ユタセクスアリス

2013年12月18日 (水)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅱ青春編:「豚もおだてりゃ木に登る」・手を見てしまった彼女

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オシロイバナの花言葉(花言葉辞典より):信じられない恋、疑いの恋

真理子さんはクラスは違うのですが、同じコンピューター学校に通っている生徒でした。色は黒くはないのですがインドネシア美人という風情があって、長身のスタイル抜群のひとで赤いハイヒールがよく似合いました。

コンピューター学校の生徒だったのですが、夜の教室の助手もアルバイトでしていました。そのときパンチ係りのバイトを彼女もしていたのです。彼女は勤めたこともあるようで、しっかりしたお姉さんで僕なんかを相手にする女性とは思っていなかったのです。話をすると同い年で、笑うと幼いところも見つかりました。

いつも生徒の実習は時間が空くので、暇なので世間話をしてるうちに、美術館へ行くのを誘ったのです。

そんな付き合いをしているとき、喫茶店で一度、

「何で僕みたいなのと付き合うの」と聞いたら、

「ファザコンなの」

というのです。僕がお父様の代わりは少し変なのですが、彼女は両親を亡くして、叔母さんと住んでいたのです。

あるとき会いたくなって、前の日に電話して無理やり駅で待ち合わせをしたのです。ところが待ち合わせを1時間過ぎても来ないのです。冬の寒い時期で待ちくたびれて、「もう、出ているやろなあ・・」と思ったのですが電話してみるとまだ居たのです。

「昨日、誕生日でお祝いにワインを飲みすぎたの」

というのです。

「待っているから出て来て・・」

と言って電話を切りました。

それから、一時間少しして彼女はやって来たのですが最初に言った言葉が、

「寒いと思ったら、結構暖かいやん・・」

だったので、さすがに何処かで「ブチッ」と何かが切れました。

怒っているのが相当なのが分かるのか、振り向くたびに車道も構わずに5mほども飛び退くのです。

ただそれをされる度に、もっと不誠実なことがありそうで悲しくなって怒りも冷めて来るのです。食堂に入ってうどんを食べて、話をした最後に何故か手のひらを見せてもらったのです。

「え、こんな手してたん・・」

と思わず言ってしまいました。

世間では元気で運気のある手を紅葉の様な手といいますが、彼女は正反対の手でした。

どんな苦労をしたのだろうか、ひとつも彼女のそんな面を気づいてあげなかった僕の不明を恥じました。後からひとに聞いた話だと、僕以外に、もっと親密に付き合っている人がいたのだそうです。

少しして彼女は、関東の人と見合い結婚して横浜へ行ってしまいました。

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2013年12月16日 (月)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅱ青春編:「豚もおだてりゃ木に登る」・学園祭の出来事

高校三年の秋、受験勉強もほっぽり出して学園祭の演劇コンクールに、クラスの仲間や学年下の子たちと出ることになりました。うれしいことにクラスではナンバー1のTさん、その他のかわいい子も参加してくれたのです。

それでだけではないのですが、よせば良いのに元気を出して、「脚本は俺が書く!・・」と言ってしまったのです。脚本の準備期間はどんなに遅くとも、1ヶ月そこそこしかありません。

本当は、自分のオリジナルな物語を書くつもりだったのですが、才能と時間が許しません。誰かの物語の書き直しで、脚本を作る作戦に切り替えたのです。

芥川龍之介の「奉教人の死」の物語を脚本にすることにしました。なにより短編だったのと僕が聖書研究会に入っていて、少しキリスト教に興味があったからです。

それでもやっと間に合って、配役を決め練習したり、背景のステンドグラスを作ったりしました。運の良いことに、効果音は放送局勤めの父親を持つ子がいて助かりました。

前日の最後の舞台練習で、ステンドグラスを背景に置いて、その裏からライトを当てるつもりでしたが、“裏からライトはダメ”と学校側から言われてしまったのです。

考えあぐねた末、舞台と観客の間(斜め横で邪魔にならない)に置いてライトを当て、影絵を舞台に投影することにしました。思わない効果が出て、幻想的な光のオブジェが出来上がりました。

