心の在り処

2019年7月 8日 (月)

私の世界・知らない世界―「常識のパラドックス・・!?」

 最近になって、どんどん確信に近くなってきたと思うことに「常識のパラドックス」があるのです。つまり、普通の常識として当たり前!と思っていたことが実は逆であるということです。

 その例が整数と実数のことで、以前話しましたがこの世界は字のごとく実数の世界がリアル(現実)で、整数は便宜的な数と思っていますが実は逆で、この世界は整数の世界(その意味では仮想現実的?=シミュレーションの世界)で実数は大数を扱うための便宜的な数なのです。

 物事はユニークに起こると思うようですが、パラレルに起こっていることを意識的に選択しているだけ、この世界(=宇宙全体を含む全て)はパラレルワールドです。

 物質が複雑化して精神を生むのではなく、精神(思念、考え、イデア*注)が先に設計図を考えて、物質は後から出来る(生まれる)ものです。

 話は違いますが、母親が赤ちゃんを産むのではなく赤ちゃん(受精卵)が母親を作り、生まれ出て来るのです。

 「私」という意識は、自ら発生したものではなく、いわば外からの声、指令(いわば神の声)として生まれ、自分化(=自分の声、囁きなって行った)して行ったのです。自意識は内発的なものではなく、外発的なのです。

*注)イデア論(theory of Forms, theory of Ideas

プラトンが説いたイデア(idea)に関する学説のこと。 本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない、とする。・・・(=ウィキペディア)

 

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2018年11月 7日 (水)

私の世界・面白い話のネタ―『オウムアムアは、太陽系外の文明から送り込まれた探査機だった・・!?』

 ネットのCNNのニュースから、「昨年10月に米ハワイからの観測で見つかり、地球の近くを通過していった「葉巻型」の天体は、太陽系外の文明から送り込まれた探査機だったとの説が・・」という話ですが、AFPにも同じ記事があるので写真はそれを載せます。

太陽系の外から飛来した初の天体「オウムアムア」の想像図。欧州宇宙機関が公開(2017627日公開)。(c)M. KORNMESSER / ESA/Hubble / AFP

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 CNNの文中にある、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)による小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」は太陽帆(ソーラーセイル)と呼ばれる機能の実証機です。

IKAROS(イカロス)

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独立行政法人宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究所(ISAS/JAXA)及び月・惑星探査プログラムグループ(JSPEC/JAXA)が開発した小型ソーラー電力セイル実証機である。名称は「太陽放射で加速する惑星間凧宇宙船」を意味する英語の「interplanetary kite-craft accelerated by radiation of the Sun」にちなむものであり、森治により、ギリシア神話の登場人物の一人イカロスにちなんでつけられた。・・

太陽帆(たいようほ・たいようはん)

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ソーラー帆、ソーラーセイル、光帆(こうはん・ひかりほ)とも呼ばれ、薄膜鏡を巨大な帆として、太陽などの恒星から発せられる光やイオンなどを反射することで宇宙船の推力に変える器具のこと。これを主な推進装置として用いる宇宙機は太陽帆船、宇宙ヨットなどと呼ばれる。・・・(=ウィキペディ)

 地球外生命体の存在に興味がありますが、私的な意見を言うと「宇宙の全生成過程と特に今現在の世界は生命体(人)の存在意識と関わり(=意識により選択されている)、高度な別生命体は、その場(人の意識が選んだ次元、今現在の世界)には存在し難い・・」、言い方を変えると「彼らば別次元の世界(宇宙)を作って住んでいる・・」と言う感じ。つまり、この世は自身のもの、私の世界なのです。

 何か? 言うほどに間違ってるような気が・・!?

『謎の葉巻型天体は宇宙人の探査機か 米学者らが論文

2018.11.07 Wed posted at 10:38 JST

(CNN) 昨年10月に米ハワイからの観測で見つかり、地球の近くを通過していった「葉巻型」の天体は、太陽系外の文明から送り込まれた探査機だったとの説が新たに発表された。

米ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの天文学者、エイブラハム・ローブ教授らが論文をまとめ、天体物理学の専門誌に提出した。

この天体は、ハワイ語で「遠い過去からの使者」を意味する「オウムアムア」と名付けられた。長さが幅の10倍と細長く、時速31万キロの猛スピードで太陽の近くを通過。今年1月に太陽系から出て行った。

専門家らは当初、すい星か小惑星との見方を示した。だが最終的に、太陽系外から飛来した「恒星間天体」が初めて観測されたとの結論に達していた。

ローブ教授の論文によれば、オウムアムアは地球外生物が地球に送り込んだ探査機だった可能性がある。

あるいは、太陽に近付いた時に突然加速した様子から、太陽光エネルギーで動く「太陽帆」だったとも考えられる。

高度な機体の一部が、宇宙空間を漂流するうちに太陽系へ入り込んだのかもしれない。壊れて機能が停止していたとすれば、変則的な軌道や速度も説明がつくという。

ローズ教授は、同じような規模の太陽帆がすでに地球上でも開発されていると指摘。その例として、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)による小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」を挙げた。

『太陽系外から飛来の物体「エイリアンが送り込んだ可能性」 米大の仮説が話題に

2018117 10:17 発信地:タンパ/米国)

117 AFP】観測史上初めて太陽系外から飛来した小惑星と2017年に認定された「オウムアムア(Oumuamua)」について、米ハーバード大学(Harvard University)の研究者らが今週、地球外生命体(エイリアン)から送り込まれた「探査機」である可能性に言及し、注目を集めている。ただ、ほかの専門家からは懐疑的な見方が出ている。

ハワイの言葉で「使者」「偵察者」を意味するオウムアムアは昨年10月、地球上の複数の望遠鏡によって発見された。全長約400メートル、幅約40メートルの葉巻形で岩石質の恒星間天体で、太陽系内を超高速で移動している。

 ハーバード大の宇宙物理学者、シュムエル・ビアリー(Shmuel Bialy)氏ら2人が率いる研究チームは論文(プレプリント版)の中で、「とっぴな仮説」と断った上で、オウムアムアは「地球外文明によって地球近辺に意図的に送り込まれた、完全に機能している探査機かもしれない」と指摘している。

 オウムアムアは、想定よりも速い速度で太陽から遠ざかっている。これは、太陽光を受けることで及ぶ圧力(太陽光圧)で進むソーラーセイル(太陽帆)のようなものによって推進力を得て、宇宙空間を移動しているとも考えられる。

