映画・テレビ

2020年5月25日 (月)

私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「殺伐とした雰囲気が世界に漂うのを感じて②、ネズミが『スチュアートリトル』のようにネコに向かう・・のネコ!?」

 ネットの“Mail Online”(dailymail.co.uk)から、「怖いネコじゃない! 小さな本当のネズミがファンタジー映画の『スチュアートリトル』のように大なモギー(ネコ)に向かう・・!?」:“I'm no scaredy-cat! Feisty little mouse stands up to family's giant moggy in real-life Stuart Little moment”という写真、良くあると思うのですが、『私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「殺伐とした雰囲気が世界に漂うのを感じて・・のネコ!?」』で「何か殺伐とした雰囲気が世界に漂うのを感じての企画・・」としネットの“Mail Online”(dailymail.co.uk)から、「添い寝のライオン:大きなネコが子いぬのように寄り添っています・・」:“The lion kipping: Big cats cuddle up as puppies・・”という写真集と同じような感じなので?(以下のURL)

http://masaki-knz.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-183690.html

ネコに向かうネズミ

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『スチュアートリトル』の1コマ

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『スチュアート・リトル』

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1999年のアメリカ合衆国の映画。原作はEB・ホワイトの同名小説。監督は『ライオン・キング』のロブ・ミンコフ。脚本は『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン。 コンピュータアニメーションの動物たちが活躍するファミリー映画。公開日: 2000715 (日本)。(=ウィキペディア)

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2015年1月11日 (日)

私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「“エイリアン”でシガニー•ウィーバーと共演・・のネコ!?」

ネットの“purr-n-fur.org.uk”の“Working Felines: Entertainment & Media”、“Cats in Films and TV”からネコ物語、「“エイリアン”でシガニー•ウィーバーと共演・・のネコ!?」:“Jonesをいつものように適当に編集です。

“エイリアン”(1979)でシガニー•ウィーバーと共演したジョーンズ(Jonesという名の生姜色のオスネコは、エイリアンが進入した宇宙船の生存者としてシガニー·ウィーバーが演じるエレン·リプリーと二人だけという重要な役です。

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エイリアンと遭遇したジョーンズの真迫の演技は、エイリアンの代わりのジャーマンシェパードを前に行われたそうで、ジョーンズは続編エイリアン(1986)でも登場しています。

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話しの続き:エイリアンもバイオハザードと同じに1作目が1番良いと思います。理由は簡単で、か弱き女性が下着姿で男らしく怪物と戦い、ハラハラが1番多いからです。以降の続編は、彼女がどんどん強くなって行き、従って、安心して見ていられる代わりにハラハラしません。

個人的な感想ですが、「“エイリアン”(特に1作目)は女性の妊娠にたいする恐怖を潜在的な主題にしたもの、エイリアン自体がヌラヌラとしたペニスを象徴しているよう・・・」と書いたところで、気になったのでウィキで調べてみました。

「エイリアン・フェミニズム」の説明にあるように、普通に当たり前の話のようです。(調べてよかった・・アホみたい!?)

『エイリアン』(原題:Alien

1979年のアメリカ合衆国の映画。航行中の大型宇宙船という閉鎖空間の中で異星生物(エイリアン)に襲われる乗組員の恐怖と葛藤を描く。・・・

エイリアン・フェミニズム

ホラーSFである「エイリアン」には、恋愛要素が薄いにもかかわらず、妊娠・出産のメタファーを中心に「濃厚なセクシュアリティが漂っている」。

内田樹はこの生殖のメタファーを「体内の蛇」のモチーフをもちいて考察している。それによると本作における「宇宙船のクルーがエイリアンの幼体からその子孫を体内にうえつけられ、それが体を破って外に出てくる」という流れは、ヨーロッパ全域で流布している「体内の蛇」と呼ばれる民間説話をなぞったものであり、この説話をフェミニズムに結びつけたことにオリジナリティがあるという。

本作でのエイリアンは男性社会のメタファーであり、男性器のような頭部を持ち、口から精液のような粘着性の液体をしたたらせている。エイリアンは女性を妊娠させようとする男性の性欲の象徴であり、主人公のエレン・リプリーはそれに対抗するフェミニズム志向の女性の役割を果たしている(リプリーを襲ったアッシュにとどめを刺すのも女性のランバートである)。リプリーはそれまでのSF映画のヒロインと違い強い女であり、男性クルーと対等で船長代行を務め会社の陰謀を探る。リプリーの姿は1970年代後半に製作された女性の自立や台頭を描いた映画『結婚しない女』『クレイマー、クレイマー』などとともに語られることがあり、また、本作はそれまでのSF映画にはなかった新しい(アクションの担い手としての)役割を女性に与えた先駆的な映画としても語らホラーSFである「エイリアン」には、恋愛要素が薄いにもかかわらず、妊娠・出産のメタファーを中心に「濃厚なセクシュアリティが漂っている」。

内田樹はこの生殖のメタファーを「体内の蛇」のモチーフをもちいて考察している。それによると本作における「宇宙船のクルーがエイリアンの幼体からその子孫を体内にうえつけられ、それが体を破って外に出てくる」という流れは、ヨーロッパ全域で流布している「体内の蛇」と呼ばれる民間説話をなぞったものであり、この説話をフェミニズムに結びつけたことにオリジナリティがあるという。

本作でのエイリアンは男性社会のメタファーであり、男性器のような頭部を持ち、口から精液のような粘着性の液体をしたたらせている。エイリアンは女性を妊娠させようとする男性の性欲の象徴であり、主人公のエレン・リプリーはそれに対抗するフェミニズム志向の女性の役割を果たしている(リプリーを襲ったアッシュにとどめを刺すのも女性のランバートである)。リプリーはそれまでのSF映画のヒロインと違い強い女であり、男性クルーと対等で船長代行を務め会社の陰謀を探る。リプリーの姿は1970年代後半に製作された女性の自立や台頭を描いた映画『結婚しない女』『クレイマー、クレイマー』などとともに語られることがあり、また、本作はそれまでのSF映画にはなかった新しい(アクションの担い手としての)役割を女性に与えた先駆的な映画としても語られる。

