書籍・雑誌

2012年3月26日 (月)

私の世界・シュレーディンガーの『精神と物質』とハクスリーの『永遠の哲学』

以前にも言ったのですが、シュレーディンガーの「精神と物質」(中村量空訳)を読んで次の言葉に愕然としました。

『感覚力をもち、知覚力をもち思考する。この私の自我を、科学的な世界描像の中に見出せないその理由は、次の17字で容易に示すことが出来ます。「世界描像とは自我そのものなのである」と。』

そして、彼は波動方程式を考えた物理学者(量子力学)ですが、ハクスリーの『永遠の哲学』から十三世紀のペルシャの神秘学者ナザフィーの言葉を紹介しています。

「いかなる動物も死に際しては、精神は精神世界に戻り、肉体は肉体世界に戻る。しかしこのとき、変化を受けるは肉体のみである。精神世界は単一の精神からなっている。」 

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2011年5月24日 (火)

私の世界・読書から10―心の在り処

心の在り処について黄檗希運和尚は、

『・・・大元である「心」は、感覚と思惟の働きと共に認識されるべきであるが、その「心」は感覚や思惟に属しておらず、しかも、感覚や思惟から独立しているわけでもない。おのれの見解をおのれの五感や想念の上に築くなかれ、おのれの理解をおのれの感覚や思惟に基づかせるなかれ、されど同時に、おのれの感覚や思惟から離れた所で「心」を探し求めるなかれ、おのれの感覚や思惟を棄却することによって「実在」を把握せんと努むるなかれ。感覚や思惟に執着もせず、また、そこから離脱もしておらぬ時、その時にこそおのれの完全無碍なる自由を享受し、悟りの席を得る。』

(=黄檗・「永遠の哲学」より)

といいます。

「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」は、デカルトが『方法序説』の中で提唱した有名な命題です。

一切を疑うべしという方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。(=ウィキペディア)

しかし、「我思うと我思う、故に我ありと我思う」が正解で、しかも、「思う」というのは「思わされている」(自律的でない)ものかも知れないのです。

 心の在り処・在り様は何なんでしょうか?

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2011年5月23日 (月)

私の世界・読書9―『戦前の少年犯罪』はすごい

少年犯罪データベースを主宰する管賀江留郎(かんがえろう)氏の本です。

(少年犯罪データベース:http://kangaeru.s59.xrea.com/

「戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!」

『戦前の少年犯罪』の目次

1.戦前は小学生が人を殺す時代

2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代

3.戦前は親殺しの時代

4.戦前は老人殺しの時代

5.戦前は主殺しの時代

6.戦前はいじめの時代

7.戦前は桃色交遊の時代

8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代

9.戦前は体罰禁止の時代

10.戦前は教師を殴る時代

11.戦前はニートの時代

12.戦前は女学生最強の時代

13.戦前はキレやすい少年の時代「カッとなって」

14.戦前は心中ブームの時代

15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代

16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代

「博士も知らないニッポンのウラ21戦前の少年犯罪」

http://video.google.com/videoplay?docid=2498136214186372519#

でも紹介しています。

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2011年5月12日 (木)

私の世界・読書から8―人格は個体の内部にみいだせるのか?

(シュレーディンガーの「精神と物質」(中村量空訳)を読んで)

『・・・さて、私たちの頭脳は、もちろんからっぽではありません。強い興味を喚起されてそれを見たものの、精神生活や感情に適用させて見たときには、そこには何も見出せないと言うことを、私たちは知ったのです。

 初めこれに気付いたときは、どう考えてよいかわからなくなってしまうかもしれません。しかしながら、深い思索のうえに立って見れば、それは私にとってむしろ慰安のように思われるのであります。もしあなたが、死んだ友人にまことのせつなさを感じ、友人の死体と対面しなければならなくなったとしますと、そのとき次のような理解があなたの慰めになるのではないでしょうか。要するにその死体は、本当は彼の人格に居場所なのではなく、単に「実際上の [人格の] 参考」となるための象徴にすぎなかったのです。』

魂と言う光をプリズムのように凝集させ世界を描く台座の役目を肉体(脳)はしていたのでしょうか?

心と体はどのような関係なのかという問題は、最近まで置き去りにされていました。20世紀の中頃、科学的なものの考え「進歩の終焉」がいわれはじめ、「心身問題」をもう一度科学的に考えようとする風潮が生まれたようです。

思考は、脳の機械的な活動の結果であり、人間の思考とは、「脳の機械的な活動の結果に過ぎない」という物理主義的一元論から「意識のクオリア」や唯心論まで「意識のハードプロブレム」は多くの議論を生んで果てしなく続いています。そして「私という意識」はその議論の範疇を超えていつもユニークに存在しているのです。

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2011年5月 5日 (木)

私の世界・読書から7―「差別の世界と戦争」小出裕章

(真宗大谷派山陽教区「非核非戦法要」 200483()

