将棋・囲碁

2013年7月27日 (土)

私の世界・将棋の話―ボナンザで遊ぶ

将棋ソフトのボナンザをネットで無料ダウンロードして遊んでいるのですが、かなり強くて、なかなか勝てないのです。

それで考えたのですが、プロ同士の将棋の手順をボナンザに入力して、気になる特定の局面から、ボナンザを相手に指すという遊びを思いつきました。

今回、紹介するのは、こないだの日曜日20130721日第63NHK1回戦第16局の広瀬章人七段と瀬川晶司五段の対戦です。

以下の図が最終局面で広瀬章人七段の勝ちです。

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ボナンザは対戦を人対人にすると棋譜を入力できます。入力できたら、手を戻して好きな局面にして、コンピュータ対人で対戦(先手・後手は、“どちらをコンピュータ”かで選択)するのです。

その広瀬七段・瀬川五段戦の問題となる局面です。(ただし、私がそう思った局面で、正解かどうかは不明)

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このとき、瀬川五段は3ニ銀と打って、飛車を追ったのですが、プロではないので分かるはずもないのですが、何か本手のように思えません。

6三歩と打てば? とボナンザ(先手の広瀬七段がコンピュータ)で試してみました。

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ボナンザは歩で銀を取りました。

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歩を取って成銀を寄ると、角を打ちました。

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金を打って清算、王が逃げた所で、歩を打ちました。

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桂で打った歩を取って来たので桂で取ると、銀を打ってきました。

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金で取ると、銀の犠打を打ってギブアップしました。

もしかすると、瀬川五段にも勝ち目があったのでは、と勝手に嬉しがっています。

何か棋士気分というか? “独りよがりの遊び”です。

懲りずに、「“大山対升田戦”なんかどやろ?・・」と、逆転可能性がある面白い棋譜を探しています。「目くら、蛇に怖じず」です。

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2012年11月 5日 (月)

私の世界・棋士の話―「怪童丸」村山聖の棋譜②対羽生戦

以下の棋譜は、「将棋の棋譜でーたべーす」に載っている、228NHK杯戦の村山聖対羽生戦の最後の棋譜です。村山聖さんはその年、1998年(平成10年)8月8に亡くなっておられます。

72手で羽生さんの勝ちですが、村山さんの68手目、7六角が敗着手だそうです。着手を間違わなければ村山さんの勝ちだというので、少し私なりの検討をしてみたのです。

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 3二飛成りの局面で、何を指せばよいかということです。

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 7二歩がどうも正解のようです。

  Aa

 以下、ボナンザを相手に何回も試して、苦戦して見つけた勝ちですので、以下の勝利までの手順はもっと良い、最短があるかも知れません。

 歩を突かれて、怯んだのですが勇気を出して銀を打ちました。

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 取り合いになって、竜を取らずに銀を打ちます。

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 Bは金を打って守ったので、取り合って角を打つと、銀を犠牲に攻めてきました。

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 底歩で守ると、角を打ってきたのですが、この辺りで勝ちのようです。

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最終勝利図

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2012年11月 4日 (日)

私の世界・棋士の話―「怪童丸」村山聖の棋譜①対羽生戦

「将棋の棋譜でーたべーす」に載っている、村山聖・羽生善治の対局は14局で68敗でした。ウィキペディアには「羽生との対戦を通算67敗で終えた」とありますが、何かの間違いのようです。

勝敗の○×は村山聖さんから見てです。

最初に4連敗しているので、91年に勝ち抜き戦で勝利してからの後半は勝ち越しているのです。

880102:NHK杯×

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890124:順位戦×

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890906:若獅子戦×

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890912:順位戦×

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911206:勝ち抜き戦

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920824:竜王戦×

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921209:王将戦

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921221:王将戦

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931101:王将戦

931101_2

941111:王将戦

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950926:王将戦×

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961125棋聖戦×

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970228竜王戦

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980228NHK×

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2012年10月18日 (木)

私の世界・棋士の話―小学生の棋譜・村山聖VS佐藤康光

若くして亡くなられた、村山聖九段(追贈)のことを調べていたら、ネットの「将棋の棋譜でーたべーす」に、村山聖さんと佐藤康光さんの小学生名人戦の棋譜がありました。1981329日のことで、村山聖さんの先手中飛車の戦いです。

図は戦いの始まったところ、村山君が銀をぶつけたのです。

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銀を取り合った後、佐藤君は大胆にも飛車で歩をとりました。“ただ捨て”のようですが、飛車角交換になります。

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村山君は飛車を5六に浮いて角を守ると、佐藤君は飛車で銀を無理やり取って、その飛車を取った飛車の頭に歩を打ったのです。私には思いも寄らない凄い手です。

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一見、村山君の金のただ取りのようですが、4九銀が“詰めよ“で、玉の堅さの違いでほとんど終わりです。

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以下、防戦一方で、村山君は負けます。

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村山聖(1969年(昭和44年)615日~1998年(平成10年)88日)