映画公開当時、男性に依存しない勇敢な女性が自力で(男性性の象徴である)エイリアンを退治するというこの映画を、女性たちはフェミニズムの勝利の物語として賞賛したのだ、と評価されることが多い。しかし内田樹は、本作は女性からだけでなく保守的な(反フェミニスト的な)男性からも支持されていることを指摘し、「戦闘的フェミニストの勝利」という劇的な結末を演出するために結末以前の部分では「ヒロインがエイリアンから徹底的に陵辱される」という描写で埋め尽くされていると述べている。映画のクライマックスで下着姿のリプリーに襲いかかろうとするエイリアンは男社会に虐げられてきた女性の縮図である。

リプリーにあたる役を男性から女性に変更した際、性別を意識した台詞の改変はほとんど行われなかった。ウィーバー自身はリプリーがフェミニズムに関連付けて語られることには慎重であり、「いいキャラクターはいいキャラクター、性別なんて関係ない」と述べている。

映画公開当時、男性に依存しない勇敢な女性が自力で(男性性の象徴である)エイリアンを退治するというこの映画を、女性たちはフェミニズムの勝利の物語として賞賛したのだ、と評価されることが多い。しかし内田樹は、本作は女性からだけでなく保守的な(反フェミニスト的な)男性からも支持されていることを指摘し、「戦闘的フェミニストの勝利」という劇的な結末を演出するために結末以前の部分では「ヒロインがエイリアンから徹底的に陵辱される」という描写で埋め尽くされていると述べている。映画のクライマックスで下着姿のリプリーに襲いかかろうとするエイリアンは男社会に虐げられてきた女性の縮図である。

リプリーにあたる役を男性から女性に変更した際、性別を意識した台詞の改変はほとんど行われなかった。ウィーバー自身はリプリーがフェミニズムに関連付けて語られることには慎重であり、「いいキャラクターはいいキャラクター、性別なんて関係ない」と述べている。(=ウィキペディア)

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2015年1月 9日 (金)

私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「ジョンウェインと共演、“相当な値段・・のネコ”!?」

ネットの“purr-n-fur.org.uk”の“Working Felines: Entertainment & Media”、“Cats in Films and TV”からネコ物語、「ジョンウェインと共演、“相当な値のネコ”!?」:“General Sterling Priceをいつものように適当に翻訳と編集です。

普通、ジョンウェインとネコは余り関係が無いと思われるのですが、このネコは、彼の最高の西部劇(『勇気ある追跡』:“True Grit”)の1つであると考えられる映画で、かなり重要な役割を演じているのです。

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『勇気ある追跡』(True Grit):1969年のアメリカ映画。チャールズ・ポーティスの同名小説を原作としている。(=ウィキペディア)

ジョンウェインの役は父親を殺された若い女性の犯人を捜す手助けをする酒飲みの隻眼の退役元帥(マーシャル)です。映画の中の台詞で「“相当な値のネコ”は私のものでもなく一緒に住んでいる。ネコは誰にも従属しないが私は彼を頼りにしている・・」と話します。

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いい顔のネコですが、家のチップの方が男前? と思うのです。誰かと共演出来ないものか・・!?、とするとチップも“相当な値のネコ”。

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2014年11月17日 (月)

私の世界・知らない世界―「“U2”のボノ乗せた飛行機・・」って!?

ネットのロイターのニュースで、「U2のボノ乗せた飛行機、後部ドア外れるも無事着陸」という見出しを見て反応したのですが、“UボートII型”か“ロッキード U-2”を思ってです

何しろ無事で、「飛行機は無事着陸し、ボノさんらにけがはなかった」ということです。

彼らの名前も、アメリカの偵察機「U-2」やドイツの潜水艦「IIUボート」に由来と言う説があるようですが、何の関係もないようです。

アーリントン公演の模様(2009年:ウィキより)

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話しついでに、ドイツの潜水艦「IIUボート」をウィキで調べたら、小さな潜水艦で「沿岸付近で運用されることを想定したもの・・」ということを知りませんでした。何しろ航続距離が「15 km/hで浮上航行時に2,500 km」、「4 kn (7.4 km/h)で潜航航行時に55 km」なのです。

また、名作の『U・ボート』を見たくなりました。それと『U・ボート』は何しろ原題が“Das Boot”、敵国だけでなく乗組員にも恐ろしいものなのです。

U・ボート』(原題:Das Boot、英題:The Boat)は、1981年に公開されたドイツの戦争映画。(原題:Das Boot、英題:The Boat):1981年に公開されたドイツの戦争映画。

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もう1つの“ロッキード U-2”は、冷戦時代の謎の偵察機で、開発当初その存在を極秘にされ、空港から飛び立つ時他の飛行機と比較にならない、垂直上昇をするので、相次いで「UFOを見た・・」という証言が周辺住民から出たのです。

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それと、後からですが旧ソ連がその正体不明の「黒いジェット機」U-2を打ち落とせる能力を持ち、ミサイルで撃墜してしまうのも凄いことです。

皮肉なことに、打ち落とした機体がチタン合金で軽量(高高度の薄い空気でも飛べるように!)なので、バラバラにならず現物をとどめて落下しました。それで、ロシアの科学者はどんなものか知ることが出来たということです。

ただ、真似をして作ってもダメ? というか、高く飛ぶことは出来ませんでした。

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『U2のボノ乗せた飛行機、後部ドア外れるも無事着陸

[ベルリン 13日 ロイター] - アイルランド出身の人気ロックバンド「U2」のボーカル、ボノさん(54)が乗った自家用機が12日、ドイツのベルリンに向かう途中、後部ドアが外れるというハプニングがあったことが分かった。

飛行機は無事着陸し、ボノさんらにけがはなかったという。

空港当局が13日明らかにした内容によると、同機はアイルランドのダブリンを出発し、乗客5人と乗員2人が搭乗していた。後部ドアはベルリン郊外のシェーネフェルト空港近くで落下した。ドアが外れた原因は分かっておらず、当局が現在調査している。

ボノさんは、ミュラー独経済協力開発相との会談や授賞式出席のためにベルリンに到着した。

U2(ユートゥー)

アイルランドダブリンで結成されたロックバンド。バンド名の由来:バンド名の由来については、アメリカの偵察機「U-2」、ドイツの潜水艦「IIUボート」、「You too」(ファンへのシンパシーを表す)などの諸説がある。