小出裕章氏の文から、この前段も紹介したいのですが少し長いで最後のところです

 「ドイツ福音主義協会、マルチン・ニーメラーについて

かつて、ナチス・ドイツは600万人のユダヤ人を殺害しました。ドイツのM・ニーメラーは第1次世界戦争の時にはUボートの艦長として活躍した軍人でした。戦後、彼は福音主義教会の牧師になりましたが、キリスト教の中には「ドイツ・キリスト者」などナチズムに迎合する勢力も生まれました。彼はヒトラーの教会政策に抗して1933年「牧師緊急同盟」を結成して「ドイツ教会闘争」を指導しましたが、19377月に捕えられ、ナチス・ドイツ敗戦までダハウの強制収容所につながれていました。

戦後間もなく、ニーメラーは彼の妻とともにダハウの強制収容所を訪れ、その時のことを以下のように書き残しています。

「その建物(死体焼却炉)の前に1本の木が立っていて、そこに白く塗った板がかけてあり、黒い字で何やら書いてありました。この板は、ダハウで生き残り、最後にアメリカ兵によって発見・救出された囚人たちの、いわば最後の挨拶のようなものだったのです。つまり、彼らが、先に死んでいった仲間のために書いた挨拶です。こう読めました。『1933年から1945年までの間に、238765名の人々がここで焼かれた』。それを読んだとき、妻が失神しそうになってわたしの腕に中に沈み、ガタガタ震えているのにわたしは気がつきました。わたしは彼女を支えてやらなければなりませんでしたが、同時に冷雨のようなものがわたしの背すじを走るのを覚えました。妻が気分が悪くなったのは、25万人近くという数字を読んだためだと思います。この数字は、わたしにはどうということはなかった。わたしはもう知っていましたから。その時わたしを冷たく戦慄させたものはいくらか別のこと、つまり『1933年から1945年まで』という2つの数字だったのです。・・・1937年の71日から1945年の半ばまでは、わたしにはアリバイがあります(注・その間彼は捕えられていた)。しかし、そこには『1933年から』と書いてある。・・・1937年の半ばから、戦争の終わりまでは、お前にはなるほどアリバイがある。だが、お前は問われているのだ。『1933年から37年の7月まで、お前はどこにいたのか?』と。そしてわたしは、この問からもう逃れることはできませんでした。1933年には、わたしは自由な人間だったのです・・・」

「ナチスがコミュニストを弾圧したとき、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それから、ナチスは学生・新聞・ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げて行き、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧して来た。そして私は牧師だった。が、もうその時はすべてがあまりにも遅すぎた。」

「ナチスに責任を押しつけるだけでは十分ではない。教会も自らの罪を告白しなければなりません。もし教会が、本当に信仰に生きるキリスト者から成り立っていたならば、ナチスはあれほどの不正を行うことができたでしょうか」

いま、私は日本の国家からも、また米国からもなんらの拘束も受けていませんし、この会場にお集まりの宗教者の方々もそうだと思います。その私たちは、歴史の審判に耐えられるように今を生きているでしょうか?」

この文を読んで、私は彼が本当に信頼できるラディカルな人だと思いました。

高校のとき聖書研究会の講師で来ている牧師の内村さんが全学連三派を応援するので、「なんでですか?」と聞いたら「全てラディカルでないとあかん、ラディカルは根本的と言う事や!」と教えてくれました。

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2011年4月16日 (土)

私の世界・読書から5―救いがたい人々

震災のニュースを聞きながら「永遠の哲学」を読んでいると『ドキッ・・と』する文章に出会います。

「この無関心という大欠伸のような空虚の中に政治的な偶像崇拝という洪水が流れ込んだのだ。こうした偶像崇拝がもたらした現実の結果は、もはや多言を要すまいが、全面戦争であり、革命であり、圧政なのだ。」

これは、神について書かれたものですが、私は「偶像崇拝」を「科学技術の安全神話」と読んでしまうのです。

ウィリアム・ローは英国教会の聖職者であり、臣従を拒否したノン・ジュラー(臣従拒誓者)で、敬虔なキリスト者ですが、

『いつわりの火といつわりの光をもってみずからをも他人をも欺き、神の命の啓示、光明、開示をわれは得たりと称し、特に神の命令に応えて奇蹟をなすと揚言してはばからぬいつわりの人たちが数多くこの世に現われてきたが、この手合いはいったいどこからやって来たのであろうか。その答はこうである。彼らはみずからに背を向けることなく神をよりどころとしたのであり、自分自身の生来の本性を殺すことなく、神の御前で生きようとしている。いまや、自己ないしは腐敗した本性の手に握られるに至った宗教は、宗教というものを知らずにいた場合の悪徳よりもひどい種類の悪徳を発見するのに役立つのみ。然るがゆえに、宗教を信じる者たちの無秩序の情念すべてが生じ、世俗の諸事にだけ使われる情念よりも悪質な焔によって燃える。無秩序な情念とは、傲慢、自己称揚、僧悪、迫害の四つであり、これらは宗教への熱意というマントに隠れて、宗教を信じていなかったら慚愧にたえぬものとなったであろう行動を神聖化する。』(「永遠の哲学」より)

