート(ワールド航空サービスのHPより)

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クルーズ船やキャビン例(JICのHPより)

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ムィシュキン(Myshkin, 「ねずみの町」)

ロシアのヤロスラヴリ州にある都市。南から北へ流れるヴォルガ川左岸の急な斜面に位置し、対岸ではユホチ川がヴォルガへ合流している。人口は2002年国勢調査で6,076人と州内でも最小の市である。ムィシュキンという町の名は、次のような言い伝えによる。ある公(クニャージ)が狩りの後でヴォルガ川沿いの斜面の上で一休みして眠っていた。しかし顔にネズミが飛び乗ってきたため公はびっくりして飛び起きた。公のすぐそばには蛇が迫っており、最初はネズミに怒っていた公は、ネズミは蛇から命を守ってくれた恩人だったと感謝した。彼はこの地に聖ボリスとグレブのための聖堂を作るよう命じ、その周りにできた集落が「ネズミの町」(ムイシュキン)と呼ばれるようになったという。・・・(=ウィキペディア)

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2018年6月 3日 (日)

私の世界・面白い話のネタ―『世界最短の国際航空路線が誕生、飛行時間「8分」・・!?』

 ネットのCNNのニュースから、「南米ベネズエラ北部沖のカリブ海に浮かぶオランダ自治領アルバとベネズエラのプント・フィホの間をわずか8分間で結ぶ航空路線がこのほど新たに開設・・」という話です。

 ・・で、その場所とオランダ自治領アルバの「ベアとリスク国際空港」をマップで紹介します。

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アルバ

西インド諸島の南端部、南米ベネズエラの北西沖に浮かぶ島。高度な自治が認められたオランダ王国の構成国。本土オランダ、キュラソー、シント・マールテンと共に対等な立場でオランダ王国を構成している。アルバという名は、スペイン語のoro huba(黄金がある)から来ているという説がある

 アルバは本当に、いいとこみたいです。

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 ただ、ベネズエラのプント・フィホには国際空港らしきものが見当たらないので、新たに出来たものかも知れません。何しろ、土地は一杯余っていそうです。

ベネズエラのプント・フィホ

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 アルバ航空の使用機材はボンバルディア社製のCRJ200LR型機ということです。

ボンバルディア CRJBombardier CRJ):CRJ200LR型機

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カナダのボンバルディア・エアロスペース社が製造・販売している双発ジェット旅客機の製品群であり、CRJファミリーあるいはCRJシリーズとも呼ばれる。

『世界最短の国際航空路線が誕生、飛行時間「8分」

2018.06.02 Sat posted at 15:49 JST

(CNN) 南米ベネズエラ北部沖のカリブ海に浮かぶオランダ自治領アルバとベネズエラのプント・フィホの間をわずか8分間で結ぶ航空路線がこのほど新たに開設され、CNNの調べによると国際線の商業路線としては世界最短となった。

アルバとベネズエラを隔てる距離は15マイル(約24キロ)。アルバのベアトリクス女王国際空港とプント・フィホの空港との間は51マイル(約82キロ)。

ベネズエラ政府と提携し、月曜、金曜の週2便の定期運航を先月18日に開始したのはアルバ航空。使用機材はボンバルディア社製のCRJ200LR型機。アルバからオランダ自治領キュラソーや米マイアミなどへの接続便にもつながる。

航空料金は215米ドル(約2万3400円)からで、1分当たり27ドルの計算になる。

ベネズエラ政府は今年1月、アルバやキュラソーなどのオランダ自治領に対し3カ月の経済封鎖を実施。ベネズエラのマドゥロ大統領はアルバなどがベネズエラの天然資源を収奪し、闇市場で売り払っているとの理由を示していた。

ベネズエラ、アルバ間の交通手段の規制は続いていたものの、双方の関係は最近改善の兆しが見えていた。

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2018年4月24日 (火)