しかし、メンバー自身が語るところでは「バンド名を決める際に挙げた候補の内、一番マシなものを選んだだけで、特に意味はない」とのこと。むしろ「U2」という無意味な言葉の解釈の自由こそが魅力と語っている。

UボートII (U-Boot-Klasse II)

ドイツ海軍の潜水艦で、第二次世界大戦で用いられた。IIAIIBIICIIDの四つに細分化される。設計は第一次世界大戦時に建造されたUBII型潜水艦を発展させたものであり、第一次大戦後にドイツ海軍が設立した海軍技術会社(IvS)がフィンランド海軍向けに設計した潜水艦、ヴェシッコを手本としている。

この型は沿岸付近で運用されることを想定したもので、船体は小さく航続距離もあまりないが、新生ドイツ海軍にとっては貴重な戦力であった。

上記のように、もともと沿岸用の潜水艦であったので、II型は常に航続距離の短さに終止悩まされた。外洋を航行する船舶を攻撃する任務には不適だったといえるだろう。しかし、その扱いやすさから練習艦としては好適で、多くの潜水艦乗員を養成するのに役立った。・・・

UボートII型の大きさと性能(IIA型の例に)

【排水量】浮上時:254 英トン (258 t)、潜航時:303英トン (308 t)、総トン数:381英トン (387t)、全長:40.9 m (134 ft 2 in)、耐圧殻:27.8 m (91 ft 2 in)、 幅:全長:4.1 m (13 ft 5 in)

【速力】浮上時:13 ノット (24 km/h)、潜航時:6.9ノット (12.8 km/h) 航続距離:8 kn (15 km/h)で浮上航行時に2,500 km (1,300 nmi)4 kn (7.4 km/h)で潜航航行時に55 km (30 nmi)、試験深度: 全形式 : 150 m (490 ft)、総員:22人から24人兵装: 3 × 魚雷発射管 (艦首), 魚雷5

ロッキード U-2Lockheed U-2

ロッキード社がF-104をベースに開発したスパイ用の高高度偵察機。初飛行は1955年。公式ではないが、ドラゴンレディ(Dragon Lady)という愛称がある。また、その塗装から「黒いジェット機」の異名もある。

CIAの資金により開発されたU-2は、1955年(昭和30年)84日、1号機が進空したのに続いて計55機生産され、冷戦時代から現代に至るまで、アメリカの国防施策にとって貴重な情報源となった。

当初、空軍は高高度偵察機を各メーカに競争発注する予定だったが、これを察知したロッキード社の開発チーム、スカンクワークス主任、クラレンス・ケリー・ジョンソンが秘密裏に空軍へF-104を改造した偵察機型を提案し、結果として空軍はこの提案に合致するような要求を各メーカに提示した。当然ながらこうした状況ではロッキード社の案が採用となり、これがU-2となった。当時は、ベル社などがX-16などを作成していたが、こうした他社の案は全て不採用となった。

U-2は細長い直線翼を備え、高度25,000m(約82,000ft)もの高高度を飛行し、偵察用の特殊なカメラを積み、冷戦時代はソ連など共産圏の弾道ミサイル配備状況をはじめとする機密情報を撮影した。その並外れた高高度性能は、要撃戦闘機による撃墜を避けるため、敵機が上昇し得ない高高度を飛行するためのものだが、後に対空ミサイルの発達により撃墜が可能となった。

当初、U-2CIAとアメリカ空軍、台湾空軍で使用されていたが、1970年代にCIAと台湾空軍はU-2の運用を取りやめたため現在ではアメリカ空軍のみで運用されている。戦闘機や地対空ミサイルの能力が向上した現在、撃墜される危険のある地域を強行偵察することは困難であるが、電子/光学センサー(搭載量約1.36t)の進歩は著しいものがあり、直接敵国上空を飛行しなくとも、かなりの情報収集が可能になっている(敵国の付近を飛ぶだけでも、通常高度500600kmの低軌道に位置する偵察衛星に比べれば遥かに近い距離からの偵察であり、より精度の高い情報収集が可能である)。そのため後継機であるSR-71が退役した現在も、湾岸地域やボスニアでは有力な情報収集手段となっており、現役で活躍中である。アメリカ空軍はコクピット等のアビオニクスの機能を向上させ、エンジンをF118-GE-101(推力8390kg)に換装した性能向上型U-2Sへの改修計画を進めている。

なお、U-2Uは汎用機を表す任務記号で、本来偵察機ならばRが使用されるのだが、これはスパイ機という特性上本来の任務を秘匿するためにあえて付けられたものである。ただし高高度の大気観測など、その高空性能を活かして、偵察以外の任務にも幅広く使われている。現在、NASAでは研究機ER-2として、大気の測定などに使用している。

特徴

U-2は高度25000m(約82000ft)以上と成層圏を飛行することができる。旅客機は通常10000m(約33000ft)程度なので、その2倍以上ということになる。外観は誘導抵抗を減らすためのグライダーのような縦横比の大きな主翼形状が特徴で、揚抗比(揚力と抗力の比率)は20以上であり、軽量化と非常に小さな空気抵抗により目的の性能を生み出している。

U-2は軽量化を徹底した末、車輪が胴体前部と後部の2箇所にしかなく、離陸時には翼の両端に地上から離れるときに外れる補助輪をつけ滑走し、着陸時には車がU-2と並走して翼が地面につかないよう指示を出しつつ十分に低速になったところで翼端を地面にすりつけ着陸、その後補助輪を装着され滑走路から移動を行う。また高高度を飛行中の最大速度と当該高度における失速速度の差はわずか時速18km(約10kt)であり、もっとも操縦の難しい軍用機とされている。ただし失速して揚力を失っても頭部を下げれば再び揚力を回復し、その事態が即墜落に結びつくわけではない。ただ高度を下げる事になるので、作戦行動中であれば被撃墜リスクは高まる。

またその徹底した軽量化は、同時にU-2の弱点も生み出している。後述のU-2撃墜事件では、ソ連軍の放ったS-75 地対空ミサイルが付近で爆発した際の爆風で機体が破壊され、墜落した。これは地対空ミサイルの威力が強かったのではなく機体外壁がとても薄く作られていたため、衝撃波に耐えられなかったためである。