 ビアリー氏は6日、AFPへの電子メールで「オウムアムアの想定以上の加速という未解明の現象について、私たちは太陽からの放射圧の力によって説明できる可能性があることを示している」と説明。この仮説が成り立つには「物体の表面積が極めて広く、かつ極めて薄い必要があるが、そうしたものは自然界にはみられない」としている。

 未知の力が働いているかもしれないという発案はすぐさま広がったが、ほかの天文学者たちからは異論が出ている。

 英クイーンズ大学ベルファスト校(Queen's University Belfast)の宇宙物理学者、アラン・フィッツシモンズ(Alan Fitzsimmons)氏は「ほとんどの研究者と同様、私も地球外生命体が存在するという説得力のある証拠があってほしいと思うけれど、これは違う」と一蹴。

 オウムアムアについては「別の恒星系からはじき出された彗星(すいせい)状の天体と一致する特徴が既に観測で示されている」とも指摘。ビアリー氏らの主張については「不確実性の大きい数字に基づいているものがある」と述べている。

 論文は英学術誌「アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ(Astrophysical Journal Letters)」に掲載を認められており、12日に同誌に発表される。(c)AFP/Kerry SHERIDAN

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2017年2月 4日 (土)

私の世界・面白い話のネタ―ネコ物語・『「ネコは犬程度!? に賢い」と言われる・・のネコ!?』

ネットのBBC(bbc.com)ニュースの、『科学者に、「ネコは犬程に賢い」と言われる』:“Cats may be as intelligent as dogs, say scientists”という記事から、今回はネコ物語・『「ネコは犬程度!? に賢い」と言われる・・のネコ!?』です。

「ネコは犬程度?・・」で、「あんたよりはましやし・・!」とネコ、「そんなん言われても・・?」と犬。

 

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従来の「犬が猫より知的であるという考え」は、ネコが特定の記憶テストで“犬と同じくらいに記憶が良い”ということが分かったのです。

調査は、ネコが良い感じの経験(大好きな“お八つ”を食べるなど)の記憶を思い出すことが出来ることを示しましたが、従来から犬はこの種の記憶 ―エピソード記憶として知られている特定のイベントの独特の記憶―を示すことが知られていました。

人間はしばしば意識的に、自分の一生で行われた過去の良い経験・楽しい出来事を再現しようとし、それらはその人に特有のもので、それが個性的自我の発現に関わるものと思われます。(=私的な、考えです)

高木佐保(京都大学比較心理学)さんの研究は、「ネコ(犬だけでなく)が一回の過去の経験の記憶を使うことで、それが人間と類似したエピソード記憶を意味するかも知れない・・」ということです。

「エピソード記憶は、心の内省的な機能に関連があると見られます。 我々の研究は、ネコがある種の意識を持つことを意味するかも知れません・・」と、BBCニュースに話したそうです。

面白いのは、「ネコも盛んに人のような経験の記憶を思い出して楽しんでいる、つまり、ネコが“思い出し笑い”しているかも知れない・・」ということです。

「えっ・・わたしって、そんなに賢いの・・!?」とネコ

 

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 ただ、現在ネコ派の身として、“犬並み”は若干抵抗があります。

・以下は、高木佐保(京都大学比較心理学)さんの研究を紹介したサイト(たまたま見付けたもの)です。

http://www.gizmodo.jp/2016/06/post_664749.html

 

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『ネコは本能的に物理法則を理解している

2016.06.25 10:00)「ねこは原因と結果の関係を理解しながら、音によって目に見えないものの存在を予測している」と、新たな調査結果を明らかにしたのは京都大学の高木佐保さん。

実は過去の研究でも、ねこの聴覚が視覚を支配している可能性があることを指摘していた高木さんは、筆頭著者として昨年公開した論文のなかで「ねこは鋭く耳を傾けながら、音によって目に見えないものの存在を予測している」と、同様の結論を導いていました。

そんななか今回、彼女が新たな研究に踏み切ったのは、「周囲の環境」や「ビジュアル的な刺激」が結果を曲解させている可能性について考えたのが背景にあったようです。

最新の実験に参加したのは、30匹のねこたち。そのうち8匹はボランティアで参加した家猫たちで、その他は(いまや世界的に広がりつつある)ねこカフェの住民たち。実験の開催地は、それぞれが暮らしている実家あるいは、ねこカフェの個室と、彼らにとって最も馴染み深い環境がセッティングされました。

実験では、鉄のボールが入った箱などを使って次の4つの条件を試し、ねこの反応を見ました。

(1)振るとガタガタと音がして、逆さにすると箱からボールが落ちるパターン

(2)振るとガタガタと音はするが、逆さにしても(装置によって)何も落ちないパターン

(3)振っても音が立たず、逆さにしても何も落ちないパターン

(4)振ったとき音は立たないが、逆さにすればボールが落ちるパターン

どのねこも興味を示したのは、音がするコンテナ。ただ、因果の法則に従わない場合、すなわち(2)(4)の条件に対しても、長らくコンテナを見つめる反応を示したようです。

この実験から「ねこは音を頼りにしながら、目に見えないものの動きを予測しているということ」だけでなく、「耳で聞こえる音や目に見える動きの関係がズレて原因と結果が一致しないときには当惑すること」がわかる、と高木氏・・・(以降、略)』

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2016年12月 1日 (木)

私の世界・面白い話のネタ―『善人、悪人を顔で判断できるか?・・!?』(その2)

前回、ネットの“Mail Online”(dailymail.co.uk)から、『善人、悪人を顔で判断できるか・・?』という問題を扱いましたが、その中にナチス戦犯のアドルフ・オットー・アイヒマンとイルマ・グレーゼが入っています。

アイヒマンは別として、イルマ・グレーゼはウィキによると、『ドイツ降伏直前の1945417日、ベルゼンに入ったイギリス軍によって逮捕され、同年1117日に死刑判決を受け、翌月の123日にイギリスの死刑執行人アルバート・ピエレポイントの手で刑が執行された。22歳没。』ということで、「ナチスでの全刑死者では最年少」だそうです。

ネットの“YouTube”に“Irma Grese 1923 – 1945”という動画があり、以下はそれを編集したものです。

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18歳の時にラーフェンスブリュック強制収容所で看守として訓練を受け、19歳の時にアウシュビッツ強制収容所に配属された・・」ということです。