私の世界・知らない世界―「ヨルダン最大の砂漠ワディラムに火星に着陸したような体験を楽しめるというホテルが開業・・!?」

 ネットのCNNのニュースから、「ヨルダン最大の砂漠ワディラムに火星に着陸したような体験を楽しめるというホテルが開業・・」という話です。

既存の宿泊設備を拡充する形でドーム型客室20基を設置

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デッキでくつろげば気分はもう火星の旅人

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 マップの検索は「ヨルダン サンシティキャンプ」で簡単に出来ます。

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 一箇所、ストリートビューのポイントがあります。

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 火星と違うところ(他にもいろいろ違いますが・・)は近くに農場があります。

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 ストリートビューの添付写真からドーム型宿泊施設の内容です。

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 食事をするところは別にあります。

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 ドーム型以外の宿泊施設です。

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話は別に:「観光客の多くはペトラなどからの日帰りツアーでワディラムを訪れる」のペトラは大変な遺跡で、新・世界七不思議に選出されいます。、

ペトラ

ヨルダンにある遺跡。死海とアカバ湾の間にある渓谷にある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語で崖を意味する。1985126日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。20077月、新・世界七不思議に選出。

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ペトラのある地は、自然の要害であった。また西にガザ、北にダマスカス、紅海にも近く、中東での人や物の行き交う要衝の地でもあった。ナバテア人(Nabataeans)の首都、砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったと伝えられてきた。

立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた。ペトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられる。

完全な岩礁地帯であるので、農業には不向きであった。また雨が降ると、鉄砲水となって渓谷内を通過していった。ナバテア人は、ダムを作って鉄砲水を防ぎ、さらに水道管を通して給水設備を作り上げたことが分かっている。・・・(=ウィキペディア)

『ヨルダンの砂漠で火星を「体験」、ドーム型ホテルが登場

2018.04.23 Mon posted at 16:36 JST

(CNN) 1962年の映画「アラビアのロレンス」の舞台にもなった、ヨルダン最大の砂漠ワディラム。オレンジ色の砂丘に吹きさらしの山々が連なる光景は、まるで別の惑星のようにも思える。

この砂漠の真ん中で、火星に着陸したような体験を楽しめるというホテルが開業した。

砂漠に点在するドーム型の客室20室は、リドリー・スコット監督の映画「オデッセイ」に着想を得たといい、3年前に開業したホテル「サンシティキャンプ」の拡張に伴って、昨年登場した。

「マーティアン・ドーム(火星人ドーム)」と呼ばれるこの客室は、宇宙船のようなテントにガラスの壁をあしらった構造で、目の前に砂漠の光景が広がる。

広さは40平方メートルで、4人まで宿泊可能。浴室やエアコンの設備もある。1泊の料金は朝食と夕食込みで約320ドル(約3万4500円)。

観光客の多くはペトラなどからの日帰りツアーでワディラムを訪れる。地元の人が運営するキャンプ場はあるものの、快適に滞在できるホテル型の施設は数少ない。

マーティアン・ドームからは満点の星空も眺められる。「お客様にはワディラムの夜の自然の美しさを堪能してほしい」「星空は素晴らしく、砂漠の静寂に圧倒される」と経営者のサルタン・アルナワフレハ氏は言う。

日中は乗馬やラクダ乗り、バギーや四駆車のツアー、気球、ロッククライミングなどに参加できる。こうしたアクティビティーは全て、地元の遊牧民ベドウィンが運営している。

アルナワフレハ氏は、サウジアラビアやオマーンにも同じようなキャンプ施設を開設するため、政府と交渉を進めているという。

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2018年4月23日 (月)

私の世界・知らない世界―「世界最古のキリスト教修道院とされるエジプトのセントアンソニー修道院・・!?」

 ネットのCNNのニュースから、「まるで絵画、宇宙からとらえた世界の絶景 NASAが衛星画像公開」の「写真特集:NASAがとらえた世界の絶景」からですが、最初の「衛星に搭載された光学センサーでとらえたアフリカ・モロッコのアンティアトラス山脈」でその内容はお察し下さい。(15枚の写真特集 https://www.cnn.co.jp/photo/35118163.html