演劇コンクールは一位でした。多分、光のオブジェと効果音が大半の受賞理由と思います。

それで後日、お祝いの茶話会をみんなでお金を出し合ってやることになりました。茶話会の後、誰が言い出したのか庭で「目隠し鬼ごっこ」をすることになったのです。鬼がサークルの中の誰かを捕まえるのですが、目隠しなので思い切り抱きつくことになります。それが気に入って、早く鬼の順番が来ないかと心待ちしていたのですが、なかなか回ってこないのです。

日が暮れそうになって皆がもう止めようかという雰囲気も気付かずに、順番が来たものだから、いそいそと目隠しをしようとしました。

みんなは、「へえー、まだやるのー・・」と言いましたが、そのときのTさんの無慈悲なお言葉は、いまだに思い出します。

「やりたがったはるのやし、やらしてあげたらいいやん・・」

 余程ショックだったのか、その後どうしたかまったく記憶にありません。

唯々諾々と、「まさか、やったのでは?・・」。

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2013年12月15日 (日)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅱ青春編:「豚もおだてりゃ木に登る」・応援演説の失敗

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ヒヤシンスの花言葉(花言葉辞典より):うぬぼれ、自己愛・・

二年生のとき、同じクラスの友人が生徒会の副委員長に出るので応援演説に出てくれと言うのです。

何故、彼が副委員長に出るのかというと、その動機が不純なのを知っていたのです。彼はクラスで唯一学年下の一年生の彼女が居て、良いところを見せたかったのだと思うのです。

少し悩んだのですが、受けることにしました。そのころ、生徒会の委員と言っても別に優秀な人がするわけでもなく、やりたい人がやっていました。一応、選挙はやるので応援演説が必要なのです。

当日まで、応援演説の文面を考えて練習して、何度も空で言えるようにしました。

そして、演説が始まりました。自信が有ったので、紙を持たないで演壇に上がったのが間違いでした。あるところで、はたと止まったら、頭が白紙になっていたのです。もう一度やり直しても同じでした。困っていると、最前列にいる 学級委員の友達が、

「適当にお茶を濁して降りて来い・・」

と言ってくれるのですが、その適当が分からないのでした。

進退窮まって、そのときに思ったことを話すことにしたのです。

「ごめんなさい。演説を思い出せません。彼は僕の友達なので演説を頼まれたのですが、何を言えばよいか分からなくなりました。彼を副委員に投票してください。お願いします。」

と言って壇を降りました。

関係ないのですが、この経験から頼まれた結婚式のスピーチは前もって用意せず、そのとき思ったことを話すことにしています。

応援演説が終わり教室に戻ると、同じクラスの三人娘の話し声が聞こえてきました。

「・・・は、可哀想・・」というものです。

思わず僕は、

「同情してくれてありがとう!?・・」と言いました。

瞬時に、答えが返ってきました。

「あんたとちゃう!・・」

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2013年12月14日 (土)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅱ青春編:「豚もおだてりゃ木に登る」・彼女の告白

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中学一年生になってしばらくした頃、勉強が終わった帰りがけに、

「マサキ君、話があるので残ってくれない」

と、Nさんが言ってきたのです。

「えっ、これから柔道の練習があるのだけど・・」

というと、

「終わるまで、教室で待ってるから・・」

と言って、向こうに行ってしまいました。

Nさんは気が強くてはきはきしたオテンバの女の子です。いつもミニスカートを穿いていて、よく似合い可愛いので男子生徒に人気がありました。

「まいったなー、あれを問いただす気だろうか?・・」と、ゆうつな分で道場に向かいました。

実は数日前に体育の着替えのとき、クラス友達が僕の腋毛が生えているのを目ざとく見つけて、

「お前、もう腋毛が生えとるやん」

「そしたら、チン毛はもうぼうぼうちゃうの?・・」

と感嘆の声を出して言うので、つい、

「そんなことないよ・・」

と言ってしまったのです。

実は成長が早くて声変わりや夢精、陰毛が生えるのは五・六年で卒業していました。もっと言えば六年のときは美声が戻って音楽の成績が良くなり、背が伸びて身体能力が急に発達して、いつも運動会はびりのデブだったのがリレーに出られるようになっていました。マスタベーションも覚えて男女関係の何たるかも知っていたのです。だから、