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 見方にもよりますが、彼女がナチスの冷酷・非常な女看守となり、最年少の死刑(22歳没)となったのは社会状況や回りの大人の所為、そのイメージは後で作られたもので、本当のところは不明です。

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 彼女を生来の悪人と思うかどうかは、見る人の心の内にあるものです。

アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann1906319 - 196261日)

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ドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐。ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。

戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。19614月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された。

イルマ・グレーゼ(Irma Grese, 1923107 - 1945123日)

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

イルマ・グレーゼ(Irma Grese, 1923107 - 1945123日)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

<経緯>

元々、ナチスの一組織ドイツ女子同盟 (BDM) に深く共鳴し、15歳で学校を辞めた後、親衛隊幹部のサナトリウムで看護師などをしていたが、18歳の時にラーフェンスブリュック強制収容所で看守として訓練を受け、19歳の時にアウシュビッツ強制収容所に配属された。その後、連絡主任にまで出世する。

<収容所での振る舞い>

アウシュビッツ強制収容所の囚人女医ジゼラ・ペルルによると、風貌は美しい天使の如き無垢な顔の少女であったが、女性看守の中では最も残酷であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせることで心的快感を得るサディスティックな側面を持っていたという。また、ヨーゼフ・メンゲレらとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだ事もあったとされる。

さらに、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりする行為等、収容所を説明する数々の文献に悪名高き者として取り上げられる事も多く、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の元収容者、バリー・スパンヤードは解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と講演等において激越に批判している。

<ベルゼン裁判>

ドイツ降伏直前の1945417日、ベルゼンに入ったイギリス軍によって逮捕された。その後、ナチスの数々の人道に対する罪を裁くベルゼン裁判で「戦争犯罪裁判規定」第4条に基づき、コーンウォール公軽歩兵第五連隊よりベルゼン所長ヨーゼフ・クラーマーを含む他の43名と共に戦争犯罪の罪状で起訴されている。同年1117日に死刑判決を受け、翌月の123日にイギリスの死刑執行人アルバート・ピエレポイントの手で刑が執行された。22歳没(ナチスでの全刑死者では最年少)。尚、最期の言葉は「早く済ませて」であった。(いきぺディア)

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2016年3月13日 (日)

私の世界・知らない世界―「コンピュータ(人工知能)は脳(人間)の意識(心)を持つ・・!?」

ネットのCNNのニュースからアメリカの発明家のレイ・カーツワイル氏が、「コンピューターは2029年までに愛情や人格を身に着けて、人間並みか、恐らく人間を上回る知能を習得するだろうと予測・・」という話しです。

将来コンピューターは、論理的知能のみならず情緒的表現も身に着けるようになるという

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未来予想が恐ろしいほど的中するという米発明家、レイ・カーツワイル氏=本人提供

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レイ・カーツワイル氏の経歴や未来予測がウィキに紹介されているので載せておきますが、私の個人的な考えでは2020年台の「人間の脳全体の正確なコンピュータシミュレーション」とそれに関連する2030年代以降の予測は疑問に思います。

脳の記憶の方法(記憶場所ではない)や本質的な脳の仕組みを、まだ脳(人間)は全然理解していません。

チェスや将棋、囲碁などの知的ゲームでコンピューターが脳(人間)を凌駕出来たのは“脳の仕組み”が分かり、そのコンピューター・プログラムが脳より優秀な思考をしたのではないのです。

コンピューターは正確無比の多量の記憶と高速処理とネットワークによる連係処理が出来、その点は脳(人間)をはるかに超えるものです。

そのことを知的ゲームに利用(プログラム化)しただけです。

コンピューター(人工知能)は最近、翻訳もしますが言語を理解しているのではありません。単純に言えば両方の言語データを分類(ソート)した成果を利用しているだけです。

彼には芳しいバナナの味や夕日の切なさを感じる心、観測する意識がないのです。シュレーディンガーはその著書:「精神と物質」の最後に、「科学的な理論は決して感覚的性質を説明するものではありません」としています。物理的な確率事象の波束を収束させる観測者(意識を持つこと?)に、今のところコンピューター(人工知能)はなる術がないのです。

未来予測(詳細は「en:Predictions_made_by_Ray_Kurzweil」を参照)

The Singularity Is Near(2005)より>

2010年代:

・遺伝学/バイオテクノロジーにおける革命はそのピークに到達する。2020年代の間に、人間は自分の遺伝子を変化させる手段を持つことになるだけではなく、「デザイナーベビー」は自分の皮膚細胞を若々しい他の細胞に形質転換することによって、自分の身体の組織や臓器のすべての若返りが実現可能になる。人々は根本的に平均寿命を延長し、病気や老化から離れて自分の生化学を「再プログラム」することができるようになる。

・コンピュータは小さくなり、ますます日常生活に統合される。

・多くのコンピュータ装置は、小型のWebサーバとして使用され、それらのリソースは、計算のために利用される。

・高品質なブロードバンドインターネットアクセスは、ほとんどどこでも利用できるようになる。

・バーチャルリアリティの生成。ユーザの網膜上にビームの映像が投影される眼鏡の登場。これらの眼鏡は新しいメディアとなる。

・「VRメガネ」。さまざまな日常のタスクでユーザーを助けることができる「バーチャルアシスタント」プログラムを搭載したコンピュータの登場。

・バーチャルアシスタントは、複数の機能をもつことができるであろう。一つの有用な機能は、外国語で話される言葉は眼鏡をかけているユーザーへ字幕のように表示される。

・携帯電話は、衣類に組み込まれ、ユーザーの耳に直接音を投影することができるようになる。

2015年:

・家庭用ロボットが家を掃除している可能性がある。

2018年:

10TBのメモリ(人間の脳のメモリ容量に相当)が1000ドルで購入できる。

2020年代:

・ナノテクノロジーの革命が開始される10年:この10年はまた、ロボット(強いAI)がチューリングテストを通過。教育を受けた人間と同等の知性になる。

1000ドルのパーソナルコンピュータは人間の知性をエミュレートするために必要なハードウェア性能を持っている。

・サイズが100ナノメートル未満のコンピュータが可能になる。

・最初の実用的なナノマシンが、医療目的のために使用される。

・人間の脳全体の正確なコンピュータシミュレーション。

・血流に入ることができるナノボットは、この10年の終わりまでに(必ずしも広い使用されていないが)存在することになる。

・この10年の後半では、仮想現実(バーチャルリアリティ)は、本当の現実と区別がつかないほど高品質になる。

2025年:

・一部の軍事無人偵察機や陸上車両は、100%コンピュータ制御される。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2030年代:

・精神転送(マインド・アップローディング)は成功し、人間がソフトウェアベースになる。

・ナノマシンは、脳内に直接挿入することができ、脳細胞と相互作用することができる。その結果、真のバーチャルリアリティが、外部機器を必要とせずに生成することができる。

・記憶用脳ナノボット、または「経験ビーマー」として知られている人間の日常生活のリアルタイム情報脳伝送を使用して、他人の感覚を「リモート体験」できるようになる。

・人々の脳内のナノマシンは脳の認知、メモリ・感覚機能を拡張することができる。

・ナノテクノロジーは人の知性、記憶や人格の基礎を変え、人々は自分の脳内の神経接続を自由に変更できる。

2040年代

・人々はマトリックスのように仮想現実で時間の大半を過ごすようになる。

・「フォグレット」(人体をとりまくナノマシン群。人間の外見を自由に変化させる)が使用されている。

2045年:シンギュラリティ

1000ドルのコンピューターは全ての人間を合わせたより知的である。これはローエンドのコンピュータであっても人間よりはるかに賢いことを意味する。

・技術的特異点は、人工知能は地球上で最も賢く最も有能な生命体としての人間を上回るように発生する。技術開発は、自ら考え、行動し、通常の人間には何が起こっているのか理解できないほど迅速に相互通信できるマシンによって引き継がる。マシンは、AIのそれぞれの新しい世代が速く開発されると、自己改善サイクルの「暴走反応」に入る。これ以降、技術の進歩は、マシンの制御下で、爆発的であるため、正確に(それゆえ「特異点」という)予測することはできない。

・特異点は永遠に人類の歴史の進路を変更する非常に破壊的、世界的な変化を起こすイベントとなる。暴力的なマシンによって人類が絶滅させられる可能性は(ありえなくはないが)、人間と機械の間の明確な区別はもはやサイボーグ化で強化された人間とコンピューターにアップロードされた人間の存在のおかげで存在せず、ほとんどありえない。

不老長寿への挑戦:カーツワイルは1940年代生まれ(つまりカーツワイル自身も)が人類が最初に不老不死を手にする世代になると考えており、科学者の立場からなるべく消化器に負担をかけず栄養を摂取しようと1日に200錠ものサプリメントを摂取したり、毎日のように栄養注射を行ったりする等、寿命延長への野心に事欠かない。しかし一方で「生身の体を健康に保つのはものすごい苦労を伴う(ので嫌になっている)」とも著作で語り、「1日も早く機械の体に入れる日を夢見ている」と語っている。

科学による亡き父の「蘇生」:カーツワイルは現在、音楽家だった亡き父の資料を大量に集積している。DNA情報等とも照らし合わせて、いつの日か父と同じ人格を保有するAIを作成し「再会」することを目指している。

『「コンピューターは愛情学び人間を超える」 発明家の未来予想

2016.03.09 Wed posted at 16:03 JST

ニューヨーク(CNNMoney)怖くなるほど正確な未来予想で知られる米発明家のレイ・カーツワイル氏が、コンピューターは2029年までに愛情や人格を身に着けて、人間並みか、恐らく人間を上回る知能を習得するだろうと予測した。

カーツワイル氏はニューヨークで7日、天体物理学者のニール・ドグラース・タイソン氏と人工知能(AI)や未来の技術について対談。「コンピューターが人間並みの知能を身に着けるといっても、論理的知能のことを言っているわけではない」「コンピューターは人を笑わせたり、愛情を表現するようになる。それこそ人間の知能の最先端だ」と語った。

コンピューターがいつかノーベル賞を受賞するような小説を書くようになり、「人を人たらしめている側面さえ奪う」のかとタイソン氏が問いかけると、「我々はその知能を組み合わせる」とカーツワイル氏。

人は脳内の細胞ほどの大きさのナノボットを使ってインターネットに接続し、「マトリックス」の映画のように、スキルをダウンロードするようになるとカーツワイル氏は予想する。遺伝子をコンピューターのコードのように編集して病気を治療する未来も描いて見せた。

そうした技術を利用できるのは、例えばスマートフォンのように、最初は富裕層に限られるかもしれないが、やがて大量生産されるようになって値段が下がり、「ナノボットは誰にでも行き渡るようになる」という。

人間の仕事の多くはAIに取って代わられるかもしれないが、未来人の雇用については楽観しているとカーツワイル氏は言う。ただ、タイソン氏に具体的な職種を挙げるよう促されると言葉に詰まった。結局のところ、現代の半導体設計やウェブサイト開発といった職業は1910年代には誰にも予測できなかった。

脳内のナノボットは新しい五感も生み出す。耳で聴く音楽や舌で味わう料理を超えて、「他の感覚で楽しむ芸術や祭典が創出される」とカーツワイル氏は予測している。

レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil, 1948212日~ )

アメリカ合衆国の発明家、実業家、フューチャリスト。本名はレイモンド・カーツワイル(Raymond Kurzweil)。人工知能研究の世界的権威であり、特に技術的特異点(technological singularity)に関する著述で知られる。代表的な発明にオムニ・フォント式OCRソフト、フラットベッド・スキャナー、Kurzweilブランドのシンセサイザー「K250」、文章音声読み上げマシーン(カーツワイル朗読機)などがある。

<経歴>

ニューヨーク・クイーンズにユダヤ系移民の子として生まれる。196012歳の時、コンピュータに触れ、以後夢中となり、統計分析のプログラムや作曲を行うようになる。高校生の時テレビ番組『私の秘密』(”I've Got a Secret”)に登場し、コンピューターに作曲させた音楽を披露。同発明で、国際科学フェア第一位を受賞、ホワイトハウスでリンドン・ジョンソン大統領からウェスティングハウス・サイエンス・タレント・サーチ賞を受賞する。

マサチューセッツ工科大学在学中20歳のとき起業し、諸大学のデータベースを構築して大学選択のプログラムを作った(後に10万ドルで売却)。1974年カーツワイル・コンピューター・プロダクツ社を設立。以後数々の発明を世に送り出す。アメリカの「発明家の殿堂」に加えられた。