衛星に搭載された光学センサーでとらえたアフリカ・モロッコのアンティアトラス山脈

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 その15枚の衛星画像の中で、気になったのは「世界最古のキリスト教修道院とされるエジプトのセントアンソニー修道院が点のように見える画像」と「フランスの首都パリ。エッフェル塔はどこに?」です。

 まず、エジプトのセントアンソニー修道院をマップの衛星写真と添付画像、ストリートビューからです。

セントアンソニー修道院

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添付画像とストリートビュー

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パリのエッフェル塔

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話は別に:パリは2度行ったことがある(30年くらい前です!?)ので、思わず「エッフェル塔はどこに・・?」です。

 確か、2度目はエッフェル塔が直ぐ近くに見えるホテル、蚤の市などを地下鉄を駆使して見て回りました。

 地下鉄の切符は「“アン カルネ シモブクレ”と言えば買える・・」と最初の時のガイドさんに教えて貰いました。カタカナに書くと「シルブプレ(S'il vous plait)=フランス語のプリーズ」ですが、何故か「シモブクレ」が通じました。

蚤の市(フリーマーケット)

ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。・・・ウィキより

『まるで絵画、宇宙からとらえた世界の絶景 NASAが衛星画像公開

2018.04.23 Mon posted at 14:33 J

(CNN) 中国の万里の長城やドナウ川の流れ、オーストラリア大陸の奥地に北米のグランドキャニオン。米航空宇宙局(NASA)の公開した衛星画像を眺めれば、世界各地の名所や信じられない絶景を自宅に居ながらにして楽しめる。

宇宙からとらえた画像に写る鮮やかな色彩と独特な曲線は、写真よりもむしろ水彩画に近い印象を見る者に与える。

宇宙初の高級ホテルが2022年にも開業する見通しだが、モジュール式の宇宙ステーションに滞在する宿泊客も、こうした景色を目の当たりにするのだろうか。

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2018年4月22日 (日)

私の世界・知らない世界―「スペースXのロケットの破片、ひと組の夫婦だけが暮らす、ケメネス(Quemenes)島で見つかる・・!?」

 ネットのAFPの動画記事から、「フランス西部ブルターニュ(Brittany)地域のケメネス(Quemenes)島で、唯一の住民であるひと組の若夫婦が米宇宙開発企業スペースXSpaceX)のロケットの破片を見つけた」という話ですが、「ひと組の若夫婦が暮らす、フランス西部ブルターニュ(Brittany)地域のケメネス(Quemenes)島を見てみたくなりました。

AFPの動画から(18秒しかないものです)

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『スペースXのロケットの破片、ひと組の夫婦だけが暮らす島で見つかる

2018421 10:35 発信地:ブレスト/フランス)

421 AFP】フランス西部ブルターニュ(Brittany)地域のケメネス(Quemenes)島で、唯一の住民であるひと組の若夫婦が米宇宙開発企業スペースXSpaceX)のロケットの破片を見つけた。20日撮影。(c)AFP

 ・・で、その場所です。

ケメネス(Quemenes)島

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 マップの添付画像から、「ケメネスQuemenesの島の農場:地球の最高の魚介類」とフランス雑誌に紹介されていることが分かりましたます。

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https://magazine.laruchequiditoui.fr/la-ferme-insulaire-de-quemenes-les-meilleures-pommes-de-mer-de-la-terre/

「モレヌ諸島の小さなクェメネス(Quemenes)にデイビッド(David)とソジック(Soizic)はユニークな住人たちと、愛の生活、淡水、特にジャガイモ、海草、朝食・・21世紀の農業冒険者たちと会う・・・!?」

 ケメネス(Quemenes)島は元の地主はファインテールのサン・マチュー修道院(サン=マチュー岬に12世紀に建てられたサン=マチュー修道院の廃墟が残っている:先の地図参照)の持ち物だったようです。

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ストリートビューとマップで

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