将棋棋士九段(追贈)。森信雄七段門下。棋士番号は180。いわゆる「羽生世代」と呼ばれた棋士達の一人。(=ウィキペディア)

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2012年7月28日 (土)

私の世界・棋士の面白い話―加藤一二三九段の魅力④

加藤一二三九段が「通算勝数歴代2位に並ぶ1308勝を達成!」しました。

余り言われていないのですが、加藤一二三九段の凄いところは1308勝だけではありません。負け数が1084敗と断然トップの1位で、他の追随を許していないことです。この記録は、谷川九段や羽生王位・棋聖も破ることは困難と思われます。負け数を多くするには、多くの棋戦で勝って対局数を増やす必要があるのですが、勝つと負け数が増えないのです。谷川九段や羽生王位・棋聖はこの矛盾と戦っているのです。

それと、大山名人のように勝ち過ぎると王者になって対局数が減ってしまいます。羽生王位・棋聖は勝率が0.723と断トツの強さなのですが、大山名人のように一生勝ちまくるのでしょうか?

負け数の王者になるには長く棋士を続け、負けても負けても、また勝つという強靭な精神力(挑戦者精神)と棋力(探究心?)が必要なのです。普通の人は負けが混むと、年の所為にしてしまい体力や気力が衰え、本当に弱くなってしまうものです。

負け数では強敵の有吉九段が1002敗で2位ですが、残念なことに引退していて加藤一二三九段の牙城は揺るぎないものです。内藤九段は945敗で3位と頑張っているのですが、現在C1組で降級点1なので、負け過ぎると降級が待っています。加藤一二三九段もC1組ですが、降級点も付かず真中辺りの順位です。

<日本将棋連盟ホームぺージより>

『加藤九段、通算勝数歴代2位に並ぶ1308勝を達成!

(更新: 2012726 13:24

この度、加藤一二三九段(72歳・昭和1511日生まれ)が726日に東京・将棋会館で行われた第21期銀河戦予選の対 高田尚平六段戦に勝ち、通算勝数で歴代2位の中原誠十六世名人に並ぶ公式戦通算1308勝を達成しました。歴代1位は大山康晴十五世名人で、1433勝です。なお、加藤九段の1308勝は四段昇段後5711カ月、726カ月での達成となりました。

加藤一二三 九段 通算成績(2012726日現在)

2393戦  1308勝  1084敗  持将棋1  勝率0.547

加藤九段コメント

「昨年11月に1300勝に達した時から、いつかは歴代2位の記録に並ぶと思っていました。まずはうれしい気持ちです。14歳から58年間、対局を続けてこられたのは、棋戦を主催してくださっている各新聞社や放送局、出版社、証券会社、そしてファンの方々のお陰です。あらためて心から感謝申し上げます。いままで一局一局気合を入れて指してきました。これからもいい将棋を指したい、という一念で続けてまいります」

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2012年7月22日 (日)

私の世界・棋士の面白い話―奇人加藤一二三九段の魅力③

加藤九段が720日の第20回富士通杯達人戦準決勝で森内俊之名人相手に「二手指しの反則負け」をしました。

棋譜:http://live.shogi.or.jp/tatsujin/kifu/20/tatsujin201207200101.html

96手目(垂れ歩で先手玉の退路を断つ)を打って席を立ったのですが、対局室に戻るなり、「3九の馬を5七へたたきつけた」ので、二手指しの反則です。森内の勝利となっり、終局時刻は1710分。消費時間は▲森内2時間42分、△加藤2時間50分。

終局図(96手目垂れ歩)

Photo 

終局後の感想戦では後手の加藤九段が有望の変化もあるようで、森内も「悪いですね」と認めたそうです。「この馬が強いね」、「そっか、ちょっとよかったんだな」と言っている残念そうな加藤九段が目に映るようです。

感想戦が終わった後の森内名人の発言

序盤は作戦負けと感じていたが、端を攻めたところでは「面白くなった」と思った。本譜は△2五桂(86手目)が玉を広くする好手で、後手が優位。終局の局面からは▲8七同金寄△6七歩成▲同金△6六歩▲7七金右△5七馬▲6八歩△5九馬を示し、「悪いですね。向こうがなかなか寄る形が見えないので」とはっきり述べたそうです。

先手:森内俊之名人

棋士番号18319701010日生まれ、神奈川県横浜市出身。勝浦修九段門下。1982年に奨励会入会(6級)。1987年5月、四段。2002年5月、九段。獲得タイトルは10期、棋戦優勝は12回。十八世名人の資格を持つ。将棋大賞は第19回(1991年度)の勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞、第31回(2003年度)の最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞ほか多数。

後手:加藤一二三九段

棋士番号641940年1月1日生まれ、福岡県嘉麻市出身。剱持松二八段門下。1951年、3級。1954年8月、四段。197311月、九段。獲得タイトルは8期、棋戦優勝は23回。将棋大賞は第4回(1976年度)の最多勝利賞・連勝賞・技能賞、第9回(1981年度)の最優秀棋士賞・連勝賞をはじめ多数。1986年には聖シルベストロ騎士勲章、2000年春に紫綬褒章を受賞。

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2012年5月27日 (日)

私の世界・将棋の話―将棋図巧第99番の「煙詰」と100番の「寿」

詰め将棋は得意で無いので余り興味がなかったのですが、伊藤看寿の将棋図巧を知ると言葉が出ないほど驚きました。

特に第99番は「神局」と言われるもので、最初、盤上に39枚(詰め方の王を除いた全部の駒)あったものが、詰め上りが3枚になってしまうのです。「煙詰」と命名されたのは、駒が煙のごとくなくなるからです。(117)

100番の「寿」は611手という信じられない長手数で、その間に紛れや不首尾がないというのです。

http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/index.htmlで見ることができます。

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2012年5月12日 (土)

私の世界・将棋の話―現存する最古の棋譜

現存する最古の棋譜は、1607年(慶長12年)に指された先手大橋宗桂、後手本因坊算砂の対局で、133手で宗桂が勝っています。

ネットの「将棋の棋譜でーたべーす」で調べると初代大橋宗桂がインデックスにありません。まさかと、本因坊算砂を探すとありました。

当時のお城将棋は将棋と囲碁はどちらも指したようで、お殿様への戦略指南の道具だったのです。本因坊算砂も当然、将棋も強かったのです。

初代大橋宗桂(1555年(弘治元年)~163446日(寛永1139日))

将棋指し、一世名人。子に、二世名人二代大橋宗古がいる。宗桂は現存する最古の詰将棋集「象戯造物」の作者である。この作品集は、慶長年間に発行されている。

(=ウィキペディア)

後手の算砂は四間飛車にします。

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振り飛車の常識の「美濃囲い」をしません。宗桂も「船囲い」ではなく、ドンドン王を盛り上げてゆきます。

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凄まじい玉頭戦。

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 算砂のピンチ。

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 宗桂も詰みそう。

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 宗桂の勝ち(終局図)

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2012年5月11日 (金)

私の世界・将棋の話―伊藤看寿の「魚釣りの底歩」と「裸玉」・「煙詰」

ネットの「将棋の棋譜でーたべーす」と「将棋図巧」からです。

伊藤看寿が大橋宗与との一局で指した「魚釣りの底歩」と呼ばれる手と、詰め将棋の「将棋図巧」の「裸王」・「煙詰」が面白いので紹介します。

何故、「魚釣り・・」なのか素人将棋には理解できませんが、底歩の威力がギリギリの勝ちを呼んだことは分かります。歩は取っても、歩なのです。

底歩を打った60手目

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終局の近い131手目

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終局

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詰め将棋は苦手で、伊藤看寿の将棋図巧も余り知らなかったのですが、第98番の「裸王」と99番の「煙詰」を見ると、その見事さに言葉を失うのです。

「裸王」始め

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「裸王」詰み上がり(31手)

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「煙詰」始め

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「煙詰」詰み上がり(117手)

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伊藤看寿(初代;享保4年(1719年)~宝暦10823日(1760101日))

江戸時代の将棋指しである。最高位は八段だが、没後に名人位を追贈されている。五世名人二代伊藤宗印の五男であり、兄に三代伊藤宗看(七世名人)・八代大橋宗桂(八段・八世名人九代大橋宗桂の父)らがいる。なお、彼の息子(五段)が「二代・伊藤看寿」を襲名したが、後に伊藤寿三と改名している。(=ウィキペディア)

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2012年2月24日 (金)

私の世界・将棋の話―升田名人の「名人に香を引いて勝つ」将棋

升田幸三さん(1918321日~199145日)は、実力制第4代名人です。「名人に香車を引いて勝った。」人です。

1956年(昭和31年)に大山名人(弟弟子)との王将戦で、大山名人を香落ちに指し込み、勝って「名人に香車を引いて勝つ」を実現したのです。

升田さんは、「喜びがね、日々段々膨れ上がってきた。もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前は残るというね。時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと。将棋が始まって私だけだから。名人に駒をおろした人は。」と語っているそうです。(=ウィキペディア)

話しは別に:升田名人の面白い逸話で、団鬼六さんが「飛車落ち」で負けた後の感想戦の話です。

升田:「途中まではあんたが絶対優勢じゃった」

団 :「どのあたりでしょうか?」

升田:「駒を並べた時です。わしのほうには飛車が無いが、あんたには有る」

団 :「・・・どの手が悪かったのでしょうか?」

升田:「あんたが駒を動かしたのが敗因ということになります」

本当に香落ちの図(「将棋の棋譜でーたべーす」より)

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開戦図

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飛車の取り合いになる図

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二枚桂を打ったところの図

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「名人に香車を引いて勝つ」将棋の終局図

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