1990年『The Age of Intelligent Machines』を公刊し米国出版社協会から「ベスト・コンピュータ・サイエンス・ブック」に選ばれた。このときインターネットの普及、チェスの試合でのコンピューターの勝利を、少しの時間的誤差で予測し、的中させる。その後『The Age of Spiritual Machines: When Computers Exceed Human Intelligence』で収穫加速の法則 をまとまった形で発表し物議を醸す。

2005年、『The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology』で技術的特異点・シンギュラリティーについての踏み込んだ記述を展開。「特異点は近い」と宣言し、世間一般に技術的特異点という概念が広まるきっかけを作った。

2012年にGoogleに入社。

2015年現在、GoogleAI開発の総指揮をとり、大脳新皮質をコンピューターシミュレーションしようという「Neocortex Simulator」に取り組んでいる。完成した場合はクラウドに展開し人間の第二の脳として使用するつもりだという。

2016年、新著を出版予定。

<人物>

未来研究や収穫加速の法則について、「自分の発明が現実になる時期を知りたかった」と語っている。30代のころ遺伝型の糖尿病と診断されるも、科学者の立場から医師と共同で徹底した治療を行い、現在では完治したと主張している。その論調から「テクノロジー超楽観主義者」と呼ばれ批判されることもある。

技術的特異点(Technological Singularity

テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のこと。人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事と説明されることも少なくない。 単にシンギュラリティ(Singularity)ともいう。未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す。(=ウィキペディア)

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2014年11月24日 (月)

私の世界・知らない世界―六師外道、プーラナ・カッサパの凄い“教え”!?

ネットで調べ物をしていて、“六師外道”という仏教からは「邪見」とされた人たちの中に“プーラナ・カッサパ”という人が居ることを知りました

彼は「霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた」(=ウィキより)ということで、・・もの凄い“言葉”・“教え”です。

かなり言うのを憚るのですが、母を20歳後半に亡くした時に自らの道徳体現者を無くして、忍び寄る哀しさ・淋しさの中に、ある種の開放感? というか「これから、何をしても構わないのだ!・・」という“感じ”を覚えたのを否定出来ません。

つまり、父に対しては不思議に平気なのですが、悪事を働いて刑務所に尋ねてきた母に泣かれるのだけは避けたかったのです。母の死は“プーラナ・カッサパの凄い教え”に近い思いを根源的に私の心に植えつけた可能性があります。

だからと言って、世間的体面を重んじる自分も少しはあったので、直ぐに悪事に走った分けではありません。

ただ、会社の若い人との呑み会などで、ニュースに出ている非人道的行為を彼が必要以上に非難すると、「その咎を引き受けるなら、人間は何をしても構わないのちゃう?・・」と言ってしまう自分が今でも居ます。

プーラナ・カッサパ

インドの道徳否定論者で、六師外道の一人。迦葉(カッサパ)姓は古代インドのバラモンの姓名で、また母方の姓名で、飲光と訳す。不蘭(プーラナ)は彼の実名で、満と訳す。

奴隷の子として生まれたが、のちに逃亡して裸の行者になったともいう。南伝Dhammapada Atthakathaには、釈迦が舎衛城で神変力を示して、外道をことごとく打ち破ったが、プーラナ・カッサパはその外護者の与えた壷(kuta)と綱(yottam)を取って川に身を投じて自殺したと伝えている。また『有部破僧事』には、舎利弗と目連が地獄に彼を訪ねたとある。

霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。仏教ではこれは「邪見」とみなした。

その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。

六師外道の話:プーラナ・カッサパ、道徳的束縛からの解放

(パーリ仏典を読む 日本テーラワンダー仏教協会のHPより)

 王様はあるとき、Pûrana Kassapa 師を訪ねて、この「現世において、目に見える沙門の果報というものを示すことができましょうか」、という問に、

カッサパの答え。

 「大王よ、行為しても、行為させても、切断しても、切断させても、苦しめても、苦しめさせても、悲しみを与えても、悲しみを与えさせても、疲れても、疲れさせても、震えても、震えさせても、生き物を殺しても、与えられないものを取っても、つぎ目を破っても、掠奪しても、一軒のみをねらっても、大道に立っても、他人の妻と通じても、嘘をついても――行為するものに罪悪が作られることはない。たとえ、周りが剃刀のような輪(チャッカ)でもって、この地上の生きものを一つの肉山、一つの肉積みにしても、それによって罪悪はなく、罪悪が現れることもない。たとえ、ガンジス川の南岸に行って、殺害しても、殺害させても、切断しても、切断させても、苦しめても、苦しめさせても、それによって罪悪はなく、罪悪が現れることもない。たとえ、ガンジス川の北岸に行って、布施をしても、布施をさせても、供養を行なっても、供養を行なわせても、それによって功徳はなく、功徳が現れることもない。布施によっても、制御によっても、自制によっても、真実語によっても、功徳はなく、功徳が現れることもない」。

 ここまでがその人の教えです。《何をしようと、その行為に罪はないし、罪が現れることもない》とカッサパ仙人が言うのです。これはわかりやすく言えば、世の中にある道徳的な怯えを捨てている教えです。だから大胆に言葉を選んでいます。

 切断というのは人の手足を切断しても、ということ。人を悩ませても、人を脅しても、殺生しても、泥棒しても、待ち伏せをして商人のお金を全部掠奪したりしても、べつに罪悪はない。逆に、すごい修行をしたり、お布施をしたりしてもべつに徳があるわけでもない、と言い切ります。

 何故そこまで反道徳的なことを言うのかというと、当時の人々は罪悪感でかなり束縛されて悩まされていたのです。それともうひとつ、バラモンたちが徳の教えを押し付けて人を搾取していたのです。日本でも「お布施しなさいお布施しなさい、御利益ありますよ」と騙したり脅しをかけて、人々のお金を奪ったりすることがよくあるでしょう。バラモンたちはそれをやっていたのです。例えば、人が病気になって薬も効かないと、バラモンに頼る。「これは怨念だから除霊しないと救われない」と祈祷師のバラモンに脅され大金を要求されて除霊してもらう。でも状況は変わらなかった。そうすると、「特別な祈祷をやらなくては悪霊が払えない」ともっと厳しく搾取されるのです。