またそれを証明するように、高高度から墜落したにも関わらず、機体は、大破と言うよりは潰されたような形で発見された。軽量で大柄な機体のために空気抵抗が大きくなり、落下速度があまり速くならなかったためである。

もうひとつの特徴として、パイロットは高高度を飛行するため、特殊な与圧スーツを着用する。それはまた高高度で脱出する際に必要不可欠な装備でもある。このスーツは宇宙服とほぼ同様で、違いは色と生命維持装置が直接付いているかいないか、及び宇宙空間での推進装置が無いだけであるという(『週刊ワールドエアクラフト』より)。このスーツのヘルメットには数個の穴があり、ヘルメットを脱がずにチューブ入りの食料を摂取できる。また、呼吸と排泄のためのチューブが、外付けの機械と繋がっている。・・・

ソビエトのU-2模造機

撃墜されたU-2は半径数100kmの範囲に散乱した。それらの破片は数千人のソビエト軍によって拾い集められ、技術情報が収集された。フルシチョフはU-2のコピー機を開発するように命令し、1年後には試作機が完成した。しかし重量が重く高高度を飛ぶことができず19625月に開発が中止された。(=ウィキペディア)

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2014年11月 9日 (日)

私の世界・知らない世界―英国の用心棒? アイリッシュガーズ!?

「世界のセレブの用心棒? グルカは凄い!?」の話ついで、グルカ兵の他に英国には“アイリッシュガーズ”と言うもの凄い用心棒がいます。

「ボーア戦争におけるアイルランド人連隊の勇猛さが認められ、1900年にヴィクトリア女王により創設された」というもので、「近衛歩兵連隊のうち、アイリッシュガーズ連隊とウェルシュガーズ連隊は第1大隊(第2以下の大隊は廃統合された。)のみの3個中隊編制に軍楽隊を加えた編成」(ウィキの“イギリス近衛兵”より)と近衛歩兵連隊も編成されていて、女王の篤い信頼があるようです。

アイリッシュガーズと連隊マスコットのアイリッシュ・ウルフハウンド。

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ドラム隊の他にバグパイプを演奏するパイプ隊を擁する」というのですが、彼らは、スカートのようなものを履いていて、聞くところではパンツなし?(つまりフルチン)だそうです。

それを聞くだけでも、彼らがいかに勇敢か? 分かるのですが、相手の軍隊はきっと、バッグパイプの音色が聞こえ出すと彼らの進軍を知り、下品な表現ですが、きっと“オシッコをチビル? ほど、怯える・・”というものです。

なお、アイリッシュ・ウルフハウンド(アイルランド原産)が“連隊のマスコット”ですが、犬が戦闘参加するのではなく、グレート・デーンと並び全犬種中最大の体高を誇る彼は、「その大きな体に似合わず気性は穏やかであり、家庭で飼うには決して不向きではない」のです。

アイリッシュ・ウルフハウンド

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話は別に:アイルランドといえば、映画の『ジャッカル』に出ているリチャード・ギアが演じたIRA(アイルランド共和軍)を思い出します。

皮肉なことにIRAは「アイルランド独立闘争(対英テロ闘争)を行ってきた武装組織」で、もしかすると世界最強? というか、強固な秘密結社のテロ集団です。

アイリッシュガーズ

アイリッシュガーズ(Irish Guards)はボーア戦争におけるアイルランド人連隊の勇猛さが認め『ジャッカル』られ、1900年にヴィクトリア女王により創設された。閲兵や分列行進のときにアイリッシュ・ウルフハウンドを連れている。第二次世界大戦マーケット・ガーデン作戦の際、英第2軍の主力である第30軍団の最先鋒の任を担った。1999年にコソボにも派遣されている。1992年まで北アイルランド警備は他のアイルランド系の部隊と同様に免除されていたが、軍縮によりローテーションが厳しくなったため、北アイルランド警備のローテーションにも組み入られるようになった。正装の上着のボタンは4個ずつ2組で計8個、帽子の羽根飾りは右側に青。ドラム隊の他にバグパイプを演奏するパイプ隊を擁する。

アイリッシュ・ウルフハウンド(Irish wolfhound

イヌ(イエイヌ)の一品種(一犬種)。視覚ハウンド(サイトハウンド)に分類される。アイルランド原産で、グレート・デーンと並び全犬種中最大の体高を誇る。・・・

その大きな体に似合わず気性は穏やかであり、家庭で飼うには決して不向きではない。日本でも100頭ほどがペットとして飼われている。しかし、体の大きさに見合う食物量と寝床のスペース確保が飼育のために必要であり、加えて、長時間の散歩も必須であるため、誰にでも飼えるというわけではない。世界一大きなアイリッシュ・ウルフハウンドは体重80kg以上で、2本足で立った時の身長は2mにも及ぶ。

アイルランド共和軍(略称:IRA

アイルランド独立闘争(対英テロ闘争)を行ってきた武装組織である。アイルランド共和国軍と表記されることもある。IRAの目的は、アイルランド自由国成立後は、北部6州と南部26州(共和国)とを統一すること、つまり北アイルランドを連合王国から分離させて全アイルランドを統一することにある。歴史上さまざまな組織・集団が「IRA」を名乗っているが、1969年以降の文脈においては、単にIRAといえばIRA暫定派(アイルランド共和軍暫定派、PIRA、プロヴォ)を指すことがほとんどである。・・・

