私の世界ー人との出会い・「システム科学の先達の人々」(リメイク)
<その①八杉理事長>
私の本業の1つはコンピュータ・プログラムの作成です。それは、40年以上も前に京都コンピュータ・センターというコンピュータ・プログラムの専門学校に入って学んだことに始まります。そのまま京都コンピュータ・センターのシステム開発部に就職したことが契機となりました。
そこに理事長の八杉正文さんが居ました。八杉さんは京都市の助役や交通局長をやった後、自由民主党・民社党が推薦して市長選に出馬します。社会党・共産党の推す富井市長と戦いますが、当時の京都は蜷川虎三府知事が居て、革新色が強く、夢―破れてしまったのです。
その後、京都産業大学法学部の行政学の教授となります。
大学を退官してから京都の政・経済界の協力を得て、京都コンピュータ・センターを作るのです。情報工学の単科大学にしたいと話していました。
印象に残っているのは、理事長室にルノワールの絵画らしきもの?が飾ってあるのですが、若い研究員を呼んで、
「私は君たちのような芸術品??の将来に賭けているんだ。それに比べるとこんな絵画〔ルノワールの絵?のこと〕なんか1つも惜しくない。いつでも売って君たちの為に使おうと思っているんだ。」
と話してくれました。
入社した年のクリスマスの前の日、八杉さんが僕と大橋さんを理事長室に呼ぶのです。
「何を、怒られるのやろか?・・」
とビビッて理事長室に入ると、ニコニコした八杉さんが居ました。
「今日は、クリスマスイブだよ!君たちもたまには祇園で飲んで来なさい。」
とパーティー券を二枚差し出すのです。
「その代わり、券だけにしなさいよ。絶対お代わりしてはいけません。祇園のクラブはものすごく高いお金を請求されますから!」
と言ってくれました。
八杉さんは、当時、泉さんという通産上がりのおじいさんに、社団法人の申請を依頼していました。多分、それが上手く行きそうなので嬉しくて、僕らにもそのおすそ分けをしてくれたようなのです。
ただ残念なことに、その夜、交通事故で亡くなられたのを次の日に知りました。なんとも無残というか、「そんな、僕らのことを気遣うような、珍しいことをするからや?・・」と泣きました。
<その②泉さん>
泉さんは役所上がりのおじいさんで、社団法人化の申請事務をするために事務所に来ていた人です。詳しい経歴は聞けなかったので、通産省のOBくらいにしか思っていませんでした。
あるとき、当時の世間知らずの私でも大物と知っている、稲葉秀三さん本人が事務所に尋ねて来る事があって驚いたのです。もっと驚いたのは、稲葉さんと泉さんが親しげに話していて、心を許した部下か同僚のような関係に見えたのです。つまり、泉さんも「一廉の大物」だったのです。
泉さんはいつもパイプ煙草をくゆらせていました。申請事務をする傍ら、孫が遊んでいるのを眺めるような目で、私たちの仕事ぶりを眺めていました。その煙草の煙の匂いは、甘酸っぱくて気持ち良いものです。
「そうだ、僕もパイプやろ!?・・」
と泉さんを真似てパイプ煙草を始めたのです。
やってみると意外な効果に気が付くのです。「暇が持余せる?・・」のです。システム開発部の仕事は、役所の仕事が主ですから期末の4月前後が死ぬほ
どいそがしいのですが、夏と秋は暇なのです。
システム開発部以外の人は、教育(コンピュータ学校)の仕事があるので年中授業とその準備?を何かとしていますが、私と大橋さんはその時期暇?なのです。
パイプ煙草を吸うのは、いろいろ面倒な手続きと作業を要します。まずパイプに煙草を詰め、この詰めるのも技術がいります。おもむろに火を着けます。上手く吸わないと火が消えるのでたえず金具?(通は熱くても指先で「チョンチョン」する)で押し込みながら、火をまた着けるのです。吸い終わると、掃除が待っています。掃除もいろいろ道具を使ってやるのです。
この作業で30分は持つのです。
好都合なのは、泉さんが「スパ、スパ・・」やっているものですから、上司も僕を怒れないのです。
まじめな話し、暇なときはずいぶん勉強のために工学関連やサイバネティックスなどの本を読みました。
その様子を見て泉さんはいつも、
「君たちはいいなあ、一生懸命になれることがあって?・・」
と羨ましそうに話すのです。
結局、今の社団法人と私があるのは、泉さんのおかげだと思うのです。
話しは別に:暇なときの特技として、大橋さんは目を開けて眠りました。すごいことに、前にある本のページを時々めくるのです。というか、目が細くてメガネを掛けていて、いつもおとなしく騒がないので、寝ているか起きているか分からないのです。ひょっとすると、僕のパイプ煙草と同じく大橋さんの作戦?かもしれません。