 これは人間の弱み、罪悪感の問題と徳の問題ですから、そんな精神的束縛は捨ててしまいましょう、と彼は言うのです。当時のインドの社会で、人は考えられないほどバラモン階級に苛められ束縛されていました。いまだにインドでは、バラモン人たちが作り出したカースト制度は揺らぎもしません。現代になっても人を差別することだけは絶対やめません。なぜならばカーストに宗教的な解釈があるから。そういうことで自由でもないし平等でもない、民主主義でもない。だからカッサパ師は、一旦その概念さえ捨ててしまえば、みんなそれぞれ楽に生きていられるのではないかと言うのです。

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2014年8月31日 (日)

私の世界・知らない世界―「汝はそれなり・・」

オルダス・ハクスレーの「永遠の哲学」は一章の「1.汝はそれなり」で始まります。

昨日、病院の待ち時間に少し読み返していました。

「神は、万物の内にあればあるほど、その外にある。内部にあればあるほど、外部にある。」(エックハルト)

エックハルト・マイスター(12601328):ドイツの神秘主義者。ドミニコ会士。教会の浄化を通じてキリスト教に神秘思想を復活させようとした。スコラ哲学、新プラトン主義、アラビア・ユダヤ思想などの影響をうける。

そして本文の、

「超越するもの、完全に外なるものだけが、その住処としているものの生成によって変化させられることなく内在しうるのだ」

を読んで、驚きました。

自分は僭越にも、「私の世界」に居るはずのない“神”を探していたのです。神がましますのは「私の世界」ではないのです。“外”なのです。

そして困るのは、

『物事の“根拠”が超越している“他者”であることを知るというのは、ひとことで言えば、「天国において」それを知ることにほかならぬ』

だそうです。

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2014年5月10日 (土)

私の世界・面白い話のネタ―「赤ちゃんにも善悪がわかる!?・・」で、自分は!?

ネットのCNNのニュースからです。

研究から「多くの人は生まれながらにして、つまり、赤ちゃんは善の方を好み、選択する傾向がある」という話です。

多くの宗教が、人間性悪説を取るので、それと一見矛盾しているように思える研究結果です。

人のことは分からないので自分のことで考えると、自分は明らかに、「人には善人と思われたい、もしくは、その振りをしている悪人」と言えます。つまり、簡単に言うと“偽善者”、損得勘定から善人で居るだけ? かも知れません。

一度、道徳体現者のお袋が亡くなった時、もう仮面を脱ごうかな? と思いました。どんなに良いことをしても、喜んでくれる唯一の人が居なくなったからです。親父は、単なるライバルというか、競争相手(ただし、その頃の話です。くれぐれも)でした。

「悪事を働いて、刑務所に面会に来た母に、“泣かれる”というのは耐えられない!・・」と思ったのです。

ただ、本当のことをいうと、何かすがすがしい? というのは変ですが、「これからは、何をしても良いのだ!・・」という開放感が湧き出てくるのを抑えられない気持ちがありました。

それと困ったことに、自分のために何かに努力する! とか、汗をかくのは動機が不純に思える自分が居て、余り気が向かないのです。

そんなこんなで、「時効やから言えるんやけど・・」程度の悪さ? はしていますが、一応世間では多分“善い人”で通っている? はずです。

でも、本質は偽善かつ、偽悪者です。何故なら、自分は悪人正機説を信じていて、“悪人”と呼ばれて救われたい人です。

・・と、思い切り本心を言って“私は悪い人”作戦の自分は、阿弥陀仏の救済の対象になるのやろか? “言って”は間違い、“言った振り”です。・・これも偽善的言辞。・・と続く。

悪人正機

浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。(=ウィキペディア)

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赤ちゃんは「善い」人形を好むという

『赤ちゃんにも善悪がわかる!? その答えは・・・

2014.05.06 Tue posted at 17:59 JST

(CNN) 赤ちゃんの道徳観を研究している立場上、「人間は生まれながらに善人だったり悪人だったりするのか」と質問されることがある。私の答えは「イエス」だ。

たいていの大人は善悪の観念を持っている。サイコパスでもないかぎり、残虐な行為には恐怖を覚え、親切な行動を目のあたりにすると勇気づけられるものだ。窮地にある人に救いの手を差し伸べ、犯罪者に罰を与えたいと思うのは、ごく普遍的な道徳的衝動だ。

赤ちゃんについても同じことが言える。人間の道徳観などについて考察した自著のなかで、こういう道徳的衝動が人間の生物としての進化の産物なのではないかと論じた。

人間の脳には生まれつき道徳観念が組み込まれており、赤ちゃんや幼児でさえ、他人の行動の善悪を判断できる。そして、善行に報い、悪行を罰したいと自然に欲するものなのである。突飛な主張だと思われるかもしれないが、多くの研究室で立証されている。

米エール大学の私の研究室では、人形を使った道徳劇を赤ちゃん相手に見せ、その反応を観察した。他人が坂を上るのを手助けするような善人役の人形と、逆に坂から突き落とすような悪人役の人形とを対照させて上演。赤ちゃんの表情や行動を見て取ることで、どのような道徳判断を下しているのか分析した。

結果として判明したのは、生後3カ月の赤ちゃんですら、善人役の人形を好むということだ。

もう少し年長の赤ちゃんや、よちよち歩きを始めた幼児になると、善人役に報酬を与え、悪人役には罰を与えるようになる。さらに、自分と同じ道徳観念を持った人形に愛着を示すこともわかった。つまり、善行に報いる正義の味方の人形の方が好かれるのである。

このように普遍的な道徳感覚が存在することが立証されたのは、良いニュースだ。

ただ、赤ちゃんの段階の脳というのは、自然淘汰(とうた)の産物であり、その先天的な道徳観には当然ながら限界がある。実際、数々の研究で判明しているように、赤ちゃんの道徳的判断というのは、最初、融通が利かない。世界を硬直的に「自分たち」と「彼ら」に二分してしまって、自分たちのグループにかたくなに肩入れするのである。

さらに、他者に対する親切心や共感となると、また別の話になってくる。

ただ、幸運なことに、私たちはこのような生物学的限界を乗り越えることができる。現代の人間であれば、平等や万人の自由といった抽象的な道徳概念を持っており、あえて敵を愛することもできる。