『ジャッカル』(原題: The Jackal

1997年製作のアメリカ映画。1973年の映画『ジャッカルの日』のリメイク作品である。

あらすじ:弟をロシア内務省(MVD)とアメリカ連邦捜査局(FBI)の合同捜査チームに射殺されたチェチェン・マフィアのボス、テレクは報復として凄腕の殺し屋ジャッカルに7000万ドルでアメリカ要人の暗殺を依頼する。神出鬼没で素性も何もかも不明なジャッカルを捕まえるため、チームの指揮を執るFBI副長官プレストンとMVDコスロヴァ少佐は刑務所に収監中のIRAのスナイパー、デクラン・マルクィーンに協力を求める。デクランは全面恩赦とジャッカルの顔を知る女性テロリスト、イザベラを保護することを条件にこれを受ける。実はデクランはジャッカルに恨みがあり、イザベラとの間にできたお腹の中の子供を殺された過去があった。チームの捜査を巧みにかわしながら、ついにジャッカルはアメリカ入りする。標的の見当もつかない中、ジャッカルはイザベラが保護されている家を襲撃、コスロヴァらを殺害する。そしてジャッカルはデクランに「お前は女を守れない男だ」と挑発するメッセージを残す。デクランは悲嘆にくれるが、メッセージから標的は大統領夫人であると見破り、プレストンと共に夫人の遊説会場に乗り込む。遠隔操作による狙撃から大統領夫人を間一髪で助けたデクランは、会場から逃げ出すジャッカルの後を追う。そして地下鉄構内での追跡と攻防の末、デクランはジャッカルを射殺する。事件は無事終結したが、デクランの全面恩赦は認められず、再収監されることになる。しかし、プレストンはわざとデクランを逃がし、彼はどこかへ消える。キャスト(ジャッカル:ブルース・ウィリス、デクラン・マルクィーン:リチャード・ギア、カーター・プレストンFBI副長官:シドニー・ポワチエ)

ボーア戦争(18801216日~1881323日)

イギリスとオランダ系ボーア人(アフリカーナー)が南アフリカの植民地化を争った、二回にわたる戦争。南アフリカ戦争、ブール戦争ともいう。(=ウィキペディア)

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2014年11月 8日 (土)

私の世界・知らない世界―世界のセレブの用心棒? グルカは凄い!?

イギリスの戦争のことをウィキで調べていて知ったのですが、グルカ兵のことをそれまでほとんど知りませんでした。

イギリスはバイキングの血、遺伝子を引継ぎ、これまで歴史上のさまざまな戦いを経験して、多分世界でもっとも多くの戦争(植民地の戦争も含む)を経験した国です。

従って、その兵士は世界最強? は言い過ぎでも、相当の猛者集団のはずですが、その英国軍が“凄い”と認め、採用した人たちがいるのです。

それがネパール山岳民族から構成される戦闘集団のグルカ兵、今でも現役で、「イギリス陸軍にはグルカ兵からなるグルカ旅団があり、2005年現在、イギリス軍に従軍しているグルカ兵は約3,600人」だそうで、大英帝国やイギリス王室が健在である一端は、彼らの貢献かも知れないのです。

グルカ兵が強いという逸話は、「フォークランド紛争の時、“グルカ兵が攻めてきた”と聞いただけで、逃げ出したアルゼンチンの部隊があった」ということです。

現在は、Gurkha International Group”のHPにあるように、“グルカ”は安全ガードの商品(ガードマン、セキュリティー・サービスなどの要員派遣)となり、イギリス連邦諸国に駐屯している以外に、マレーシア軍、インド国軍、アメリカ海軍、シンガポール警察にまでも雇用され、世界中のセレブのガード、セキュリティー・サービスの御用達です。

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イギリス国防省近くにあるグルカ兵の像と2005年にシンガポールで開催された国際オリンピック委員会会議の会場警備をするシンガポール警察部隊のグルカ兵

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話の続き:アメリカなど洋画で、時々ガードマン役に変な日本人(日本人から見ると、とてもそれと思えない東洋人)が出ているのを、ギャラをケチって他の国の人を雇った? と勝手に想像していました。

今回、よく考えてみると本来の映画設定は、場合によりますが、「グルカの用心棒」かも知れないと分かって、恥ずかしい? というか、少し顔の赤らむ思いです。

グルカ兵(Gurkha

ネパール山岳民族から構成される戦闘集団の呼称である。

一般的に、ネパールのグルカ族出身者で構成される山岳戦・白兵戦に非常にたけた戦闘集団であると考えられているが、実際にはグルカ族なる民族は存在せず、マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの複数のネパール山岳民族から構成されている。また「グルカ」とは「ゴルカ」(サンスクリット語発音:gau raksha)の訛りであり、イギリスが英・ネパール戦争当時ネパールのことを「グルカ」と呼んでいた(当時のネパールのシャー王朝がゴルカ王国の王家の子孫だった)ことによる。なお、グルカの意味は『牛を守る者』である。

成り立ち

19世紀、ネパールとイギリス東インド会社軍との3度にわたる戦争(英・ネパール戦争)の停戦条約が締結される際に、ネパール山岳民族特有の尚武の気性と白兵戦能力、宗教的な制約が小さい点(ヒンドゥー教徒のインド人は宗教的な制約が多いため近代戦の兵士に向かず、運用に不自由をきたしていた)に目をつけたイギリス東インド会社は、グルカ兵が傭兵として同社の軍に志願することをネパールに認めさせた。

その後、セポイの乱が発生すると、ネパールは14,000人のグルカ兵を派遣し、イギリス軍が行った鎮圧戦で大きな戦力となり、後に発足した英印軍では、シク教徒・ムスリム系インド人・パシュトゥン人などとともに重要な地位を占めた。その後も第二次世界大戦においては日本軍とも交戦した他、イギリス連邦占領軍として日本の占領任務や朝鮮戦争にも従事した。

現在

以上の歴史からイギリスやイギリス連邦諸国との繋がりが深い。イギリス陸軍にはグルカ兵からなるグルカ旅団があり、2005年現在、イギリス軍に従軍しているグルカ兵は約3,600人である。非常に勇猛なことで知られフォークランド紛争など、イギリスが関わる戦争や紛争地域への派兵で先遣隊として派遣されることが多い。フォークランド紛争時にはグルカの兵が攻めてきたと聞いて逃げ出すアルゼンチン部隊もあったという。

イギリス本国や植民地(1997年以前の香港)、ブルネイなどのイギリス連邦諸国に駐屯しているほか、マレーシア軍、インド国軍、アメリカ海軍、シンガポール警察にも雇用されている。この様に現在もイギリスの信頼は非常に深く、2004年には、イギリスのブレア首相によって、イギリス軍で勤務したグルカ兵は、完全なイギリスの市民権を付与されるようになった。一方で冷戦の終結により、イギリス軍の部隊縮小計画で若いまま退役したグルカ兵が、シエラレオネ内戦などの紛争で傭兵として参加していることが問題になったという(後述の特集番組の報道)。