「それがどうしたん、・・お前ら、まだ子供やなぁー・・」

と言えば良かったのです。

級友たちは、

「女のあそこに、入れておしっこしたらどうなるやろ?・・」

とか馬鹿なアホみたいな話を、本気でしていました。

余りにレベルが違いすぎたので、扱いに困ったのかもしれません。

担任の先生は見抜いていて、参観日の面接で「成績もよくて、申し分ありません。」と言われ、「良いお子さんです。」を母は期待していたら、

「もうよい大人です。」

と言われ、「ハァー?・・」と聞き直したそうです。

話を戻して、Nさんも成長が早く、みんなに腋毛が少し生えているのを見つけられて、

「男は下から生えるけれど、女は上からや!・・」

と言ってしまったのです。

そのことを級友から聞いていたので、「きっと下の毛を確認するためだ!・・」と思って仕舞いました。

練習が終わって戻ると、薄暗くなった教室にNさん一人待って居ました。「どうしたの」と恐るおそる聞くと、思いつめたような沈黙の後で、

「マサキ君、Yさんのこと好きでしょ?・・」

と言うのです。

「へぇー?・・」下の毛のことばかりが頭にあって、意味不明の混乱状態になりました。

「あなた、いつもYさんと親しそうに話して、私には分かるの・・」

実は図星というか、Yさんは好きだったのです。それもすこぶる付きと言うかその頃ほとんど考えるのは、彼女のことでした。

Yさんとは、同じクラスの学級委員を一緒にしていて、当然話す機会が沢山ありました。好きと疑われるのが厭で、みんなの前でもわざと平気で話をしました。無理に会話をしないとかえって疑われると思ったのです。

清楚で大人しい美人で、派手なNさんと少し赴きが違いました。かわいいのとは別に、利発なところが好きでした。

そして、また悪い癖が出てしまって、「それがどうしたの・・」が言えず。

「そっ、そんなことないよ。」

と言ってしまったのです。

もちろん、Yさんのことを一方的に“好きだ”と話すのは、悪いと思ったのも確かでした。

もう一つ、Nさんも嫌いではなかったのです。

多分、Yさんの話がなければ、

Nさん、君が好きだ。」と言っても可笑しくなかったのです。

それ以上は、何も話せずに一緒に帰りました。毛のことは聞かれずにほっとした反面、なにか物足らない気分で、この難局をどうクリアすればよいかを考えると話も出来ませんでした。というか、何か考えようとすると、

Nさんの下の毛はどうなんやろか?・・」

という思いが出てきて、それどころではなかったのです。

もうじき夏の夕暮れでした。

ヒヤシンスの花言葉(花言葉辞典より)

(ピンク)「しとやかなかわいらしさ」

(白)「心静かな愛」「控えめな愛らしさ」

(赤)「嫉妬」

(紫)「初恋のひたむきさ」

(濃紫)「悲哀」「競技」

(黄)「勝負」「あなたとなら幸せ」
 

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2013年12月13日 (金)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・タータンチェックと青いベルベット

小学校の一年から三年の担任は、若い女の先生で、タータンチェックのスカートの良く似合う先生でした。先生はまだにきびが残り、大学を出て初めての担任だと思うのです。

みんなと鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりしたとき先生がいると、その隙を狙ってタータンチェックのスカートの中にもぐりこんでしまって足に抱きついたのです。その白いパンティーや何かかぐわしい匂いが思い出されるのでした。

先生は「ダメよ・・・」といってしかめっ面をしてみせるのですが、それも好きで、また見たくていたずらしたくなるのです。本気には怒っていないことを知っていたのです。

先生は随分かわいがってくれましたが、叱られもしました。

柄が少し違うのですが、バーバリーのマフラーを見ただけで何か胸騒ぎを覚える自分がいるのです。

青木さんは隣の席の青いベルベットの服がよく似合うおとなしいフランス人形のような女の子です。おてんばな女の子に魅力を感じていたのか、余り気にならなかったのですが。多分二年生の秋頃の学校の帰り際に、

「君に、コレあげる・・」

と言って服と同じビロードの青い巾着に入ったものを渡すのです。

「何コレ・・」

といって開けて見ると、コインが二十枚ほど出てきました。

「もう、会えないと思うから・・、持っておいて・・」

お父さんが転勤で、香港に行くので付いていかないといけなくて、もう会えないのだそうです。急なので、貰って良いかどうかも分からず、「お母さんに聞いてみる・・」と言って帰ってしまったのです。「ありがとう・・」も、言わなかったのでした。