それとは関係ありませんが、私は煙草の煙を肺に入れることが出来ないので、吹かすだけです。パイプ煙草もそういうものだそうで、煙を肺に入れないのだそうです。煙草の初体験で肺に入れようとしたら、むせて、痛くて諦めてしまいました。煙草の煙と肺がんの関係が問題になったとき、自分は肺に入れていないのだから大丈夫と思っていたら、この間イヤなことを耳にしました。副流煙は同じように危険なのだそうです。自分の煙を受動喫煙すっるのはあほな話です。
<その③平澤興会長>
平澤興先生は社団法人システム科学研究所の初代会長です。京都大学の総長だった人ですから、僕たち研究員は研究所の行事や忘年会で年に数回お会いする程度です。
一度、忘年会で酔っ払って、先生の頭を「ぺんぺん」した人が居たのですが、先生はニコニコして平気で愉快に笑っていました。
専門は脳神経解剖学だそうですが、僕たち若い研究員に話をするといつも同じ話をします。
「人間の脳細胞は40億個ほどありますが毎日何十万と死んでいきます。そして、脳は使わないとどんどん劣化してダメになるのです。あなたたち若い人は脳をドンドン使ってください。脳はいくらでも成長して輝かしい未来を約束してくれるのです。」
先生は確か40億個と言ったような記憶があるのですが、言われたときに、
「あれっ、お年の先生はもうほとんど脳細胞があらへんやん?・・」
と反射的に思える数字でした。当時、反射的な概数の計算は得意だったのです。
注)計算例50万×365日×60年≒110億で40億なら倍以上
今は神経細胞は約140億個で、それは脳細胞の10%程度、グリア細胞が他を占めていて、全体では1400億以上となることを知っています。
先生の脳細胞は十分あったのです。
<その④佐々木先生>
当時の佐々木綱先生は京都大学の交通工学の教授でした。
私がシステム科学を辞めた後、委員会でよくご一緒しました。と言っても、私は作業委託を受けているコンサルタントの下請けと言う立場です。
始めてお会いしたときは、「佐々木先生は怖い人?」と言う話をする人が居て緊張してお会いしたのです。会って見ると、話と違って非常ににこやかで気さくな先生で「不安?」は吹っ飛びました。
何回か委員会でお会いしていると、私がまだ25歳過ぎで若いからか、大学院の学生か助手と思っているような所が何故かありました。
「金澤君、この間、頼んでおいた計算、うまくいきましたか?・・」
と言う言い方が、学生にレポートの課題を出してその結果を聞くニュアンスそのものなのです。
「実はプログラムに問題があって、まだ答えが出ていません?・・」
と言っても、
「もう少し工夫して、トライしてみなさい、時間はあるのですから!・・」
と言ってくれそうな雰囲気なのです。
委員の先生方を集めておいて「答えがまだ」はない話ですから、そんなことにはならないようにするのですが。
大阪湾岸道路に関する委員会で、先生の京都大学のコンピュータを借りて交通配分の評価計算をしたときの話です。
結果は一応前もって出ていたので、東京へ出張して帰ってからまとめる予定で行ったのですが、東京の作業が徹夜続きで帰りの新幹線だけが睡眠時間という状態でした。夜遅くに事務所に帰って、結果をレポートにまとめるのは不可能と判断したので、一枚の総括表にまとめるだけで精一杯でした。それでも、明け方近くまで掛かったのです。
そんな状態で委員会に出たとき、佐々木先生は瞬時に分かったようです。
「金澤君、結果出たの?・・」
「なに、表にまとめてあるの?・・」
「ほう、十分、十分、分かりやすく上手く出来ているよ・・」
と言ってくれました。前回の委員会では、結果を出して分析レポートを作ることになっていたのです。
話しは別に:私は大学教授がそんなに偉いとは知らなかったのですが、委員会なるものに出ると、着席順で見事に分かります。序列は大学教授、その助手、役所の部長、課長、係長、担当者、受注側コンサルの部長、課長、担当者、そして下請けの私となります。気が遠くなるほど、下等なのです。
ただ、ラッキーなことに、教授の口の利き方1つで私の序列が見事に逆転します。我々下請けが尊敬できる良い先生は、作業者を立てる意味で、まず一番に「金澤さん、どう思いますか?」と聞いてくれるのです。
すると、他の全員が私の序列を教授の次にします。ただし、委員会の中だけの話ですが・・。