後天的に道徳思想に触れることによって、完璧とは言わないまでも、人は成長して善人に近づくことができる。実際、社会はこうした抽象的な道徳観念に基づいて形成されているのである。

最後に、私たちの研究の意義について述べよう。一つには、親の側で赤ちゃんや子どもに対する見方が変ってくるはずだ。生まれたばかりの赤ちゃんは道徳性のかけらもない、ちっちゃなサイコパスだと思われている節がある。ある種の赤ちゃんが遺伝的に救いようのない悪玉だと考える人もいる。

こうした冷笑的な見方は誤りだ。私たちは生まれながらにして道徳的なのであり、環境次第で、その先天的な道徳感覚が高まることも堕落することもありうる。

さらに、人間の先天的な道徳心理を理解することで、より良い社会の創造につながるだろう。優れた社会政策を立案するにあたっては、良きにつけ悪しきにつけ、人間の先天的な善悪の資質を知ることが欠かせない。これこそ「赤ちゃんの道徳学」が目指すところだ。

◇本記事は、米エール大学のポール・ブルーム教授(心理学)によるものです。記事における意見や見解はすべてブルーム氏個人のものです。

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2013年8月10日 (土)

私の世界・面白い話のネタ―記憶は脳の外にある?

ネットのWIRED(ワイアード)のニュースからです。

『生物の「意識や記憶は、すべて「脳」に宿るもの」という考えは、少なくともプラナリアには当てはまらなかった』という研究です。

人の生まれてから死ぬまでの膨大な記憶は、海馬の短期的な記憶を除いて、何処で記憶されているのか、まだ分かっていません。

クラウド・システムのように、それぞれ脳が記憶しているのではなく、何処かにあるものと情報通信している可能性もあるのでは? という考えもあります。

その意味では、その考えを押す話ですが、本当に脳以外の場所に記憶があるとすれば、人にとって「永遠の人生」も可能性があります。肉体、脳が死ねば、パソコンを新しく更新するように、流行のIPSで肉体を作り直して繫ぎ直すか、記憶データをダウンロードすれば良いことになります。

ただ、誰にも分からないことですが、そのとき“私の心”が戻るのかどうかです。「記憶」=「私の世界」=“私の心”、ならば戻るはずです。

私の“根拠”が、“記憶と別”ならば、同じ記憶の他人が生まれます。

『記憶は脳の外にある? プラナリアの実験からわかったこと

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意識や記憶は、すべて「脳」に宿るもの、と思い込んではいないだろうか。プラナリアという日本にもいる虫は、どうやらそうではないらしい。しかも頭を再生させても「経験値」は記憶しているというから、ますます不思議は深まるばかり。この研究が進めば、アルツハイマーや認知症の治療に応用できるかもしれない。

どうやら頭部を失っても記憶はなくならないらしい。少なくともプラナリアにとっては。

幹細胞が全身に存在するというプラナリアは、その著しい再生能力から再生医療の研究によく使われてきた。1匹のプラナリアを半分に切断すれば、2匹の完全なプラナリアとなり、2週間ほどでその脳すら完全に再生される。しかしプラナリアの特性は再生能力だけではない。1960年代に行われた研究では、本能的に光を避けるプラナリアでも「光のある場所に餌がある」とトレーニングされた個体は、インプットされた記憶を長期間覚えていることが可能だとされてきた。しかも驚くべきことに、半分に切断後、尻尾から新たな頭部を再生したプラナリアでも、かつてのトレーニングを“覚えている”のだという。ただしそれが事実、「脳から記憶を想起」した結果なのか、光や匂いに対する「条件反射」や「感作」のようなものの影響なのかが明らかにされていなかった。

そこで米マサチューセッツ州タフツ大学のタル・ショムラットとマイケル・レヴィンが、この謎の解明に乗り出した。『The Journal of Experimental Biology』に掲載された論文によると、彼らは数百というプラナリアの環境(温度、時間、水の種類、餌の種類など)を徹底的に均一化し、長期記憶のためのトレーニングもすべて自動化。さらに光による条件反射や感作の影響を極力避けるために、プラナリアをざらついた表面のあるペトリ皿に移し、そのざらついた環境にこそ餌があると学ぶよう、暗闇で10日間のトレーニングを施した。

正しく脳(中枢神経)を使って記憶されているかを調べるテストには、プラナリアの光を避ける習性を逆手に取り、青いLEDライトで餌を照明。ざらついた表面に餌があると知らないコントロールがペトリ皿の縁から動かなかったのに対し、学習した個体は、光を避ける習性があるにもかかわらず、その感触を頼りに餌へと到達した。研究者らは、その記憶が最後のトレーニングから14日間は持続することを確認。その後プラナリアを咽頭前で半分に切断し、頭部の再生後(切断から1014日後)に長期記憶が残されているかどうかを、餌への到達時間をコントロールと比べることで判断した。

結果は常識的に納得のいくものだ。新たな脳を完全再生したのだから、覚えていないのは当たり前だと思われるだろう。事実、トレーニングを施された頭部再生後のプラナリアと、記憶トレーニングなしのコントロールを比べると、ざらついた表面上にある餌への到達時間はさほど変わらなかった。しかし驚くべき結果はここからだ。

経験を生かすプラナリアたち

次のシナリオを考えてみてほしい。わたしたちが何かを学習し、忘れてしまったとしよう。だが次に同じことを学ぶ機会があった場合、「そういえばこうだった」と思い出し、学び直すことはいくぶん簡単ではないだろうか?

それと同様、新たな頭部を再生したプラナリアは、コントロールと比べて“再トレーニング”で学ぶ速度が格段に早かったのだ。一度ざらついた表面にある餌を食べさせただけで、新たな頭部をもつプラナリアはあたかもトレーニングを思い出したかのように行動した。この結果は、プラナリアの“記憶”は条件反射や感作によるものではなく、中枢神経の関与を示唆していると同時に、記憶は脳だけにとどまらないことを示している。では、プラナリアはいったいどこから記憶を脳へと“移動させた”のだろう?

研究者らは「記憶は脳の外にもあるのではないか?」と、推測する。もしかしたら脳など関与していなく、このように複雑な情報を保持できる末梢神経があるのかもしれない。それとも、かつて訓練された末梢神経が再トレーニングにより活性化されたことで、その情報が新たな脳へとインプットされたのだろうか。答えは末梢神経にはない可能性だってある。近年の遺伝子の研究でも示されているように、学ぶことにより発現した体細胞内の遺伝子が、切断後に変化を含んだ中枢神経を再生し、ひょっとするとこれが“記憶”となるのではないだろうか?