青木さんは次の日からもう来なかったのです。今になって考えると、あの巾着は、プレゼントのために自分の服の端切れで作ったものだったのです。

ベルベットの服を見ると胸騒ぎがして、それを着ている人がすごく魅力的に見えるのでした。

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2013年12月12日 (木)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・幼稚園のとき

幼稚園には遊びのお手伝いなのか、つねちゃんという少し頭の弱いお姉さんがいました。日に焼けて健康的で少しぽっちゃりと太っていました。幼稚園児だったので年が良く分からないのです。高校生くらいかも知れないし、40歳を越えたおばさんかも知れないのですが、わずかな記憶を辿ると、太っている割におっぱいが硬かったような気がするので、若い二十歳前ではないかと思っているのです。

つねちゃんとプロレスごっこをしながら触り捲くって、つねちゃんの体を探検していたのです。つねちゃんは少しも怒らなくて、やさしく相手になってくれるのでした。

もっとすごいことをこのあいだ聞いたのですが、トイレの汲み取り口から先生がおしっこをするのを覗いていた子がいたのだそうです。

良く遊んだというか、あこがれていて好きだった女の子が池田さんです。今から思うと、顔のまん丸なお下げの女の子で決して美人と言えない感じです。何故に憧れを持ったのかというと、たぶん男らしい性格ではきはきしていたこと、いつも着ているきちっとしたセーラー服の魅力だと思うのです。

お家は阪急のガードの下を潜って、畑の向こうでかなり遠いのですが、誘われると必ず喜んで行ったのです。お家に行くと池田さんはセーターに着替えていて、いつもと違うので少しがっかりしました。

でも、お家の居間に脱いだセーラー服が掛けてあるのを見ると、何かほっとするのでした。そして、「またコレ、明日着てくるの」と確認したりするのです。

大きくなってセーラー服に胸をときめかすのは、きっとその所為です。

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2013年12月11日 (水)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・吹田の叔母さん伊丹の叔母さん

親父には吹田の叔母さんというガールフレンドがいました。もちろん子供ですから、本当はどんな関係か聞くこともないのですが、良くその叔母さんの家に連れて行くのです。「吹田の叔母さんとこ行こ」と言って阪急電車で吹田まで行って、駅からしばらく歩くと涸れた大きな池の向こう側にお家がありました。吹田の叔母さんは家にも良く訪ねて来るので、最初は親類の人だと思っていました。

台風が来るというと吹田に行って、窓枠に釘を打ったり、板を張ったりします。お家の方を、「何もしないで、大丈夫なんやろか?・・」と気をもむのです。

父にはもう一人親しい叔母さんがいて、伊丹の叔母さんと呼んでいました。伊丹の叔母さんの家は飛行場の近くで、飛行機がとてつもなく大きな機体を揺るがして頭の上を轟音とともに落ちそうになって飛んでいきます。子供なのでどちらかといえば飛行機の伊丹の方が好きでした。

ところが、伊丹の叔母さんは父が訪ねて行くと、「修ちゃん、修ちゃん」と甘えたような声を出して、僕の前でも色々な相談話を平気でするのです。僕は、叔母さんの赤ちゃんにミルクをやりながら、そっと話に聞き耳をたてるのです。伊丹の叔母さんの方が、父とどうも怪しい? と思っていたのです。

変なのは、父と相談している叔母さんの側に、いつも大人しそうなおじさんが座っているのです。赤ちゃんは女の子で、叔母さんには子供が出来ないので貰い子だそうです。

後でおばあちゃんに聞いた話では、父と伊丹の叔母さんは従兄妹でおばあちゃんと叔母さんのお母さん―天六の叔母さん―が姉妹なのです。おばあちゃんが働きに出たときは天六の叔母さんが預かったこともあって、父と叔母さんは一つ屋根の下で兄妹のように暮らしたこともあるのだそうです。

伊丹の叔母さんは目が余り良くなくて、おとなしいおじさんが「実は酒乱で時々暴力を振るって、叔母さんを困らせた」という話は後で聞きました。

話は別に、僕の好みから言うと伊丹の叔母さんの方が可憐なところがあって好きです。吹田の叔母さんは冨子という名前なので、通称は「お富さん」です。春日八郎の「お富さん」が流行っていました。