と言う言葉を残しています。

私は、『神』を「科学技術」、『宗教』を「科学技術信仰」と読みます。

人類の大きな間違いは科学技術の進歩を自分の欲望・願望を達成するために使うことに専心してしまい、決して人々の「安いらぎ」や「幸せ」のために使おうとしなかったのです。

巨大で複雑な問題を、より巨大で複雑なシステムで解決するのは誰にでも出来るものです。より単純で簡素なシステムで解決するのが人の知恵・文明の利器だと思うのです。

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2011年4月12日 (火)

私の世界・読書から5―救いがたい人間

震災のニュースを聞きながら「永遠の哲学」を読んでいると『ドキッ・・と』する文章に出会います。

「この無関心という大欠伸のような空虚の中に政治的な偶像崇拝という洪水が流れ込んだのだ。こうした偶像崇拝がもたらした現実の結果は、もはや多言を要すまいが、全面戦争であり、革命であり、圧政なのだ。」

これは、神について書かれたものですが私は「偶像崇拝」を「科学技術の安全神話」と読んでしまうのです。

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2011年4月 8日 (金)

私の世界・読書から4―救いがたい人間

私はキリスト者でもなく、宗教とは縁遠い生活をしています。釈迦も無神論者だと思っていました。

最近、「永遠の哲学」を読んで、釈迦は「不可知論者」であることを知りました。彼は神のことを一切話さなかったのですが、神について「言うべきものではない=不可知論」なのです。例えが良くないかもしれないのですが、「カタツムリ」が人間のことを考えたとしても理解出来る筈がない様に、人間には神のことが分かるはずがないしその言葉が見つからないのです。

震災や原発の事故や世界の戦争や飢餓を考えると、「神がいるとしたらなんでそんなに不公平なんだろう」と思うのですが、

ルターはその著書「非自由意志論」で、「これほど少数の人しか救わず、これほど多数の人を罪に落とす神が慈悲深いものであり、神とは、気の向くままに私たちの地獄落ちを必然の運命と化せしめ、それゆえに、惨めな人々に責め苦を与えることを喜び、愛されるより憎まれるほうがふさわしいと思われる、そういう神を信じることこそまさしく信仰の極致なのである。理性を働かすことによって、この神―あれほどまでに怒りと苛酷さを示す神が、慈悲深く、正しいものであるとこの私に考えられるなら、信仰の必要はない。」(=「永遠の哲学」:オルダス・ハクスレー)とビックリするようなことを言っています。

「なぜ正しい人や潔白な人が不当な苦しみに耐えなくてはならないのか。・・・私たち自身の利己心が間違って解釈されているためである。」(=「永遠の哲学」)

つまり、人は自分のことと思えないのです。

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2011年4月 4日 (月)

私の世界・読書から3

シュレーディンガーの「精神と物質」(中村量空訳)を読んで次の言葉に愕然としました。

『感覚力をもち、知覚力をもち思考する。この私の自我を、科学的な世界描像の中に見出せないその理由は、次の17字で容易に示すことが出来ます。「世界描像とは自我そのものなのである」と。自我は世界全体と同一なのですから、その部分として世界に含まれるわけがないのです。』

そして、彼は波動方程式を考えた物理学者(量子力学)ですが、十三世紀の回教徒でペルシャの神秘学者アジズ・ナザフィーの言葉を以下のように紹介しています。

「いかなる動物もその死に際しては、精神は精神世界に戻り、肉体は肉体世界に戻る。しかしこのとき、変化を受けるのは肉体のみである。精神世界は単一の精神世界からなっている。それは肉体世界の奥に輝いてあり、一個の動物が生を受けるとき、それがまるで窓のようになって、そこから光が差してくるのであっる。その窓の種類と大きさとに応じて、多くまた少なく、光がこの世に差し込むのである。だがその光そのものは不変なのである。」

去年、入院をしていて、この言葉がきっかけで私の世界を書き始めました。そして、精神世界、脳科学、生物、細胞と遺伝子、シュミレーティドリアリティーとモデル、数論と論理学と・・・とんでもなく広がって行くのです。

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2011年3月30日 (水)

私の世界・読書から2

私にも後で考えると大したことでもないのにひどく悩んだり、「死んだほうがましかもしれない」と思うことがありました。

ずいぶん昔で正確ではないのですが、稲垣足穂の話を読む機会があったことを思い出しました。

彼はその才能のすばらしさに比べて晩年まで貧しい生活を送っていて、たしか50歳で結婚して京都の伏見で寮母をしている奥さんの部屋に同居していました。部屋には、広辞苑が一つあっただけだそうです。

筆記用具は散歩のとき小学校の門の前をうろうろしていると、子供たちの使い古した鉛筆が落ちているのでそれを拾って使っているのです。原稿用紙はないので、原稿は新聞のチラシの裏に書くのだそうです。

その話を読んだとき、僕は何かうれしくて、愉快で仕方なくなって「人間てすごいなあ・・」と感動したのを思い出しました。

確か、論争していた師匠格の佐藤春夫さんが亡くなったとき、「早よ死んだ方が負けや」と言ってしまったのです。

(足穂さん、勇気をありがとうございます。記憶違いで間違いならすみません)

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