この謎を解くにはさらなる研究が必要だ。けれど、もし何らかの記憶が脳以外の場所に貯蓄され、それが人間にも応用可能ならば、今後の医療に大きく貢献できる可能性が広がってくる。プラナリアの研究は、もはや再生医療のためだけではない。アルツハイマーや認知症など、老化現象に伴う記憶消失などの治療に応用できる可能性すら、原始的生物の小さな体に秘められているのだ。

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2013年6月14日 (金)

私の世界・知らない世界―「イルカを「人」と認めた」って?

ネットのWIRED(ワイアード)のニュースからです。

「インドがクジラ目の動物を「人類ではない人」と公式に認めた」という話でが、知らなかったのですが、もともとインドは捕鯨反対国のようです。

私的な意見ですが、人も食連鎖の一環を担っているのであり、必要と要求に応じて何を獲って食べようと自由です。鯨やイルカも食して良いと思うのです。

我々も、どうせ誰かの餌食になっているのです。

私には食べられないと思う、“犬”や“ネズミ”なども貴重な食料としている人達がいますが、仕方がないと思います。

ただ、少しムカつきます? イルカも顔をみてしまうと耐えられません。

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と言っていながらも、その肉のステーキを昔に食べたことがあります。鯨と同じでステーキは美味しくありませんでした。

子供の頃、給食に鯨のカツが出たときは、もの凄くうれしく思いました。もう、今は食べられないほど貴重になったのですが。

話しは別に:松尾神社などのお祭りの時、屋台の出店に串カツ屋さんがあり、5円か十円で一串売っていて食べたこともあります。噂では、「犬やネズミの肉を使っている?・・」と聞きました。考えてみると、当時でも犬やネズミ肉の流通は考えられないし、調達には“手間”が掛かり過ぎ、というか、肉の量が少ないので余計経費が掛かるはずです。とすると、あの肉は何? やったのやろ?・・

<捕鯨問題>

国際捕鯨委員会(加盟国82カ国)の内、捕鯨推進国は34カ国あり、伝統的文化を持ち食糧として捕鯨をしている国々には、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダなどが挙げられる。未決定(中立)国は中華人民共和国など3カ国存在する。アメリカ合衆国は、国内少数民族の先住民生存捕鯨は是認しているが商業捕鯨には反対しており、そのように国内に捕鯨推進派・捕鯨反対派の両者を抱える国も珍しくない。一方で捕鯨国のカナダは、国際捕鯨委員会を脱退している。捕鯨反対国には、商業鯨油目的の捕鯨を行っていた元捕鯨国のオーストラリア・フランス・スペインなどのEU加盟諸国、ラテンアメリカ諸国(反捕鯨の立場を鮮明にしているアルゼンチンやブラジルなどが主導するかたちで、他のラテンアメリカ諸国も反捕鯨の立場で足並みをそろえている)、ほかニュージーランド、インド等が中心となっており、これに与するNGOも多い。各国で反対理由は異なる。(=ウィキペディア)

『インドがイルカを「人」と認めた

インドもクジラ目の動物を「人類ではない人」と公式に認めた。そして、ドルフィンパークの開演や娯楽ショーを禁止すると発表した。それは「彼らの知性と感情が証明されている」ためだ。

イルカは「人類ではない人」だ。その生命と自由の権利は尊重されなければならないとして、インドはシャチやイルカのようなクジラ目の動物たちにこのような特別な地位を公式に認め、これらの動物を飼育するドルフィンパークをすべて閉鎖するように命じた。

公式声明で明らかにしたように、インドの環境・森林大臣は、科学がこうした動物たちの知性や感情をはっきりと確認したと説明して、彼らを「一定の権利をもつ人類ではない人」と定義し、こうした動物たちの捕獲や監禁につながるすべての行為を禁止した。

ドルフィンパークに対する長い抗議活動

アカデミー賞を受賞したアン・リー監督の映画『ライフ・オブ・パイ』でも描かれたように、インド人の動物に対する尊敬は有名だ。そしてインド政府の決定は、ケーララ州のドルフィンパーク開園に対する抗議を受けたものだ。海棲哺乳類を主役にしたその他の娯楽施設と一緒に、今年オープンするはずだった。

「この決定は、動物保護運動の新たな1章を記すものです」と、インド動物保護組織連盟のプジャ・ミトラは『Deutsche Welle』紙に語った。「わたしたちは、運動の間に広く周知した科学的証拠のおかげで、『人類ではない人』という概念をもち込むことに成功しました」。

科学の見解は?

こうしてインドは、コスタリカ、ハンガリー、チリとともに、商業的なエンターテインメント目的でのクジラ目の動物の捕獲と輸入を廃止した、数少ない国々の仲間に加わる。

すべては3年前に、フィンランドのヘルシンキで始まった。研究者や動物愛護家たちが、クジラやイルカを自意識をもつ個体として認めることを目的に、クジラ目の動物の権利宣言に署名した。

科学者のなかでローリ・マリーノは、決定的な実験の結果を報告した。彼女はクジラ目の動物の脳が、特にコミュニケーションと学習に関する部位において発達していて複雑であることを示した。彼女の研究によって、イルカが完全に人間と類似した自意識レヴェルをもつことが示された。

彼らは思考し道具を用い、抽象的概念を理解する。まさに人間が名前でお互いを見分けるのと同じように、相互に認識し合うシステムをもっている。「彼らは家族グループの間で親密なきずなを共有していて、固有の文化と狩りの手法をもっています。コミュニケーションのスタイルにも違いがあります」と、ミトラは続ける。

近年、インドの経済状況が良好であるため、インド国内で水棲動物のエンターテインメントが人気となっていた。とはいえショーは、まさにイルカたちのこうした並外れた認知能力によって支えられていて、そのおかげで大変なスペクタクルとなっている。そして人々が、このショーの背後にある彼らの苦しみを意識していないこともしばしばある。

世界中のこうした施設でショーに出演しているイルカたちが、有名な日本の太地町や、ソロモン諸島やロシアで行われているのに代表される、非常に暴力的な捕獲作業によって捕らえられてやってくることを考えるべきだろう。

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