吹田の叔母さんは家に来るとき、よく僕に豪華なお土産の玩具を持って来るのです。リモコンの戦車やトラックで、近所の子供には絶対手に入らない代物です。余りにそういうことが続くので、悪いと思ってあるとき「大きくなったら絶対叔母ちゃんに恩返しするからね・・」と言ってしまったのです。

言った瞬間に「まずい」と気が付きました。それを聞いた母の心境を思って顔を見ることが出来ませんでした。お母さんごめんなさい。

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私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・おばあちゃんの素性

少し物事の道理が分かるようになったときです。母が重大な決心をしたような思いつめた顔をして、話し始めるのです。

「マサキ、おばあちゃんも同じ名前やろ、変だと思わない」

「なんで、名前が同じで何が変やの」

「おじいちゃんも、おばあちゃんも同じなんよ」

母が云おうとする意図が分からないのです。

「おばあちゃんは本当のおばあちゃんと違うの」

「やっぱりか・・」

おばあちゃんは一緒に寝ていると、何か不思議で神秘的なところがあって、子供なりに怪しいと思っていたのです。「お狐さん」とか「魔法使い」を想像して母の答えを待ったのです。

「実は、叔母さんなの」

母の説明によると父の本当の母親は、父が小さいときに離縁となり出て行って、おじいちゃんの実の妹のおばあちゃんが、母親変わりに父を育てたのだそうです。おばあちゃんは父にとっては叔母さんなのでした。

母は言ったことを後悔しているようなのですが、「お狐さん」や「魔法使い」を考えていたくらいですから、なんの動揺もないのです。おばあちゃんは唯一のものとしておばあちゃんなのです。

大人になって、近親結婚という言葉を知ったのですが、おばあちゃんとおじいちゃんが本当の夫婦であったのかどうかは謎です。世間の話では嫁を辞めて家に帰った、出戻りの妹が兄の子の面倒を見ることは良くあることのようです。

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2013年12月10日 (火)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・おばあちゃんの弁当

母が内職で忙しいとき、おばあちゃんが幼稚園のお弁当を作ってくれるときがありました。ただ、年寄りですから何の工夫も無いお弁当です。カレイを焼いて丁寧に骨を取ってほぐし、お醤油をかけたものを並べた横にたくあんがふた切れというような具合なのです。僕はカレイとお醤油やたくあんの味の浸みたご飯をすこぶる気に入っていました。

幼稚園の先生は僕の弁当を見つけると、「君のお弁当、おかずコレだけなの?・・」と哀れんだ眼差で言うのでした。僕は本当に困ってしまい、悲しくなるのです。

隣の女の子はたいてい目玉焼きで、横にきゅうりとリンゴ、ご飯にノリのフリカケを掛けたものです。見てくれは良いけれど、おかずにはならないことを良く知っているのです。

家に帰っておばあちゃんにこんどは目玉焼きにしてくれと頼むのですが、卵を使うと必ずお醤油の勝った、おかずになる硬めの卵焼きでした。

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2013年12月 9日 (月)

私の世界・私のユタセクスアリス―Ⅰ幼年編・変なおばあちゃん子

僕はおばあちゃん子で、おばあちゃんと二階の部屋で一つの布団で寝ていました。もの心付いた3歳くらいのときからそうだったので何の違和感も覚えませんでした。4つ違いの弟は下で母と一緒に寝ているのです。

当然母のおっぱいはまったく知らないのに、おばあちゃんのおっぱい、乳房の感触は良く知っているのです。

東京に出張にいったときアルサロに行って、真っ暗ななかで付いたホステスがおっぱいを触らしてくれるのです。その感覚がまさしくおばあちゃんのものなのでビックリしました。「一体、この人は幾つなんだろう。」なぜか優しい気持ちになって、おばあちゃんを懐かしく思い出したのです。結局、何も出来なくて直ぐに出たのでした。

小さいときの最高の楽しみは、おばあちゃんの腕枕に乳房をまさぐりながら怖い病気の話を聞くことです。

「肺ろうという怖い病気はお墓に入ろう、入ろうってお誘いが来るの。」

「おばあちゃんもっと怖い病気ないの」

「脊髄カリエス」

「ふうーん、もっと怖い病気は?」

「一番はらい病だよ、レプラとも言ってお鼻やおちんちんまで腐ってとけてしまうの。」

「ふーん・・・」

そんなおどろおどろしい病気の話を聞きながら想像をめぐらし、眠ってしまう変な子でした。

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