特徴

「ククリ」「グルカナイフ」などと呼称される、刀身が内側に湾曲した独特な形状の刃物を携帯しており、イギリス陸軍グルカ・ライフル連隊では部隊章に使用されている。ヒマラヤでの山岳ガイドを行うシェルパ族には、元グルカ兵という経歴の者がしばしば見られる。勇猛かつ敏捷であることを求められる。グルカ兵には山岳民族特有の小柄な体格(150cm前後)の持ち主が多い。体力差については、イギリス本土の白人兵士との徒競走において、平地では大柄な白人兵が優位であったが、傾斜地でのそれでは白人兵はグルカ兵に全く歯が立たなかったとされる。NHKの特集番組では、訓練教官が射撃姿勢に移るまで0.5秒で終わると証言している。またネパールはカースト制が緩やかなため、食事などに関するタブーが少ないことも近代的な兵士に向いているという。

登用・退役

グルカ兵への登用は非常に狭き門で、小学生程度の子供の頃から格闘技や英語等の基礎教育を受けさせるための専門学校もネパール国内に存在する。また、グルカ兵は、徴兵制でも志願制でもなく、イギリス軍のスカウト部隊が山村を巡回する方式を取っている。

退役したグルカ兵は、雇用契約によりネパールへ帰国させられるが、軍の年金だけでは生活できずビジネスを始めたり、民間軍事会社の契約社員として現役復帰を果たし、紛争地域に向かう者もいる。

現代ではグルカ・セキュリティー・ガーズ (GSG) を初めとしてグルカ・セキュリティー・グループと呼ばれる大規模な民間軍事会社が形成され、世界中にグルカ兵を派遣しており、実質上の傭兵派遣業となっている。これらの会社を経営しているのは、主にイギリス軍やローデシア軍などに所属していた白人将校である。

民間軍事会社では月給1,000ドル以上の高給で働くことが出来る。国民一人当たりのGDP1,200ドルしかないネパールでは、かなりの高給職である。また英語と軍事の教育を受けているグルカ兵は、指揮命令において英語で意思疎通ができ、軍の規律を遵守するため、世界的にも重用されている。(=ウィキペディア)

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2014年10月30日 (木)

私の世界・面白い話のネタ―ソフィア•ローレン、オードリー・ヘップバーンの思い出!?

ネットの“Mail Online”(dailymail.co.uk)から、ソフィア·ローレンによる『情熱の私の人生、私は、刑務所行き、頭に向けられた銃、そしてマーロンの失礼(エッチな?)な手触り・・などから生き延びた!』:“I've survived prison, a gun to my head... and randy Marlon's roaming hands: My life of passion, by Sophia Loren”という回顧録を書いた話です。

世界で最も偉大なセックス・シンボルの1人、ソフィア・ローレンの熱のこもった回顧録ですが、ケーリー・グラントとの関係や宝石泥棒に銃を突き付けられた恐怖、夫のカーロの脱税により共犯容疑で刑務所行きの可能性があったこと、チャーリー・チャップリンが監督する最後の映画:「伯爵夫人」でマーロン・ブランドと共演することをチャップリンに頼み、実現したことなどです。

ただ、そのときマーロン・ブランド(写真)はかなり不幸な問題? に係わっていたそうです。

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小さ過ぎ(ite-sized)食事:ソフィアは、1957年にオードリー・ヘップバーン(写真)に御呼ばれで、その後お腹が空いて困った

・・で、オードリー・ヘップバーンの話です。

<オードリー・ヘップバーンの食べ物の思い出>

1957年のある日に、オードリー・ヘップバーンはスイスの湖を見渡す丘にある別荘のロッジに夫のカーロと私を昼食会に招待しました。

私たちは雪の中の小道を歩いて、おとぎ話のような家に着きました。非常に明るくて、美しく、オードリーが彼女の当時の夫メル・ファラーと暮らしていたロッジは、部屋の中が全部白でした。

23の花とたくさんのロウソクを置いたテーブルの側のオードリーは、また、全身が白の布で包まれ、 それは優雅さの極みでした。

『私、孤独と美しさを必要とするの・・』と彼女は私に話し、親しく会話をして、テーブルに座りました。

前菜は、レタスの葉っぱとカール(削りたて?)した新鮮なチーズ、ほんの少しのキイチゴ・コンポート。隣のお皿にサクサクした小さいロールパンです。

給仕の人がそのお皿を下げると、オードリーはテーブルから立ち上がりました。彼女は軽く、不可思議で、完全な? 微笑の1つを浮かべ、もの凄いことを言うのです。

『私、食べ過ぎちゃった!・・』

それで、我々の昼食は終わり!・・です。 一応外交的に、私は言いました。

『出たものは、みんなとてもおいしかったわ!・・』

私は餓死しそうになり、家に帰ると直ぐサンドイッチを作りました。

イタリア生まれの豊満な肉体女優を自負する(最近でも、『SSCナポリの熱心なサポーターである。セリエA昇格が期待される2007年には「ナポリが昇格したらストリップショーを開いてもいい」と発言した』:ウィキより)という70歳で現役? のすばらしいソフィアの話です。

なお、ヘプバーンはソフィアより5歳年上のイギリスの女優、残念なことに63歳の若さで亡くなり、美人薄命を地で行く? “本気”の人です

話の続き:思春期の最初の頃はソフィアが好み(豊満な肉体やオッパイでか?)でしたが、やがて可憐なオードリー・ヘプバーンに憧れるようになります。

ただ、映画雑誌の「スクリーン」の特集だと思うのですが、オードリーの大写しの顔写真を見て「止め・・!」にしました。

大写し過ぎで、毛穴が11つ数えられるものだったのです。彼女の毛穴で、気持ち悪くなりました。

コンポート(compote

果物をシロップやワインで煮こんだ菓子。家禽や野菜をワインで煮込んだものも含まれる。

リンゴのコンポート(ウィキより)

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ソフィア・ローレン(Sophia Loren, 1934920日~)

イタリアを代表する女優である。本名はソフィア・ヴィラーニ・シコローネ(Sofia Villani Scicolone)。アレッサンドラ・ムッソリーニは彼女の妹アンナ・マリアの娘である。本来はローレンよりもロレーンに近い発音である。

イタリアの首都であるローマで、ロミーダ・ヴィラーニとリカルド・シコローネの間に生まれた内縁の子であった。幼少時はナポリ近郊のポッツオーリで貧困の中成長した。

1950年代初頭にヨーロッパ映画に端役として出演した。その当時の名前はソフィア・ラッツアーロであった。ソフィアは後の夫となるカルロ・ポンティに見いだされ、彼の制作する多くの映画に出演した。ソフィアの初期の主演作の1つは1953年の『Due notti con Cleopatra』であった。・・・

1960年代までに、ソフィアは世界で最も人気のある女優のうちの1人としてハリウッドとヨーロッパの両方で作品に出演した。1960年の『ふたりの女』でアカデミー主演女優賞を受賞。この作品のプロモーションでソフィアとセラーズは共にアルバムをレコーディングした。

ソフィアは喜劇王チャーリー・チャップリンの最後の監督作品『伯爵夫人』に出演したことがあり、マーロン・ブランドと夢の共演を実現した。この作品は、チャップリンが、赤狩りによってハリウッド及びアメリカから追放された後の作品で、イギリスで製作、公開されたがあまり知られていない。

1957年にカルロ・ポンティと結婚するが、その時点でポンティはまだ離婚しておらず、重婚罪に問われる可能性があったために1962年に婚姻関係を一旦無効にした。2人はポンティの離婚が成立した1966年に正式に結婚した。指揮者のカルロ・ポンティ・ジュニアと、結婚後に生まれた映画台本作家兼監督のエドアルド・ポンティの2人の息子がいる。ポンティの脱税容疑事件の後、ジュネーヴに在住。事件でイタリア当局に没収されていたポンティ所有の絵画を、遺産として取り戻すとして裁判を起こした。・・・

オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn192954日~1993120日)

イギリスの女優。日本ではヘップバーンと表記されることも多い。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。米国映画協会 (AFI) の「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインしており、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りしている。・・・

イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』(en:Gigi (1951 play)) で主役を演じ、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得した。その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)などの人気作、話題作に出演している。女優としてのヘプバーンは、映画作品ではアカデミー賞のほかに、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞し、舞台作品では1954年のブロードウェイ舞台作品である『オンディーヌ』(en:Ondine (play)) でトニー賞を受賞している。さらにヘプバーンは死後にグラミー賞とエミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっている。

ヘプバーンの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。ヘプバーンがユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。1992年終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲一カ月後の1993年に、ヘプバーンはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去した。・・・(=ウィキペディア)

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2014年10月10日 (金)

私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・「ペットライオンのニール!?」

ネットの“Mail Online”(dailymail.co.uk)から「彼らは動物園を買いました:彼らのペットライオンのニールと若いメラニー•グリフィス、ママのティッピ・ヘドレンのすばらしい写真集」:“They bought a zoo: Amazing photos show a young Melanie Griffith and mom Tipi Hedren with their pet lion Neil”という写真集から適当に翻訳、選択・編修です。

豪華なソファー?:(うしろのソファーのことです)

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女優のメラニー·グリフィスは、有名な女優のママ、ティッピ・ヘドレンの元でペットライオンのニールと一緒に育ちました。ママはアフリカへの旅行の後に、ニールを家族としたのです。

ニールは彼ついての映画も作られます。

女優メラニー·グリフィスは幼い頃からコマーシャルに出、演技の勉強で彼女には普通の​​子供時代がなかったのです。それで、ニールという名前の巨大なペットライオンを友達として持っていました。

水遊び:(ライオンでなくとも・・楽しそうです)

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恐怖!:メラニー·グリフィスには“非常に恐ろしい男性”との、最初の出会いの1つがあります(ジャレテルだけ? です)

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家族の楽しみ:ニールは家族のメンバー(噛まれているのではありません)

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寄り添う:子供時代の寝室でペットと・・

(寝ているニールをそっと跨ぐメイド)

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話の続き:不思議な縁? というか、運命の神様は妙な計らいをします。メラニー•グリフィスのママのティッピ・ヘドレンはヒッチコック監督に見出されて『鳥』に出演しています。

映画の『鳥』は、「小さくてかよわい鳥が集まり、人を襲う・・」という恐怖映画で、ライオンのように「見た目が怖い・・」は、まだ本当の怖さではないという話です。

ティッピ・ヘドレン(Tippi Hedren1931119日~)

アメリカ合衆国ミネソタ州出身の女優。父親はスウェーデン及びデンマーク系、母親はノルウェー及びドイツ系。1950年代から60年代にかけてモデルとして活躍。テレビコマーシャルに出演していたところをアルフレッド・ヒッチコック監督に見出されて『鳥』に出演。ゴールデングローブ賞有望若手女優賞を受賞し一躍スターとなる。翌年もヒッチコックの『マーニー』に出演。ヒッチコックは更に彼女主演の映画製作を望んでいたが、彼女のキャリアをコントロールしようとするヒッチコックとティッピは相容れず、1967年に女優業を一時中断。その後は動物のための施設を運営しながら、テレビ中心に活躍した。女優のメラニー・グリフィスは娘。1982年(昭和57年)、出演映画『ロアーズ』の日本公開の為、来日している。

メラニー・グリフィス(Melanie Griffith195789日~)

アメリカ合衆国・ニューヨーク出身の女優。母親はアルフレッド・ヒッチコック監督の名作『鳥』のヒロインとして著名なティッピ・ヘドレン、父親はその最初の夫ピーター・グリフィス、異母妹は女優のトレイシー・グリフィス。9か月の時からコマーシャルなどに出演。4歳の時にロサンゼルスに渡り、ハリウッド・プロフェッショナル・スクールで演技を学ぶ。エキストラを経た後、17歳の時『ナイトムーブス』で映画デビュー。しかし、その後は作品にも恵まれずにスランプが続き、酒と麻薬に溺れていく。1981年にニューヨークに渡って演技を学び直し、1984年、ブライアン・デ・パルマの『ボディ・ダブル』で注目され復活。1988年、マイク・ニコルズの『ワーキング・ガール』に主演、アカデミー主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞を受賞した。その後、エイドリアン・ライン版の『ロリータ』やウディ・アレンの『セレブリティ』などにも出演。テレビにも出演している。1999年にロンドンの舞台にデビュー。2003年に『シカゴ』のロキシー役でブロードウェイ・デビューも果たした。(=ウィキペディア)

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2014年9月29日 (月)

私の世界・面白い話のネタ―「世界最深、42メートルのプール」とテルメ?

ネットのCNNのニュースからです。

「イタリアのモンテグロット・テルメにあるホテル・ミレピニでオープンした深さ42メートルの温水プールがこのほど、ギネス・ワールド・レコーズによって世界一深いプールと認定された」という話です。

42メールの深さを持つプールがイタリアにオープンした=Boaretto Group Hotel & Resort提供

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場所をマップで探査したのですが、“モンテグロット・テルメ”は「欧州最大の温泉地・・」で、リゾートホテルがいっぱい、ホテルも指定して“モンテグロット・テルメ ホテル・ミレピニ”の検索も不可でした。

こんな時は、「モンテグロット・テルメにあるホテル・ミレピニ」を英語にして、“Hotel Millepini in Montegrotto Terme”で検索すると出てきます。

「深さ42メートルの温水プール」は工事中でホテルの北側(写真の上側)では? と思います。

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「スキューバダイビングの練習用に水底洞窟を配したほか、透明なトンネルの中から観客がダイバーの様子を見物できるようにした」と凝ったものです。

プールの中には水中トンネルも

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完成イベントにはフリーダイビング選手権の優勝記録を持つウンベルト・ペリザリさんやフリーダイビングのチャンピオン、イラリア・モリアリさん(人魚の水着)でイベントに参加だそうです。

ところで“モンテグロット・テルメ”は、何か既知感? というか変な感じがあります。よく考えると温泉地の“テルメ”は、どちらが先か? です。つまり温泉の地(温泉が先)で“テルメ”か、テルメの町に温泉が出たので温泉を“テルメ”と言うのかです。(どちらでも、いいのですが!?)

話の続き:“テルメ”は英語のサーモ(THERM:熱量単位)、THERMAE:温泉、(古代ギリシャ、ローマのテルマエ)公衆浴場に関連します。それで少し前に、『テルマエ・ロマエ』をテレビで見て大笑いしたのを思い出しました。「濃い顔」の阿部寛さん(ローマ人)が、日本人を見て「平たい顔の人・・」というのを思い出すと、また笑えて来ます。

『深さ42メートル、「世界最深プール」がオープン イタリア

(CNN) イタリアのスパリゾートにオープンした深さ42メートルの温水プールがこのほど、ギネス・ワールド・レコーズによって世界一深いプールと認定された。

話題のプール「Y-40 ディープジョイ」はベネチアに近いリゾート地モンテグロット・テルメにあるホテル・ミレピニに1年がかりで建設された。最も深い部分の水深は42メートル。13階建てのビルがすっぽり沈む深さだ。

このプールはスキューバダイビングの愛好家や、素潜りで深く潜水するフリーダイビングの愛好家向け。地元の水源から引いた430万リットルの温水をたたえ、ウエットスーツを着けなくても潜水できる。

スキューバダイビングの練習用に水底洞窟を配したほか、透明なトンネルの中から観客がダイバーの様子を見物できるようにした。

プールの完成を祝うイベントでは、世界フリーダイビング選手権の優勝記録を持つウンベルト・ペリザリさんなどの有名選手がダイビングを披露していた。

ホテル側は、このプールで世界中のダイバーの注目を集めるとともに、欧州最大の温泉地と言われるモンテグロット・テルメの知名度向上につなげたい考えだ。

テルマエ・ロマエ

『テルマエ・ロマエ』(THERMAE ROMAE)は、ヤマザキマリによる日本の漫画。映画化され、2012428日より全国東宝系にて公開された。監督は武内英樹が務め、主演の阿部寛をはじめ、主要なローマ人の登場人物を日本人屈指の「濃い顔」俳優たちが演じている。日本各地の銭湯や温泉地でのロケに加え、イタリア・チネチッタでのオープンセットで1000人のエキストラによる2週間に及ぶ撮影も行われた。イタリアでは2012421日にウディネ・ファーイースト映画祭でワールドプレミア上映された。・・・(=ウィキペディア)

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2014年8月13日 (水)

私の世界・好きな映画―「200年生きた人:Bicentennial Man」

『アンドリューNDR114』(原題:Bicentennial Man)のロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)さんが811日に63歳で亡くなりました。

私的には、『アンドリューNDR114』というより原題の“Bicentennial Man”(Bicentennial200年祭)の200年生きた人」の方が、人ロボットに敬意を表して良いと思います。

Bicentennial Man”(imdb.comより)

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テレビでの放映で見たのですが、大げさに言うともの凄いカルチャーショックを受けました。ロボットやイルカ(インドでは人と認定)も人なのです。

映画の物語でロボットは「老衰死」を選びました。そして、彼は自らの手で死(自殺)を選びました。

以下は、NBCにあった彼の素敵な笑顔の写真を選択・編集です。

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『アンドリューNDR114』(原題:Bicentennial Man

1999年に公開されたアメリカのSF映画。クリス・コロンバス監督作品。原題はアイザック・アシモフの原作通り『バイセンテニアル・マン』(The Bicentennial Man)。

人間になることを夢見るロボット・アンドリュー。人間の心を育み自分が人間であるという承認を求めるロボットの200[2]に渡る物語。

あらすじ[編集]通称 “アンドリュー” ことNDR114は、ロボット工学三原則[3]に基づいて人間に奉仕するアンドロイドである。

しかし、彼は徐々に個性と創造性を発揮するようになって人間に近づく努力を重ね、めぐり合った女性・ポーシャと共に「人間」として生きるため、「肉体」を自ら作り出した生体部品に完全換装した末に、法廷に自分を人間であると認めさせようとする。

しかしあくまでも「ロボットは本質的に不死であるがゆえに人間とは認められない」とする法廷に対して、すでに稼動して二百年近く経過し、仕えてきたマーティン家の人々すべてに先立たれたアンドリューは、己の「肉体」を経年劣化して機能停止するように改造、すなわち「老衰死」を受け入れてまで自らの人間性を主張する。(=ウィキペディア)

ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams, 1951721日~2014811日)

アメリカ合衆国の俳優、コメディアン。イリノイ州シカゴ出身。

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